玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

70)移民政策から百年余

2006年10月02日 | ピースボート世界一周

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 11月4日ペルーには昼カヤオ港に上陸し、2泊3日の旅程となっていた。11コースのツアーが組まれており、当夜は「伝統的なディナー、舞踊ショー」と、一泊を含む「ペルーの日系社会訪問と交流コース」をとった。他に空中都市マチュピチュ、ナスカの地上絵遊覧飛行、インカ文明探報等がありいずれも好評だった。(日秘文化会館前の歌碑。はるばると大海原を乗越えて ペルーの土地に鍬を打ちこむ)

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 ツアー申し込みの手引きに交流コースの要約が記されていた。移民開始から100年を経ていまでは4~5世まで誕生している。世代交代が進んでいる中で親達の苦労を知る2世達、ペルー社会の中で日系人としてアイデンティティを確立している若者達。資料館で移民の歴史を学び、日系の施設訪問や思いを本音で語ってみませんか?に心動かされたのだった。(日系人墓地。前日に儀式があったようで花は新鮮だった)

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 それらに先立って、「GET Teacherに迫ろう」コーナーで、N・ペレス(祖父が沖縄から移民した3世でペルーの経済危機の際?カナダへ移住) は我が家の移民の歴史にも触れていた。又洋上図書コーナーで乗客の寄贈になる本で、日本へ劇的な帰還を果たした後、程なくブラジルへ渡った小野田寛朗氏の開拓の記録と、奥様自身が大いなる決意を持ってブラジルに飛び込んだのち、艱難辛苦を2人で乗り越えた様子など書かれている2冊の図書は、移民とりわけ1世の苦労を思わすのに充分であった。(宿泊する夜グループに分かれて話し合いをする。日系人は勤勉で成功者が多く教育熱心のようだ。参加者達は高学歴者で意見もハッキリしていた)

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 現在、逆移民として彼らの子孫が日本へ戻り困難な状況にある。今回は日系人墓地、成功者である2世の家(広大な農園経営)での昼食Peace_boat_889 日本の寄贈になる診療所や現地の子供達も入れる学校、文化継承やスポーツを楽しめる施設、心身障害児の通所施設、移民の歴史を展示した資料館、日本では悪評の「武富士」会長が寄贈した「日秘文化会館」で1,2世との通所施設(Day Care)での交流、同じく機器の寄贈により日秘新聞を発行する新聞社訪問など多彩であった。順次記してみたい。(学校は幼稚園から高校まであり日系に限らず開放されている。現地の青年達は沖縄のエイサーの練習中で本来ならば一緒に夕食を摂る筈であったが、練習が長引き結局自主見学に留まった)

コメント (1)
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