私は新聞の熱心な読者ではない。ここ数年は活字を追うと目が疲れやすく活字離れの傾向にある。明日あたりには、ちゃんとした眼鏡を作るつもりだ。毎日と朝日を半年づつ交互に購読している状態だった。最近そこへ読売が食い込むようになった。先日玄関先に出てみると初老の男が立っていた。日焼けかアルコール焼けか茶褐色の小さな顔には深い皺が刻まれている。たどたどしい話しぶりで私と同じ南の出身かといぶかった。そうなのですかと聞くのも憚られた。350ml2缶分のビール券を10枚握らされて朝日新聞の販売店の方角から来たという読売の拡張員と契約した。
このように我が家の新聞は洗剤かビール券で決まる。私は3紙の中では毎日のファンである。理由の第一は週末夕刊の競馬記事が充実していること。的中率向上の研究に欠かせない。第二に牧太郎という興味深い人物が所属している。彼はサンデー毎日編集長時代に 「オーム真理教の狂気」 と題する追求キャンペーンを始めた。そのことでメディアに 「オーム」 が初めて登場した。発売日に麻原は編集部に数人の弟子を連れて抗議に現れた。異常に太っていた。「宗教弾圧!」 と叫ぶ。「それにしても、未成年者に30万円、40万円のお布施は高すぎないか?」 と切り出すと彼は顔を真っ赤にして 「それならいくらだったらいいんだ!」 と叫んだという。何がオームの大量殺人を許したのか。自分の頭で考えることなくキャッチコピーに踊らされる現代人。その知的基礎体力の低下に最大の原因があったと牧太郎は言う。
私の他愛もない想像だが牧太郎は毎日の競馬記事充実の功労者の一人ではないか。記事には毎回レギュラー4人の予想が出る。そのうちの一人タマちゃんは牧の友人である。タマちゃんの予想はいつも惜しいところで外れる。このように何かの縁にすぎないのだろうが、私にとって毎日は手の内が見えるようで親しみやすい。残念なことに来月から朝日が入る。
また今年の3月に毎日新聞から 「自分自身への審問」 が緊急出版された。著者の辺見庸は脳出血そして腹部の癌に見舞われた。自死の権利を留保したまま、体は苦しいけれども拙いながらもなにごとか書く必要を感じているという。辺見庸について私の関心は高まりつつある。