玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

Mさんを偲ぶ

2005年12月04日 | 捨て猫の独り言
 今年の8月12日に数学科のM先生がお亡くなりになった。なぜかご遺族は死去の事実を学園に一切連絡せず密葬の後で何名かに奥様から手書きの葉書きで連絡があった。中学高等学校の教頭をやった人物である。彼の死は公式の手続きのないまま時間を置いて皆が知るところとなる。死去後のことに故人の意思が働いているのはもちろんである。私も9月になって2学期の始業式の日に漏れ聞いてその後に奥様からの葉書きをいただいた。前立腺がんで享年79。

 M先生の訃報をあなたのメールで知りました。入院される10日ほど前6月ごろと記憶していますが電話をいたしました。私から出向くからコーヒーでも飲みませんかとお誘いしたのですが腰痛が激しく歩くのが困難ということでした。だが言語は明瞭で病人を感じさせない話しぶりでした。そのときは安堵しました。Mさんは愚者を装う真の賢者でユーモアあふれる包容力のある人柄、好奇心旺盛な観察眼と豊かな教養などで人を常に魅了されてきました。私が深く教えられ敬服してきた数少ない一人です。心から冥福を祈っています。偲ぶ会には是非声をかけてください。

 このメールの送り主がいつしか強力な偲ぶ会の推進者となった。12月3日に12名が参加して午後3時から開かれた。現役は事務方2人に私の3人残りは退役組の理科3人英語2人体育2人社会2人である。推進者からモーツアルトのレクイエムを録音中との電話がその日の正午に入る。私は会計担当である。コンビニで両替できることを知った。会費のおつり用に千円札を20枚ほど用意する。ほんとに便利だコンビニだ。

 M先生からの私信を公表したい。これは在学中親しくしていたある生徒が雑誌の編集長になった。ところが売らんかなの姿勢で少年Aを報道しその踏み外しを批判されたことがあった。そのことについて述べたものだ。またこの日の集まりについては奥様はまだなにもご存知ではない。

 金に困って泥棒し、恋に狂って人を殺しても刑務所でもどこでも俺は行ってやるけれど、天井の節穴から覗くようなことをして握った人の弱みを種に飯を食う人間だけにはなるな。HRのとき将来の職業ということで生徒に2回ほど話したことがあるのです。卑しいことはするなと言ったのです。ですから私はいまとても複雑ななんともいえない当惑した思いにかられているのです。とんでもねえことをと思いまた寂しくなり、教師の思いなどというものは世の流れ動きの中では虫けらのようでもあるかと自嘲してみたり。

  

 

 

コメント
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