玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

上條信山

2006年10月07日 | 捨て猫の独り言

 「壮心やまず上條信山生誕百年記念展」 が故郷の松本で開かれた。主催の松本市美術館のホームページには、現代日本の書に、教育、芸術、国際交流等多方面において心血をそそぎ、89歳で亡くなるまで活力をあたえ続けた上條信山。その思いは、ほとばしる墨や強靭な線をとおして熱く心に迫ってきますとある。共催は書象会。この春に松本市美術館には上条信山常設展示室もオープンした。

 長野師範卒業後上京、昭和10年成蹊小学校に奉職、大東文化学院での自身の就学をはさみ再び成蹊にもどり、中、高、大学で漢文書道を教えた。その後東京教育大学教授に転じ、書壇にあっては宮島詠士に師事し、書象会を創立主宰した。「書は人なり。書は内面を映す鏡であり、自身の人格がかくも立派だと他人に見せられるものか」 という特異な師の教えに背いて書壇で活動することへの自責の念は終生少なからずあったという。

 中、高、大学で書道を教えている私の同僚は、信山の指導を受けた成蹊の卒業生である。その書はもちろん信山流である。その字体に独自なものを感じ、また親しみを覚えた。雄渾かつ清冽。その同僚とは同年生まれということで親しくしてもらっている。彼の八ヶ岳の別荘に家族2人で泊めてもらったことがある。また我が家の新築祝いに 「若拙」 と揮毫した掛け軸を頂いた。せつのごとしと読む。私は今年で退職予定だが彼はあと3年は続ける。彼の話では信山先生はカラオケがうまかったという。

 9月24日の朝に八王子から特急スーパーあずさ1号に乗る。会期3ヶ月余りの展覧会もとうとうこの日が最終日である。同居人は咳き込んでいて松本行きは無理と言う。日帰りの単独行になった。八王子からは2時間あまり、駅から歩いて15分で10時には会場に到着した。 「書はリズムの芸術であり、文字を媒体として人の心のあり方を写すものである。線による音楽を聞くものである」 という作者の創作の言葉がある。会場では島崎藤村作詞の 「椰子の実」 がかすかに聞こえていた。松本での何回目かの展覧会のために熱海のつるやホテルで新作に挑んだのが西郷南州の五言律詩 「偶成」 である。ニ尺×八尺(60×242)の大字八幅だ。予定を変更して大きな画仙紙を用意したところ、この筆では小さすぎると言いつつ弟子達の挑発に乗って生まれた作品だという。私は会場の作品との出会いは一回きりの心構えで2時間半かけて見て回る。松本市内の観光なし、温泉なしのとんぼ返りは心残りだった。お土産は駅ビルで地酒に味噌と胡麻の2種類のクルミ菓子だ。松本を訪れるのは3度目だがこの様にいつもあわただしい。

コメント (3)
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