玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*アメリカという国

2020年07月13日 | 捨て猫の独り言

 世界的に移動が禁止されているコロナ禍の今では、アトランタで今年の正月を迎えたのがまるで夢のように感じられる。旅行前の下調べでアトランタにおいては、市長は黒人で経済は白人という妥協が成り立っていることを知った。しかし、これなどは甘すぎるアメリカ像であるということをつぎの記事で思い知る。NYタイムズに白人が寄稿し、その和訳が7月3日付朝日新聞に掲載された。

 大学で哲学を教える黒人教授(見事な米国の成功物語である)がつぎのように書いたという。「私は教授陣の打ち解けた会合にほとんど参加したことがない。飲みにも行かない。パーティで人を楽しませることもしなければ、白人の同僚たちに取り入ろうともしていない。米国はすでに十分息苦しい。毎日首の上にひざをおしつけられたまま生きているようだ」そしてこの深い疎外感はめずらしいものではないとコラムニストは続ける。

 大学生が書いた「アフロ悲観主義」を読んでほしいという。そこには「黒人は米国の先住民のように大虐殺されるわけではない。われわれは大虐殺されている最中にある。だが大虐殺とともに再生もさせられている。なぜなら黒人の死という見せ物が世界にとって精神衛生上、不可欠だからだ」この穏健派のコラムニストは穏健派の方法は失敗だったと述べるにとどめる。

 

 岸田秀に興味深いアメリカの精神分析がある。「アメリカの独立宣言に表明されている自由、平等、民主の共同幻想の背後にはインディアン大虐殺の経験がある。アメリカの共同幻想はこの経験の抑圧と正当化に支えられている。抑圧した類似の経験は強迫的に反復される。アメリカは不確実感、不安定感を補うため他民族にその共同幻想を押しつけ、またときには他民族を大量虐殺するよう強迫的にかりたてられている。広島、長崎への原爆投下、ベトナムにおける大量虐殺は、インディアンの大量虐殺の経験の強迫的反復である」

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