ハガキを調べると、中学の同窓会の案内が来たのは1月。日時は10月14日、場所は鹿児島市内にあるホテル吹上荘。6月になって感染拡大のため中止の連絡が届く。喜寿を前にした参加希望者は70名と記されていた。それでも中止になった同窓会の日程に合わせて帰省することにした。去年の喜界島旅行からほぼ1年が経過している。
予約なしの航空券で午前中には鹿児島に到着した。これほど長生きするとは思わなかったという、まもなく97歳になる母がいる。施設暮らしに馴染めずに一人で生活を始めた。見かねた長女がこの4月から千葉から単身やって来て面倒を見ている。母の生活は改善されて寿命がさらに延びたように感じた。
父母は10年前に郊外の急な階段のある一軒家から、市内の中心部にある高層マンションの最上階に引っ越した。その年に父は93歳で死去している。それは引っ越して、わずか数か月後のことだった。このマンションから城山の展望台までは30分ほどで行ける。帰省の際の私の楽しみの一つは展望台広場のラジオ体操への参加だ.
5時過ぎには自然と目が覚めて、一人起きだして照国神社のわきから遊歩道を登り始める。昨年からの遊歩道の整備工事は終わっていた。東に見える桜島の黒い影の上には明けの明星があり、その上には細い月が見える。6時に到着すると5名ほどで広場を掃き清めている。広場の境界では一礼して広場に出入りしている。月と金星の位置関係を3日連続で観測したが日毎に大きく変化していた。6時45分ごろ桜島南岳のあたりから朝陽が顔を出し始めた。