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玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

アパート探し

2014年08月15日 | アトランタ便り

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娘がアメリカに渡ったのは2才と6ケ月のベビー連れだった。婿殿は先に帰国していたので、私は2才児のベビーシッター役となり難儀だった。そのベビーが小学生になり6年が経過したことになる。以来アパート生活を始め、一度は自宅購入をしているがその内離婚してアパート生活に戻った。ベビーシッター役で渡米した際、アパート探しに付いて回ったが、あまりに違う日米のアパート事情に驚いた。その一端を報告してみよう。

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先ず一口にアパートといっても日本とは全く違い、マンションといった方が似つかわしく、然も相当に高級な仕様になっている。第一敷地の広さが違う。結構宏大な敷地に栽植されたアプローチ。その中に独立棟や連棟式様々だがいづれの外観も豪華さを競っている。中央のドアを開けるとそこは丸でホテルのラウンジ様。高い天井にシャンデリア。フロアーにはゆったり寛げる椅子。壁面一杯の鏡やクリスタルガラス。コーナーにはフリーの飲み物やスナック。共用の設備としてプール、ジ?、ダイニング、洗濯室、PC、子供の遊戯室を備えている。常時数人いる職員と打合わせを終え、希望に沿った部屋へ案内される。各部屋は冷暖房完備で概ね絨毯を敷き詰めてある。部屋ごとにバスルームが付属しトイレ、シャワー、洗面台が付く。キッチンは冷蔵庫やトースター付きだがレンジ、洗濯機、乾燥機はマチマチの様で、共用設備をカードで使用するか購入又は外部からレンタルしてもいい。そして居住民になると完備されたセキュリティーでしっかり守られる事になる。

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さて気になるのはお値段。当然寝室数によって決まるのだが、日本式の頭金、礼金、敷金は一切なし。当初諸手続き代として3~4万払うのみ。引越しも車と人さえ間に合えばただ同然らしい。違うのはここから。契約は概ねアパート側の事情に左右される。移動の多い時期に契約終了になるように組まれ、入居者に事欠かないような仕組みらしい。入居者の希望に沿う形の場合割高になり、いづれも再契約を結ぶ際は決まって数%高にるという。娘の場合家賃は10万円強。住まいに関する諸経費を2万に抑えたく、引っ越しを繰り返さざるを得ない事情もあるようだ。今のアパートは若者が多く週末には若者で賑う。その多くは学生達で部屋を複数でシェアーしあってるらしい。日本のアパートを見て「クローゼット?」と聞かれた笑うに笑えない話を思い出した。

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何度目かのアトランタ便り

2014年08月15日 | アトランタ便り

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この地について10日過ぎた。新学期が始まり、娘は3年生と1年生になった2人を車に乗せ7時20分に慌ただしく仕事に出かけた。私は毎度の事ながら当初の1週間は毎日片づけに追われ、昨日あたりからやっとホットする時間がとれた。というのも週末に引っ越しを終えたばかりの3日後に孫2人を連れた私が到着したからだ。私の訪米は連続3回いつもこんな調子で始まっている。慣れつつはあるとはいえ、長旅を終えてホッとする間もなく次なる作業が待っているのは身に応える。

Img_0958 まずは日本と大分違う学校の様子から報告しよう。登校日以前に17時から始まるオープンスクール。校舎のガラス窓に掲示されたクラス分けに従い担任の待つ教室へ向かう。立ったまま出迎えた教師とそのまま挨拶をかわした後、生徒の机の上に置かれた書類を一式受け取り体育館に向かう。そこはいくつかのブースに別れスクールバス、ランチ、学童、ボランティア(PTAのようなもの?)等詳細な説明を受けつつ申し込みを行っていた。孫が外国で育つ私達のような者にとって、教育問題は大きな関心事で何ともアッケない思いだ。上の子が新一年生の際は、学校や学童の説明会が開かれ親、関係者一同が集ったのだが、今回は儀式はなく進級という事できっとシンプルなのだろう。

Img_0990_4 書類の1枚には必要文具が羅列されている。メーカー迄指定されたノート、ファイル、鉛筆、色鉛筆、マジック、ハサミ、テープ、糊、果てはボックステッシュ、ペーパータオル一巻といった具合。毎学年必要文具はそうやって提出され、クラス共用物とされる。物品は個人用として大切に、丁寧に、長く使うという日本式習慣とは異質で、自宅の机周りに余る程の文具があるのも頷ける訳だ。年に1回は訪ねる米国。長短様々に感じるのだがいやでも目に付くのがその消費生活ぶり。教育現場でこうだから「物を大切に」と教える事は難しい。物品は一つ一つも大きく、教科書も分厚く学校に置きっ放しでカバンの中は宿題ファイル、ペンシルケース以外はランチボックスのみ。今朝も見送りの私に手を振りつつ、カバンを背負い元気よく車に乗り込んだ。

前回分の写真部分を修正しようと試みたが失敗!更に拙いが止む無し。

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散歩中に迷子になる

2013年09月01日 | アトランタ便り

 昨日、事は起きた。午前中は例によって保存食をつくり、午後多少の買足したい物もあってアパートを出る。歩いて2分の大通りを渡り、モール形式になっている専門店の寄り合いビル(これが又巨大で、複数列ある左右通路が交差する地点は全て吹き抜けになっていて、休息用の応接セットやコーヒーショップ、新車数台の展示やピアノの設置など、利用客を飽きさせない工夫満載である)を突き抜け次なる大通りに出た。娘は仕事に出てる為最初から一人歩きだったので、大回りをせずに済む様、各出入口とアパートの方位の位置確認にほぼ一日費やしたのだった。

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 普段から歩行自体は嫌いではなく、一旦散歩に出ると休息を含めて3時間位は苦にならない。前回通った道を頼りに更に少しづづ探索してゆくと、ココに繋がるんだという箇所が増えて来る。今回も一年前歩き回った箇所に何度か遭遇した。私が一番困難を覚えるのは、道路は車社会を前提に作られており、横断道路は限られしかも車が停滞しないよう信号待ちの時間が長い事である。それに大回りをせずに済むようビルを横断したいのだが、アップダウンの多いアトランタの街は、地下数階~ひょっとしたらビルの3-4階に至る迄、パーキングや店舗、事務所、貸室果てはホテルの部屋に繋がっており、ビルに入ったはいいけれど、出口を求めてウロウロ。意を決してたどたどしく尋ねても、駐車場に通ずるエレベーターを教えて呉れる程度である。

 昨日はこうだった。3時に出かけ、6時に帰りつく娘より早く帰宅している筈であった。別方向に見かけた他のマーケットを目指した。しかし一向に行き着かない。買物は諦め、その界隈を探索しようと歩き回っている内に、スッカリ方位が分からなくなった。誰でも入れる高いビルがあれば、アパートの所在が確認できる建物が探せるはずだが、生憎それらしい物はない。それ以上移動を続けても返ってムダと判断し、見かけたお巡りさんに「Excuse me I lost my apartment-house.Please phone to my daughter where we are」とヤットコ伝えた。彼は私が差し出した電話でしばし退社中の娘と会話し、娘が依頼したコーヒーショップを、自分のI Phon上に示し、そこで待つよう言った。そこは娘達と何度か利用した店で、帰宅途中に少々周り道をして私を拾ってくれホッと安堵した。

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今年もアタランタ便り

2013年08月28日 | アトランタ便り

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 昨年もそうであったが、長らく休筆していたブログを再開したのはアトランタ滞在中からであった。今年もそうしてみよう。当初の2週間は室内の片付けに精を出し、その後は街の探索をする。郊外に住んでいた昨年は、スッタモンダの末バスと電車を利用して、訪れたレノックスの街であるが、今年はその街中に近いアパートに引っ越したので歩いて探索可能なのだ。といってもビジネス街や駅界隈は歩行者を見かけるが、近隣の歩行者は犬の散歩以外先ず見かけない。犬を連れた人はほぼスマートでいわば犬は人間の健康管理者に見えてくる。

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 3週間強の滞在を終え、帰国まで一週間を残すのみとなり、おとつい辺りからつくり置きの利く料理つくりに励んでいる。なにせ普段の食生活が偲ばれるのだが鍋、釜、ボール、ザルの数が限られエイヤッツと一気に物事が進まないときている。離婚して一年。子供の学校を第一にと街中に引っ越した一LDKの住まい。冷蔵庫、レンジ(ガス、電子)、洗濯機、乾燥機、空調付きで10万円は超えるらしいからそうそう物も増やせない。第一私には必要でも、彼女らに無用の長物なのだから。私が暮らしたアパートだけでもココが4軒目。更にはもう一軒のアパートと自宅購入(元夫居住)という時期もあった。米国生活6年目にしてこうだから、この先どうなること。。ヤラ。

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 今回教育的配慮から引っ越したのだが、8月7日から新学期がスタートした。流石にいい学校と娘は大いに気に入っており何よりだ。親に対するオリエンテーションはいつも夕刻からで、私も2回参加した。勿論話を聞くためではなく、学校の様子や、先生方の紹介(教育関係の大学院卒業者も多数)や、実際の教室、学童保育室を見学したり、学校や父兄の様子、雰囲気を知るためである。そして何より驚いたのは、特に、プレスク-ルと言い年長さんから地区の小学校に通うのだが、そのクラス担任は、印刷物は言うに及ばす、子供たちの学習や遊びの様子をメールで配信しているのだ。印刷物も多く親は目通しを免れない。一ヶ月を超えて滞在すると多少の諍いも生ずる。ナンダカンダあっても必死に頑張っている娘はケロリとのたまう。「来年は2人よ。よろしくネッ」

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Flat Stanley's Journal

2012年11月14日 | アトランタ便り

 過日アトランタの娘とSkypeした際あるお願いをされた。この種の依頼は2度目である。長女の学校の宿題のようなもので、そのまま近日中封書にして航空便で送るから、同封されているフォーマットに従って必要事項を記入し、なるべく早く学校宛返送してほしいというものだった。

002 数日後航空便が届いた。いずれも学校から持ち帰った英語で書かれた依頼文と、返信用のフォーマットと孫が描いたStnleyのカードが入っていた。内容は「私達は地図や地球について学んでいます。程なく地形や天候についても学びます。又Staleyの物語も読んでいます。彼はパンケーキのように薄く、手紙やメールでどこへでも行けます。休暇中の彼が遊びに行きますので、一緒に沢山遊び、彼が書く日記を手伝い、学校に送り返して下さい。そうすれば彼が貴方の国で何を見たか、したか知ることができます」とあった。

 フォーマットの方には、記入者の名前・月日・場所・送信者名を明記した上で、Stanleyの滞在中の気候とその他の季節について、地域の特色、地域の地形(山・川・台地)等々。その他面白い行事やイヴェントなど書いて下さいとあった。何せ届くまでに時間を要したので、夜読んで朝一番に返信した。局では行先を見て、サンデイ(ハリケーン)の影響で時間がかかるかもと言われた。昨年は「祖父母の日」のイヴェントで別種の依頼を受け、幼稚園宛に返送したのだが、それは壁に貼ってあったらしい。遠来の地に住む孫達ゆえ日常的に構ってやれない。その分少々困難なお願いでも、今後とも出来ることは目一杯やってやろうと思っている。

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再び静かな生活に戻る

2012年08月15日 | アトランタ便り

 乗り換えを含む17(実質15)時間の飛行にしては、時差による体調不良は一切なかっが、帰国は午後便で、機中はほぼ夜の状態が強いられ不眠をかこつ私には辛かった。自宅に辿り着き、いつもの生活に戻るのに一週間かかったのも、ヤッパリ疲労困憊していたせいだ。体重計が示していたマイナスに私は思わず目を疑い我が身を労わった。例によりSkypeするのはいつも先方の夕食時なのだが、私が作り置いた冷凍食の風景を見、私がソコに居る様に話しかけてくるので、二重生活をしている気分になる。

315 姉の方は新学期が始まりその報告をした。学校は徒歩数分の所だが、スクールバス以外は全て親が送迎する必要があり、中学生以下の子供だけでの留守番すら、通報されたら犯罪になるらしい。車中に子供を置いておくことも瞬時たりとも許されない様だ。空港で10才位らしい子を頭に、4人の子供が丸でカルガモの様に母親に続いて歩くのを見とれていた。と、一人を残してトイレに入った。共に見とれていた娘が「ああして私が先にドンドン歩けばいいんだわ!でもああやってお利口な子が連れ去られるのよ!」と言った。実際連れ去りも多いらしい。今回向こうで知り合った方が、飛行機内で2才児を席に残してトイレに立ったら、隣席の米人に注意されたといい、あの狭いトイレに子供連れで行けというのかと呆れていた。

 Skypeでは私の念願だった机と真っ赤な椅子が常に奥の方に写る。姉が机に向かうと、妹も決まって食卓のマイコーナーに座る。丁度一つのスタンドが机と食卓を照らす角度になっているのだ。私は再び静か過ぎる生活に舞い戻り、ヤット本を読む気分になり図書館から借り受けた。それらを前に、娘も慌ただしい日々ゆえ、せめて夕食後の一時静かな時間を過ごした後、子供らを眠りにつかせて欲しいと念じているのダガ・・・。(茶せんの様なシェラトンホテルの照明)

 

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根詰めヤッツケじゃBy-by

2012年07月26日 | アトランタ便り
 つい先日までは前日はユックリ寛いでいる筈だった。それなのに、一日しか残されていない一昨夜、目覚めると私は布団の中で思案を巡らしていて、終には起出す。冷蔵庫を開け野菜や材料の使い残を最小にしようと算段する。何せマーケットで求める材料は全て大袋で、買ったからには使い切る工夫が必要なのだ。
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 そんな訳で昨夜は3時に起出し、一連の作業を終えたのは昼過ぎだった。途中いつになく何か変調を感じた。早起きしてやり出していた事をスッカリ失念していた。プールサイドのクラクラは暑さと時間に関係するので、水分補給や両足を水につけたり、定期的に日除けして凌いでいたが、クーラーの効いた室内ゆえ油断があった。立ち放しが長すぎたのに気づき、お茶をのみ足を高くして横臥し一息入れたのだった。作り置きだけなら難しくないが、保存しかつ解凍し易い量でとなると結構手間取る。作り、冷まし、分けて最後に品目ごとにシールを付けて判り易く保存した。そうしたいつにない作業は、私のキャパシテイを超えてしまっていたのだろう。用心!用心!

 そして迎えた本日。全ての水周り、台所周辺の掃除と点検、ゴミだし、加湿器やまな板等を洗って太陽に当てる。あと2時間したら娘が戻り、空港まで送ってくれるという。太陽光線が強いのでそれらをキチンと終って帰れるのは嬉しい。伝え忘れた数点をメモ書きして置く。ところで大雑把な娘は、ガス台や浴槽等が綺麗に磨かれ、清潔になっている事を気づくだろうか?終わりければ全てよしとせん!


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高・音響効果の映画を見る

2012年07月23日 | アトランタ便り

 当然の事ながら2ヶ月娘と共に暮らしていると気づく事も多々ある。私の方がマダ優位にある事も多いが、もう完全にお手上げ状態も多い。その第一は異国で暮す能力だろう。少々のことは物ともしない精神は私には太刀打ち出来ない。長らくの生活習慣もそう容易く切り替えられない。これは単に年齢の相違だけだろうか。かって孫は2ケ月半の訪日中に、言語を始め完全に日本に同化してるかに見えた。それに比し私は新しい英語の一つも獲得出来ていない。

 031私の滞在も残すところ数日となった。余計なお世話と思いながら、先日はTV台兼用の4段引出しの中身を整理した。雑多な書類やレシート、電気機器の仕様書や端末の機器、文具、写真、手紙、孫への誕生会の招待状や学校での作品、ゴーグルやサングラス、果ては両手両足揃っていない片割れの物や玩具迄混在し、一向に片付ける気配がなかったのだ。書類関係に至っては英語での表記が殆どで、重要性も判然とせず思うに任せなかったケレド。そのTV台も、新たな家具を求める気はサラサラないまま中古店の洒落た台を求めようとし、引出付きという私の勧めに従ったのだった。

 さすがの娘も私の帰日が近づきいい思いもさせようと案じたようで、娘のアパートのプールでたまたま訪米5ケ月というご家族と会い、その方の知人宅で私も一回英語のレッスンを受けた関係でその友人一家も誘い、昨日はプールパーテイをした。いづれも幼児を持つ若いご夫婦で、2人のご主人はアメリカでの仕事のやり方を面白く語って下さった。その後「風と共に去りぬ」の記念館に行き、更にあらすじさえも掴めない音響効果の高い映画を見て23時過ぎに帰宅したのだった。

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梅雨のない真夏の日々

2012年07月20日 | アトランタ便り

 日本は梅雨の最中である。九州の方はかなりの被害が出てる様で、例年何処かに大被害を及ぼし年中行事化している。日本では米国の大きな山火事や大型台風による被害や、竜巻などのニュースは聞かれるけれど些少な風水害は余りない?アトランタに来て私が移動している距離は知れたものだとしても、街中や道路は結構傾斜がついていて日本との差異を感づる事は多いが、国土が広いから比較的平坦な地域に人や物が集まり、山沿いや海沿いに已む無なくすむ必要はないからだろう。

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  梅雨の終わりなんとする日本は湿気と蒸し暑さのダブルパンチだろう。昨年より原子力の問題があって節電モードも高まっていよう。従順な日本人は止むなしとして粛々とそれに従う。 それがこの国だったら? 恐らく危機管理が徹底しているから発生自体がなかった? 発生していたとしても黙って従うこと自体考えにくい? この消費大国の人々に節制、節約、節電を強いるのは容易ではないと思える。

 私の居住している地域は郊外だから高層建築はなく、地平も空も限りなく広く天も高い。孫と一緒の午後は決まってプールに行くのだが、たったその2時間の内に空が次第にかき曇りその内雷鳴が轟くというのは最近ちょくちょく出会う現象だ。そしてその雨たるや勢いが凄い。縦横に走り回っている高速道路や人家のある所はコンクリートだらけで、アパートといえども全室冷暖房完備。しかもほぼつけっ放しだから、相当の熱気が上昇し気流の関係でこんなに豪雨になるのだろうか?娘宅には骨の折れた雨傘が1本あるきりだ。しかもそれは車内に置いてあり自宅にはない。地下駐車場の作り故それで済むのだから、2人切で何本も傘のある東京の自宅とは大違いである。(写真はオリンピック公園)

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Weekly○○タブロイド版

2012年07月13日 | アトランタ便り
 日常的に出向くスーパーにはないが、日系人がよく利用する商店やレストランの店先には日本語のタブロイド版がおいてある。主に当国や自国のニュースの縮小版、生活支援に対する宣伝 (教育、保育、健康、美容、サプリなど特に医療関係が目立つ)求人、不動産等テンコ盛だ。移民や外国人居住者の多い国や場所では何処でも同じだろう。つらつら眺めていると必需の関係が仄見える。とりわけ国民皆保険制度のないこの国での医療に対して、日本人の不安は大きいだろうと推察される。電話で長々と業者と遣り合ってる娘すら、子供の医療は日本人スタッフのいる診療所を使っている。医師は日本育ちの見目麗しいアジア系の男性で子供達も大ファンのようだ。
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 先週のタブロイド版に「医療保険改革法は合憲ー加入義務含め米最高裁、オバマ氏再選に追い風」の一項を見た。共和党保守派は、法制化の過程で社会主義化と批判し、反オバマの保守は連合「ティパーティー」台頭に繋がったとした。丁度2年前娘がアトランタに引っ越して程無く子供2人連れで初帰国した。2ケ月半の無保険が心配で市役所に相談に出向いた。職員は懇切丁寧に対応し、即刻3人の住民票と国民保険証を作り当日持ち帰ったばかりでなく、児童手当ての手続きまでとってくれた。米国で公的機関の手順の非効率さにいらだっていた娘は、日本の役所の親切さと効率の良さに感嘆していたのを思い出す 

 国民健康保険を得た娘はこの際と自分の歯の治療をした。そして折角の機会だからと子供連れで両親の故郷に里帰りもした。そこではしゃいだ孫は頭を机にぶつけ血が流れた。病院に駆け込み頭皮を縫いその保険証が生きたのだった。そしてもう一方の児童手当の方は娘らが帰米して後、娘らが記しておいた私達の通帳にルールに従って振り込まれたのだった。退職してもなお割高な税の種々にマユを寄せがちであったが私達も、そのシステムの機能に納得させられたのだった。(ベランダで椅子の上に孫の布団を日干=禁止行為)

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