玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*短歌と詩と

2020年12月10日 | 捨て猫の独り言

 歌人の穂村弘が「そりゃそうだよな」と、反論の余地がない、ある意味身も蓋もないことを言っている歌として例示したのはつぎの二首だ。啄木の「ふるさとの山に向かひて言うことなしふるさとの山はありがたきかな」と俵万智の『「勝ち負けの問題じゃない」と諭されぬ問題じゃないなら勝たせてほしい』(駅前銀行跡地の杭抜き工事)

 

 啄木は和歌という伝統の上に彼自身の短歌をきずき上げたのではない。近代の詩精神の適切な表現様式としての新しい短歌を樹立したとする評価もある。啄木の詩集「呼子と口笛」に明治44年(死去の前年)の「飛行機」という詩がある。当時日本では、短距離の浮遊飛行に成功したばかりだった。

 この詩について佐藤春夫は「彼の短歌の特色をさながら詩で見せたおもむきがある。啄木自身の分身とも思われる貧しい少年に寄せた愛情の美しさと、この前人未踏の詩境の発見の功とが尊い作品である」と述べている。以下に示す詩がそれだが、萩原慎一郎の歌集「滑走路」に繋がっているような気がしてならない。

 「見よ、今日も、かの蒼空に 飛行機の高く飛べるを。給仕づとめの少年が たまに非番の日曜日、肺病やみの母親とたった二人の家にゐて、ひとりせつせとリイダアの独学をする眼の疲れ・・・見よ、今日も、かの蒼空に 飛行機の高く飛べるを。」

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