玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

「あ~ぁ これだったんだ」

2010年04月30日 | ねったぼのつぶやき

 客人が来た。青葉のこの時期、新緑を縫ってのサィクリングもいいかと自転車を借りていた。が、思わしくない天候でやむなく私の日常に付き合わせるハメになった。午前中にエアロビクス、ランチ後は公民館での老教授の「坂の上の雲」にちなむ講義となった。心地よい睡魔が2人を誘惑し始めた。と、脇にいる友が私をつつき、手合わせを要求するではないか。小さな身ぶりで2人でソッと興じた。

003

 彼女の指はテキストの文部省唱歌「広瀬中佐」を指していた。授業終了と共に興奮気味に言った。「これだったんだ!年長の姉と訳も分からず手遊びをしたの!”杉野は何処、杉野は居ずや” この歌だったんだ!口移しだったから意味も解らなかった!60年振りに解明!」と偶然を喜んでいた。

 広瀬中佐は旅順閉塞戦から撤退中不明になった杉野を捜しに戻り敵弾に倒れた。彼は駐露武官中、ロシア軍の将校たちに柔道を教えていた。海中に散ったその人を敵軍は篤く葬り写真にして残していた。驚いた事に「海中に沈んだ杉野も敵軍に救われ生き延びた?老いて望郷の念偲びがたく朝鮮の岸壁まできたが、日本では美談が成立して・・果せず」との記事を最近読んだが、あり得る話で調べたいと教授は語った。私もこの長大な「坂の上・・・」を読み直しているが戦記物で遅々として進まない。所でこの飛び入りの生徒”教授と目が合い微笑み返しといた”と言っていたッケ。(写真は白ヤマブキ)

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする