玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*読書の秋

2020年10月08日 | 捨て猫の独り言

 図書館の新刊本コーナーにある産経新聞出版の「消された唱歌の謎を解く」に手が伸びた。新聞連載を再構成した本だ。消したのはGHQ(連合国軍総司令部)であり、学習指導要領であり、時の流れである。謎というよりも唱歌の成り立ちなどの解説である。後半では日本統治時代の台湾、朝鮮や満州で現地の自然や動植物、歴史や伝統風俗を織り込んだ独自の唱歌が作られた事実が力説される。

 司馬遼太郎の台湾紀行文「余分な富力を持たない当時の日本がー植民地を是認するわけでないにせよー力の限りのことをやったのは認めていい。国内と同様、帝国大学を設け、教育機関を設け、水利工事をおこし、鉄道と郵便の制度を設けた」がさりげなく引用されている。(紫苑、ヘビウリ)

 

 もちろん、植民地教育である以上、「日本への同化」が大前提になっているのは否定しない。だが、同化だけならば、何も郷土色豊かな唱歌を作るという、面倒な仕事をやらずとも、内地の唱歌をそのまま導入すれば済む。世界中を見渡しても、こんなことをやったのは日本以外にあるまい。現地の人々と誠実に真摯に向き合った日本の統治教育の真骨頂が独自の唱歌と高く評価する。

 その他に「ペチカ」や「待ちぼうけ」は1924年の「満州唱歌集」に収録されたもので、これは現地に住む日本人の子供たちのために、北原白秋が作詞し、山田耕作が曲を書いたものという。また、「里の秋」は昭和20年、南方から浦賀港へ入港する引き揚げ船を迎えるNHKの生放送のラジオ番組「外地引き揚げ同胞激励の午後」のために急遽つくられたという。現在では秋の歌として、文化庁などによる「日本の歌百選」にも選ばれている。

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