goo blog サービス終了のお知らせ 

玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

自分の子育時代を振返る

2012年07月12日 | アトランタ便り

 娘は子供2人に振り回され乍日々を過ごしている。そんな彼女を見つつかっての自分と子育て時代を振返る。私は東京に転居後2人の子供をもうけ、30才で再就職という生活設計を組み立てていた。幸いに資格を活かせる職業だったし、連れ合いも転勤のない職場を得ていて、家族の健康にも恵まれ比較的順調にいった方だったといえよう。子供達も其々に熱中できるクラブ活動を得て、私達を左程苦悩させることなく成人してくれた。
040_3

 長男は卒業すると程無く所帯を持ち私としては少々気落ちした位だったが、いわゆる適齢期を過ぎなんとしている娘の方は、依然として親と同居しながら独身生活を満喫し、夕食を共に過ごすことも少なくなっていた。パラサイト化しつつある生活は賢明でないと考えた私は彼女に自立を強いた。女の子故多少の不安がないでもなかったが、それはそれで良しとすべしと思い定めたのだ。その後私も勤務を継続し、遠隔地に住む両親の介護など繰り返した後定年退職を待って、世界一周の旅に出た。その途上で入手したツレアイからの葉書で、娘がつわりの為実家に戻りその面倒を見ていると知らされたのだった。(写真はワインセラー) 

 今娘はその夫との7~8年に及ぶ生活を断ち、娘2人を抱え愛しくてたまらないといった風で頬ずりをし通しである。私は人は家庭を持ち、自分の都合だけでは生きていけない生活を通して初めて人になると思っている。苦境の中にありながら頬ずりし合う3人は私には美しく見える。今までがそうであった様に、結婚も離婚も再度訪れるかも知れない再婚も、全て自分で引き受けてゆくことだろう。私は私で、求められ心身の続く限りはそれに応えたいと思っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Skype見たさに時差調整

2012年07月10日 | アトランタ便り

 過日約束通り勤務先のデイサービスに写真添付でメールした。海外からでも瞬時に手紙(メール)や写真が送れることを紹介したかったのだ。ご利用者様の反応はどうだった?約10年前私の両親は没した。職場の事務作業のルーテンワークとして一部PCを使っていたが、マイPCを持たず老親へのメール送信等考えられもしなかった時代だった。
 
 

078今何とかPCに向かいキイボードを打っているが、所変わって自国を出ても、PCが自宅と変わらぬ環境が保てるのだからなんと便利な機器である事か。それに以前にも記したが「映像つき音声による対話が無料で出来る」となれば、使わない手はなかろう。そんな訳で、13時間の時差を越えて対話するべく苦闘している。今まで上記「  」の中で無料という仕組みが不可解だったが今回氷解した。一定の時間が経過すると、先方の映像が消えそこに企業のコマーシャル映像に切り替わるのだ。しかし当方の映像と音声は先方には届き、相手方は筆記に切り替えると対話が続けられる仕組みだ。この理屈が理解できたので、今後は双方での操作は不要と判明した。

 PCの発祥の地アメリカの電子機器事情の一端を見たのは、初外出の際女子学生が大きなバッグから小さな携帯電話を取り出した。電話?と思いきやカチッと音をさせ、縦幅サイズに組み込まれたキーボードを、マニキュアをした指先で目にも留まらぬ速さで打ち出した。スーパーで車で使う丁度いい子供用椅子が見本しか残されておらず在庫を問うと、ラベルにかざした機器を見て○○店ならあると言う。取り寄せますか?と聞かれなかったのはそのサービスはないからだろう。孫がTVの不調でPCでアンパンマンを見たがるので、私がPCを起動させると後はほぼ自分で操作する。しかしデスクを組み立ててくれた助っ人は、機器には通じていたけれど、私達がSKYPE中なのを見て初体験だった様でハニカミながら夫に挙手していた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今週は丸々フリーの予定

2012年07月09日 | アトランタ便り
 今まで連続的にフリーになれる時間は少なかったが、姉を今週はフリースクールに戻し、次週再度共に過ごす事にした。しかしこのうだるような暑さの中、不慣れな外出を試みる気はスッカリ失せてしまった。持参した月刊誌は読尽くし、出先で入手したタブロイドの日本語版ももう古い。ほぼ毎年引越しをしてきた娘は本棚も持たず、手持ちの数冊の料理とHow to本(多分プレゼント)程度しかない。PCとても手元不如意の上、使い勝手も今一で私の言うことを聞かないから、機上用の退屈凌ぎに用意した3点「ナンプレ」と「漢字パズル」「EXーword」(電子辞書)の出番としよう。
004  
 月曜日の今朝、慌しく食事と身支度を終え、ランドセル替りのリュックを背負い3人揃って出て行った。台風一過の静けさである。窓の外の風景は異なるけれど、いつもの私の時間が返ってきた。午前中はユックリ、のんびりしよう。そして午後になったら、先日より手帳にしたためていた3人に未だ食べさせていない日本食(魚を始め大好き)を作ろう。その内自宅でもそうして来た様に、冷凍食品作りに励み冷凍庫を満杯にしておこう。

 訪米前、不眠がちから遠ざかっていた私は再度の不眠を恐れた。機内で一睡も出来ないのを手始めに、環境や生活パターンの変化だけで、不眠と体重が減るのが常だったので、最大30日分の睡眠薬を持参した。当初の一週間は一時間位寝入れなければ内服することにした。それ以上だと事態は更に悪化する。10日位過ぎたら2~3日おきでよくなり、今は完全に脱却出来ている。少々の体重減は想定内でこちらはラッキーと言えようか?。窓の外では芝刈りの音がする。週始めには決まってメキシカン系の人がやって来てアパート周辺の手入れをしている。アメリカではどの住宅街も綺麗に保たれているのは、このシステムが徹底しているからだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プール付合いと料理作り

2012年07月08日 | アトランタ便り
 私の朝は6時頃に始まり、23時過ぎに終る。丁度日本での一時間前倒しだ。7時迄が私の時間で、孫が起き出すと朝食(多くはシリアルに牛乳をかける+フルーツの2~3種)を用意、登校の身支度や世話、冷蔵庫内に残り物があれば、娘のランチ用に揃えて8時に送り出す。その後片付けをしつつ、冷蔵庫内の残り物や使い残し、備蓄品の有効年月日を考慮に入れてなるべく無駄の出ないように今後のメニューに繰り入れる算段をする。
 025
 私一人で2人の子守は厳しかろうと、妹は保育園通いを続け、聞き分けの利く姉と過ごす時間が長い。(9週間滞在中都合5週は一緒)ランチの時間迄、学校での記録物や作品を見せてもらうのだが、学習に入るとすぐ飽きる風で長くは続かず、趣向をかえて、日本から持参した折紙や綾取り、おはじきに切り替える。ランチ後はお楽しみのスイミングタイム。こちらはストップをかける迄切り上げず、私はプールサイドで日除けしながらも熱気の為にクラクラになる。

 プールに入ると2時間近く昼寝をするので私の時間だ。目覚めを待って2人で夕食作り。この時間も楽しみの様で、私が一つ作業をする毎に私もと手を出す。折角だから洗ったり混ぜたり役を与え、料理を作る楽しさも伝えているツモリ。娘には食育に対する熱意や、料理つくりの楽しさを伝え切れなかったカラ。一方自我に目覚めた妹は可愛いものの、私の言うことは中々聞かず私が怒ると悪態をついて返す。私の疲労も重なると怒鳴り返して更に泣かせる。そして21時を過ぎて子等が寝入ると、ヤット静かで安らかな時間が私にも訪れる。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一般道路も高速並速度

2012年07月07日 | アトランタ便り
 さすがに車大国アメリカだけあって、車にまつわる事情は日本とは大いに異なる。娘が言うには、先ず免許取得が18才以上であれば難なく、運転の技術は個人的に取得し、簡単な路上運転と法規のペーパーテストを受ければ済む?らしい。機上から降下する毎に一目瞭然と明らかになるが、大動脈の幹線道路を中心に数列をなす高速道路が交差している。車で移動しない日とてないが、そのスピードは未だに慣れ切れない。
002_3
 それがスピード丈の問題ではない。距離感も違い、2~30分は近いという。私流に言えば高速道路並みのスピードを出すからかなりの距離の移動になるのだが。ルール(マナー)も相当違う。先ず少々の飲酒は許されている?のか、出先で飲酒をし帰りの運転も平気の平座だ。これは事故でも起こして捕まらない限り問われない? 走行車線(5~6列)の変更はしょっちゅうだし、左右の並列車を抜いたり抜かれたりの走行は私の心臓に悪い。車内でギア席に置いたGPSをいじったり、覗き込んだり、携帯電話を受けたり、掛けたりは四六時中で、その度の片手運転に助手席の私は落ち着かない。車に乗せてもらわなければ日々が成り立たない故、私は口には出せず、時にアッ!ウッ!と不意に呻いたりして、娘の不興をかっているかも知れない。

 これ程車を酷使するからには整備はキチンとせねば。渡米時新車同様の中古車を購入したと聞かされて4年。そろそろ買い替え時か。しかし其々4才6才半のヤンチャ子達は車内の汚し盛り。次回来訪時そのままであれば、頭金位出してやろうかと思う。今回手伝いの手始めにやったのは2つのチャイルドシートを外しての洗車だった。もう大分汚れてきている。最後の手伝いも「シッカリ家族を守って下さいね」と念じながら同じ作業になるだろう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

娘の離婚事情ーその2

2012年07月06日 | アトランタ便り
 親の都合によって子供達が往来する日常は(本来的に言えば非日常であるが)、私にも日常化しつつあるものの心は常に痛む。いつ迄こんな往来の生活が続くのだろう。養育費支払いは18才まで続き、双方が新たな婚姻関係を結んでもそれは変わらないらしい。姉の方は「行きたくないとか、今日は家に居る」とか時に涙さえ浮かべるが、妹は「又来るね soon  byby!」と屈託がない。そんな場面に私は立ち会いたくなくて、いつも玄関でバイバイしている。

 001離婚話に発展した際、夫にとって「子供達を日本に連帰られはしまいか」と懸念されたらしい。当の娘にはその気は全くなく事前に申し出てあったそうだが。日本においても近年国際婚の破綻に対し、ハーグ条約要綱など見聞する事も多くなった。又、未だマイナス要因とされているシングルマザーの雇用や住まい探しは深刻で、米国ではその心配がないのは当事者にとっては大きい。
 
 養育権に対しては半々で、私の滞在中とか夏休み中ということもあって、現在は娘宅の方が長く私の出番が多い。と言うより任かさっれ放しである。今朝も父親と娘がSkypしながら「今朝気がついたのだけど、自分がこんなに強気で居られるのは、母さんがいるからなんだ」と言う。そして前夜の夕食後子供を預けに行き帰宅した際、イヤな気分にされたとあれ程怒っていたのに、もし私も元夫同様独りでいたら同じ言動をしていたかもとしおらしい。父親は父親で「今後は生活を切り替えて自力で遣って行ける様に」と意見していた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

組み立て3組遂に完成

2012年07月04日 | アトランタ便り
 その日は午後子供の誕生会のお呼ばれがあって翌朝、寸法が気になりデスク面を取り出す。採寸通りの横幅でピッタリだ。スッカリ気をよくした私達は”イザ組み立てん’と全部を開封した。椅子は解説図に沿い特別の道具も必要とはせず、部品と共に入っていた工具で組み立てた。他の2品は3つの工具が必要でボルトも多く女性には手間取りそうだった。娘の今回の事情によく通じ、何かとアドバイスを頂いた知人が時に電話を入れて下さっていたので、お願いして見た。私の当初からの念願だった旨を伝えると、今日中にやりましょうと2時間がかりで完成させて頂いたのだった。

 私と娘は勢い込んでその窪んだスペース入れようとした。所が入らない。あらら。。デスク面ばかり気にしていて、柱の付け根の装飾されたデッパリの事は丸で気づかなかったのだ。つまりレンガか何かでそこ相当分部分を乗り上げれば何とかなりそうだった。又同系統の本立て仕様になる物をPC売場で見つけて求めていた。それはデスク面から30センチの高さにに設定され、デスク面はそのスペースをそのまま使える筈だったのだ。所が肝腎のデスクの方が板厚で、之が又はまらない。これも透明な幅広のビニールテープで固定すれば使えない事もないのだが。。娘の大雑把さに腹立ったり、これ又劣らぬ自分お粗末さを嘆いたり。。兎も角そんなハプニング続きで結局ダイニングテーブルに近い場所に、デスクと椅子を組ませて一応の形が整ったのだった。057
 
 この組み立ての作業は、たまたま子供らが元夫の所に滞在中に行われた。サプライスがあると聞かされて帰宅した姉は大いに喜び、むくれてすねる妹は私と「学校に行くようになったらピンクの机をプレゼントする」指切りをして、やっと機嫌を直したのだった。私の滞在も残された日々の方が少なくなって来た。留守番の2人でせっかく持参した水着を出して私も数年ぶりにプールに入った。今年の暑さは記録破りだそうだ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

念願の学習机を見に行く

2012年07月03日 | アトランタ便り
 姉の方は、今まではプレスクールといって日本流に言えば5才時から小学校に通っていたが、転居後はサマースクールと称し、現在お世話になっている(今週は一週間休み)チェスナッツスクールに、8月半ばの新学期から受入れて貰う事にになっている。新一年生といえば、祖父母にとっては親以上に力が入り、ランドセルや学習机を用意してやりたいと思う。そう何度も口をすっぱくして言っていたのだが、2LDKの手狭なアパート故迷いがあったのか、一ケ月後の一昨日やっと見に連れ出してくれた。
009
 そこは食料品以外の生活用品全般を取り揃えた巨大なスーパーだった。前回訪米時教会でも同様だったのだが、希望すれば入口で子供を預かってくれる。登録を終えると、手首にその子の名前を書いたシールを巻、背中にも貼り付ける。母親の手首にも同様に巻く。そして時間になると母親の携帯に連絡が入るのだ。子供が一瞬不安を覚えても、魅力的な遊具の方に目が向く仕様になっていた。(保育園内のミニキッチン)
 
 アパートは20畳大のLDKの中央には暖炉が設置され、その横のパソコン置き場?の幅約一メートルサイズに収める切るが絶対条件だった。巨大なスーパーで小じんまりしたデスクを探す。ヒモで採寸しおいたサイズぴったりの物(色違い数種)をやっと見つけ出し、一番目障りでない黒色を選んだ。番号を控えているので、それで発注するのかと思いきや、スーパーに其の侭繋がっている天井まで積み上っている倉庫へ行き、メモに沿って自分で棚から選び出して、持ち帰った後自分たちで組み立てるのだという。結局デスク、いす、本立て等組み立て用品3箱と、その他不足している生活用品を求め、新一年生専用のスペースが確保される事に私は安堵したのだった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きれいなお姉さんになる

2012年06月30日 | アトランタ便り

 日没迄の長い夕食後をどう過ごすかは大きい。娘の仕事帰りにスーパーに行くと、空腹のせもあって孫がアレコレ欲し煩いので、夕食後に行くことにしている。その時間帯沿道のサイクルロードには、犬の散歩、ウオーキング、ジョッキングしている姿を多く見かける。大抵そういった人達はスマートである。日本でも同様だが、洋を問わず太めの人はその度を増すごとに運動から遠ざかると言う道理と重なろう。広い国だから車がなければ用は足せず、歩く機会は少なくなる。その分敢えて何らかの運動をして埋め合わせをしなければ、人体の仕組みから言って辻褄があわなくなるだろう。未だ日差しの強い時間でも、木陰を縫い手足に重りをつけてウオーキングしている人すら見かける。

019

 駅やスーパー、モール等人の集まる所に行くと必ず男女を問わず重量級の人々に出会う。レベルは様々だが、関取クラスはザラで中には小錦級の人すら見かける。移動の度にプヨプヨと揺れる皮膚。それはもう私の癖になっている事だが、その度にその方々の内臓の負担を想像してしまう。これだけの体を支えるに基礎代謝量はいかばかりか。心臓、肺、肝臓、腎臓の負担はいかばかりかと。全力を挙げてその人を支えているに違いないと。人として人は皆自分の外見は気にするだろう。ある地点でソレを放棄してしまった結果だろうかと。日本でも肥満の人は少なくない。しかしそれなんぞ可愛いものだ。何たってケタが違うのだから。

 末孫は今反抗期の真っ只中にある。娘には甘え、その分私には逆らい、NOが先行し勝だ。私にはこの際「彼女らの味覚を少しでも広げたい」という日本に居る時からの願望(魂胆)があった。肉食は食慣れているが、食慣れない物に対しては私が思うほど手を延ばさない。そこで姉の真似をいつもしたがっている妹に、「きれいなお姉さんになりたければ、お野菜を一杯食べないと、ブクブクのお姉さんになるしかないわ!」と小声で呟いた。すると私の顔を見い見い食べ出した。何時まで彼女の頭の中に残っているか知らないケレド。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お手伝い丈からの解放

2012年06月29日 | アトランタ便り

 事足りないながらも少しづづ落ち着き、オサンドンとベビーシッタだけの生活から今は解放されている。初めて一人で街へ出た日、娘と時を同じくして日本からコチラに家族で引っ越してこられた方(日本でもお邪魔し、帰日中もお会いした)から、夕食のパーティに招待されていた。第二子出産予定の共通の友人親子さんを含め、12人が集い賑やかなパーティをご家族をあげて催して下さったのだ。私の訪米を歓迎する夕食会は、当のご家族様の更なるトルコへの御栄転と、友人の出産を祝うパーティでもあった。大人もそうであったが、子供達も(皆同保育園で日本語を獲得)久しぶりの再会とご馳走に興奮していた。

017

 メニューは日、米、中華取り混ぜた豊富さで、久しぶりの日本食は私への配慮に溢れていた。それまでの私の日々は混乱と困難を極めていたので、皆さんに話すと異口同音に「それは違うと思います」と娘に向け言い、私に同調して下さった。前にも記したが丁度その日は、朝孫の食べ残しのオレンジ3切を食しただけで、日中水すらも求められず切らしていたせいもあり、「私は今日は久しぶりに動かないで食べさせてもらいます」と気安く宣言させて貰い、先方様の言葉に甘えパクパクとご馳走になった。父君はそんなパーティの様子を動画に撮り、お子さんのブログに載せて下さった様で、夫のメールで知らされて、コチラでも同画面を更に楽しめたのだった。

 その御一家は海外移転に対して、種々の書類を要求されており、合間を縫っての作業も大変だろうと容易に理解される。孫たちの転校手続きにしても学事面だけではなく、健康診断書や歯科検診の結果まで要求されていたのだから。私は訪米の度に会えるとか、一人娘さんの延長で私の娘も気に掛けておいてとお願いしていただけに、残念な気もするがトルコ発のブログを読む楽しみも増えたことになる。昨夕は米リーグのナイターに行き、今日の午後は末孫のお遊戯会にお呼ばれだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする