玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*テレビ放送大学

2011年01月03日 | 捨て猫の独り言

 昨年の秋からテレビ放送大学の番組を録画して見るようになった。数学関係だけでも「解析入門」「初歩数学」「空間とベクトル」「微分と積分」「入門線形代数」「数学再入門」と6つの講座がある。それらの録画を適当に取捨選択して視聴している。講師は自分の手で書きながら数学を学習するようにと忠告する。恥ずかしいことに、私は不良大学生だったから、不勉強のせいで今になって新鮮な思いで見る講義が多い。コンピューター画像などは以前は示されることは無かった。現代の学生は幸せだと思う。それにしても私の中高教師の現役時代は、放送大学など見ることもなく毎日の生活に追われていたということだ。

 私にとって興味深い講義がもう一つある。それは15回シリーズの「和歌の心と情景」というものだ。和歌は日本の歴史とともに続いてきたという長い歴史を持っている。その歩みがわかるように味わい、そして解説するという。年末年始は再放送があって第1回「万葉集の風景と抒情」から見ることができた。その中では、柿本人麻呂の「東(ひんがし)の 野に炎(かぎろひ)の立つ見えて かえり見すれば 月かたぶきぬ」が取り上げられていた。「かぎろひ」とは「夜明け前の曙光」のことだ。これから天皇となりこの世を照らしていく軽皇子(かるのみこ)を予祝する思いを風景への感動を通して解き放つ歌なのだという。

 万葉時代の和歌は漢字表記されていた。困ったことにこの表記はどのように訓読するかは一通りに定まらない。それから時がくだり平安時代になって、安→あ、似→い、阿→ア、伊→イ などのように、漢字を源にして「ひらがな」「カタカナ」が考案された。たとえば「新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家余其騰」 という万葉仮名=漢字表記を、ひらがな表記にすると「あたらしき としのはしめの はつはるの けふゝる雪の いやけしよこと」となるのだ。このように一字一音のひらがなの発明により万葉仮名の限界が克服されたという。

 さて夜明け前の曙光が見たくて、大晦日に歩いて15分ほどの大ケヤキのある畑地に出かけた。翌日の元旦に備えてのことだ。しかし厚い雲にさえぎられて、期待していた夜明け前の茜色の空を見ることはできなかった。ところが自然現象は霊妙なものだ。元旦に同じ場所に出かけると茜色に染まって刻々に変化する空に出会えたのだ。日の出の1時間前がとても神秘的だ。東南の方向の天空高く下弦の月が出ている。東に太陽で西に月ではなかった。先の人麻呂の歌も単に風景に感動しているのではなく、歌がある政治的な意味を持つことがあることを知った。4月から始まる放送大学という楽しみが増えた。

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2 コメント

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放送大学は関心があってなんどかチャレンジします... (生涯学習)
2011-01-04 00:04:15
放送大学は関心があってなんどかチャレンジしますが、くっつけません。周到な準備の構成でしょうが講師が概して無表情。生徒の私語を叱ったり宿題をサボった生徒を立たせたりがんばったら褒められる授業の臨場感がないからだと思います。大学なのだからそれは望むべくもない。ITによる双方向の工夫もほしい。質問に答える、学生の感想字幕表示とか。性根を入れてテキスト予習復習していないこちらの責任が大です。数学&教育専門家が”新鮮”とおっしゃるのだから、再考します。
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数学の講師の方で仮面をつけたような方がいて、観... (仮面の講師)
2011-01-05 15:21:53
数学の講師の方で仮面をつけたような方がいて、観察に値します。ときおり亀山郁夫「ドストエフスキーと現代」などの特別講義などもあります。テレビ放送大学とは今後どんな付き合いになるか自分でも予測ができません。
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