玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*能楽入門書から

2024年01月01日 | 捨て猫の独り言

 金沢で能楽堂を見学して、能についてもう少し知りたいと思った。平安時代、二人の人間が互いにおかしなことや猥褻なことを言い合って見ている人をおもしろがらせた「さるがふこと」から猿楽という。鎌倉時代には田楽(田植えを囃す楽)、傀儡(あやつり人形)などの芸能が出てきて、そういった芸能の中から良いところだけを取って能を大成させたのが猿楽師の観阿弥・世阿弥だった。

  

 明治維新で幕藩体制が崩壊し猿楽は支持者を失うが、その後明治政府の要人は外国人賓客の接待のために能に注目し再興してゆく。「能楽」といって能と狂言を一緒にしたものが現れたのは明治になってから。近年、能の番組編成は時間の関係から三番立ての場合が多い。初番目物(脇能・神能)、二番目物(修羅物)、三番目物(鬘物)、四番目物(現在物)、五番目物(切能)がある。

 「能面は、世阿弥が能を大成するよりはるか以前に、きわめて高い水準において完成されていた」という見解は新鮮だった。つまり能面は世阿弥の要請や指示によって出来たのではない。能では面(おもて)という。面は本来、とても神秘的なもので神の憑坐(よりまし)という意味がある。能においては「初めに能面があった」というわけだ。

 能面をつけると、能楽師の視界は眼前の一点に絞られる。体重のバランスを保つ上に大きな困難をともなう。能楽師は皆「摺り足」の練磨に生涯を賭ける。視界が狭められ、遠近感も失われるとすれば演者の動作は慎重になり、「緩慢」にならざるを得ない。感情表現の最大の要素である顔を能面で遮断した。能の意図は、能面によって人間をいったん「無」の状態に戻すことにあった。能は表現を減らすことに何百年もの努力を傾けてきた。

 

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