あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

京王百草園で観梅

2017年02月24日 05時21分12秒 | 梅散歩
2017.2.19、府中市郷土の森博物館の観梅を楽しんだ後、府中市のコミュニティバスちゅうバス(¥100)で最寄の芝間稲荷神社前バス停12:15発に乗車。京王中河原駅下車。京王線で百草園駅へ。
京王百草園のホームページには徒歩10分とあったのですが…。
激坂でしたっ!!幹線道路から細道に入った時坂道が見えた。
突き当たりまで上ったら、坂道は右折してもっと斜度がキツい坂道が続いてた。
坂道の奥に突き当たったら、もっともっと急坂が待っていた
〜〜〜一端休憩。
「徒歩10分」って、どこのアスリートがたたき出した数字なのでしょうか?不動産屋の「徒歩10分」より信用出来ない!!
愚痴って息が整ったら激坂上り開始!
もうね。道の右側に手すりがついてる所からしてお察しです。道々、梅の写真パネルが並んでいて、諦めようとする来訪者の心を折らないように誘うのね。
青息吐息でなんとか【京王百草園入口】の看板が見つけた。

激坂が終わって正門入口に視線をやると、来訪者の心を折る石階段があった…。そんで入園料支払い所の奥に更なる石階段も見える…
もうね。吐きそう〜〜。辺りを見回すが吐ける場所がない。道路の向いに小さな公園はあるけどトイレはない。ダンナに「無理〜吐く〜」と訴えて公園のベンチでしばらく休憩をとる…。体感でいくと、富士山と菜の花のコラボを撮影した二宮町の吾妻山上りと同じ位辛かった!
今朝、吐き気防止のお薬を服用しての観梅散歩なのですが、即効力はあるけど持続力が足りてないのか?それとも激坂っぷりが薬の効力を超えたか?久々に謎の液体が大量にこみ上げて来て耐える。吐く場所がないから耐える。私は何と闘っているのか??空しい…。
そしてようやく闘いに勝利し(=吐き気が治まり)入園の行列へ向う。時刻を確認したら13時6分!うそ〜んまさかの府中市郷土の森博物館から移動に1時間もかかってるやないの〜〜
入園料300円。(ただし京王カードだと割引あり)更に京王タクシーで来園すると梅干しプレゼントあり。おおう和の庭園なのに商業的ね〜。
石段を上る。石段の左右に見頃の梅が植わってるけども、とても観る余裕がない。石段が〜急なんだ〜。ちなみに石段が苦手な人用に大きく迂回する上り坂もあります。
園内で一番の見所松連庵前の広場に出た。

素敵〜眺め最高〜
ちょっと待て!!
さっきまで私はあそこにいたんだよね?
ああ…激坂〜崩れ落ちそう〜。
気を取り直し散策再開。

松連庵の広場には屋台が出てました。かつては松連庵にそば処がありましたが、既に閉店し来園者は屋台を利用してね?というスタイルのようです。

松連庵の前に立派な梅の古木がありました。
説明板発見:寿昌梅
「小田原上書大久保候室寿昌院慈岳元長尼が徳川家康長男・岡崎三郎信康追討のため植樹したと伝えられています」
な・なんだってぇ〜〜!!まさかの岡崎信康くんのお名前をここで目にするとは!!いや、追悼ならば、後の時代の植樹の可能性もある訳ですが、仮に信康君追善供養なんかだと死後1年後くらいです。んで、歴史をひもとくと、岡崎信康くんは天正7年(1579)9月15日に、父家康に命じられ21歳の若さで切腹させられてます。確か、信康くんの奥さんがあの織田信長の娘で彼女と家康の妻(今川方)との折り合いが悪かった。ひいては夫の信康くんと妻の折り合いも悪くなったのが敗因。時節柄信長が最強権力の天正年間だからして、後の天下取りの家康を持ってしても長男を犠牲にして家を守らずを得なかったのです。信康くんが優秀だっただけに家康も無念だったことかと。長男の名前が信長から1字。家康から1字。で「信康」だったから間違いなく総領息子だったのにねえ。
ちなみに岡崎信康くんのお墓は服部半蔵の屋敷跡の新宿区西念寺さんにあります。
ちなみにこちらの記事に岡崎信康くんのお墓の画像があります。
服部半蔵と西念寺)2012年4月19日)の記事 家康に仕えるべき若殿の切腹の介錯を命じられた半蔵は、若の首を落とす事が出来ず、自宅の麹町清水谷の庵に信康くんの遺髪を埋めます。後に江戸城の外濠の造成の隊に服部家の家も移転。現在の西念寺さんにあるのは墓というより半蔵が造った供養塔になるのかな?でも歴史ロマンですよね。そもそも服部半蔵の墓を見物したたら、背後に時代を帯びたお墓を見つけて見に行ったら岡崎信康くんのお墓を見つけて感動したのですよ。半蔵くんからしたら、生きて若に仕える事が出来なかったならば、死して後若の側に参ります?とか〜〜っ!と妄想しちゃいました。ええ。
あ。それた。寿昌梅だった!ってか、岡崎信康くんが死んだのが1579年だから、近い時期に植栽されたとしたら、樹齢400年超えにもなってるんですね。ってか、京王百草園ってそんなに古くからあるのか??
折よく説明板発見:百草園(もぐさえん)(松連寺跡) 日野市指定名勝・史跡
「百草園のある百草地区一帯には、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、鎌倉幕府の御願寺であった真慈悲寺があったと推定されている。
その後この地には松連寺という寺院が建立だれた。この寺は江戸時代中期に、小田原藩主大久保加賀守忠増の夫人であった寿昌院慈岳元長尼が再興したことで知られている。江戸近郊の名所として「江戸名所図絵」などにも紹介され、大田南畝ら多くの文人墨客が訪れたが、明治になって廃寺となった。
明治20年(1887)に百草出身の貿易商青木角蔵が、庭園百草園として一般に公開し、北村透谷や若山牧水ら多くの著名人が訪れた。
現在は京王電鉄の所有となり、梅の名所として広く知られている」
あ。梅の樹齢を推定出来る一文発見。
江戸中期に生きた小田原藩主大久保忠増の生没年は、wikiによりますと明暦2年(1656)ー正徳3年(1713)です。小田原藩2代藩主。大久保家4代。寿昌院慈岳元長尼は、彼の正室で松平忠弘(陸奥大和藩→姫路藩→宇都宮藩→白川藩→山形藩藩主)の娘でした。
彼の治世、宝永4年(1707)に富士山が大噴火。小田原藩も大打撃を受けてます。その4年前の元禄の大地震の余波もあり小田原藩の財政は逼迫してます。そんな中、寿昌梅は植栽され、今私の目の前で花を咲かせていると思うと感慨深いです〜。歴史好きにはこの梅の萌えポイントは高いですねっ。
京王百草園の名所は寿昌梅の正面にある松連庵です。上の画像奥の茅葺き屋根の建物がそれ。訪れた時につるし雛まつり(2/18-3/5)が開催されていました。

つるし雛かざりはどれもかわいくて、たくさんの画像を撮影しましたので、明日別だて記事にして紹介します。お楽しみに〜。

松連寺さんと梅のコラボはフォトジェニックです。

残念ながら屋内で営業していたそば処が閉店した影響か、茅葺きの一部を最近吹き替えた模様。それはそれで味のある期間限定の屋根色ですが。風雅さは減じてます。

松連庵のそばに心字池がありまして、周囲に梅がありました。



松の雪吊りなんかもあって和の庭園を楽しめます。

さて、ここまでに園内にちらほらと文人達の歌碑が点在してましたので、いくつか紹介。
松尾芭蕉句碑
説明板発見:芭蕉碑「華見塚」の由来
「心字池を見下ろすように、山の斜面に「華見塚」の碑があります。
この碑の表には「しばらくは 花の上なる 月夜かな」の芭蕉の句が刻まれています。
高竹山隷の額、菫山素水の書、横溝豊の刻によるものです。裏面にはこの碑を建立した由来が刻まれています。それには、青木角蔵は、明治始めの廃仏毀釈で荒れ果てていた旧松連寺の跡地を、江戸時代に多くの文人墨客が訪れた風光明媚な姿に戻すべく整備しえ百草園と名付けたと刻まれています。この地にはもともと芭蕉の「月見塚」の句碑があったと言われていましたが、当時すでに無く、新たにこの碑を建てたとあります。この碑は、青木角蔵による百草園開園を顕彰して明治20年3月(1887)に三堀武蔵によって建てられました」
若山牧水生誕百周年記念碑
説明板発見:若山牧水生誕百周年建立歌碑
「百草園の歴史は府来る享保年間(1715年頃)松連寺の庭園として造られ、文化・文政の頃より歌会句会などでにぎわっておりました。
明治に入り代表的歌人の若山牧水(明治18年8月24日に宮崎県に生まれる)も早稲田大学在住中武蔵のの自然を愛し、度々百草園を訪れております。明治41年春、恋人の園田小枝子と共に百草園で楽しいひと時を過ごし「小鳥より さらに身かろく うつくしく かなしく春の 木の間ゆく君」
恋人に対する親しみと憧れの心を詠み翌年夏この歌を加えた歌集「独り歌える」を編集し歌人として名声を得ることになりました。ここに生誕百周年を迎えるにあたり歌人若山旅人(牧水の長男)選歌揮毫による歌碑を建立し記念するものであります。 昭和60年11月吉日」
若山牧水歌碑
説明板発見:百草園と若山牧水
「旅に生きた憂愁の歌人として有名な若山牧水は、まだ学生であった明治40年前後に、百草園の自然を愛して、しばしば訪れていました。
41年春には、小枝子という美しい名の恋人を連れて泊り、熱烈な恋の歌をよんでいます。
しかしこの恋は悲恋に終わり。1年後にふたたび百草園を訪れた牧水はひとり静かに思いにふけり歌集「独り歌へる」を作りました。そして、この時期に歌人として立つことを決心したのです。
この牧水と百草園の深いゆかりを伝えるために昭和46年秋に建設された歌碑は、牧水の長男和歌山旅人氏が設計しています」
心字池の奥に逍遥しながら石段と土段を上がると見晴らし台があり、園内を見下してみた。

んん〜??人々が遠くを眺めて指さしている。会話を拾ってみると「スカイツリー」とか言ってます。ん〜??

何か見えた気がする…。
あれだ。関東の人は更にいうと観光してると富士山とスカイツリーは探したくなるんだよね〜。ちなみに、画像右手奥には筑波山も見えるらしい。へえ〜へえ〜へえ〜。
お気づきかと思いますが、百草園に到着する前の激坂に加え、園内に入ってからもここまで上りっ放しです。〜〜〜疲れた〜。二度目は勘弁〜〜!!ヘタレな私は若山牧水にはなれない模様。時刻はぼちぼち14時。

園内左手の里山の影が随分伸びて来て、園内に影が落ちてしまい撮影すると梅の色も不明になってきたので撤収しよう。青空にシルエットの梅の樹というのもそれなりにフォトジェニックだけどね。
ってな事で松連庵まで降りて来ました。
ふと?左手の竹林の向こうに大きなパネルが並んでるのに気付く。何かしら〜?

出口…。
出口の先に百草八幡宮があるんだって!設置してある大きなパネルも含めて面白かったので、これも別だて記事にします。つるし雛まつりの記事の後に紹介します。
ちなみに、百草園の入場券があれば再入園可。ついでに拝観がおススメ。ここさ、百草園を出て改めて参拝しようとしたら、長い石段上りがあるんだよね〜。体力が平均より大分足りてない私は、正式な神社仏閣の参拝法にこだわってられません。
松連庵から正門に戻る時は緩やかな坂道の迂回路じゃなく、石段で。

せっかくなので撮影してみた。上りの時は辛過ぎて心に余裕なかったからね。
正門を出て京王百草園駅に戻る坂道も、降りる時は心に余裕があったので撮影してみた。
 
いかがです?激坂でしょう?取りあえず満足出来たのでこれにて撤収〜!たぶん再訪はナイ。激坂が辛過ぎる…。自分の体力が「不安な方は無理せずタクシーを使う事をおススメします。

例え百草園のホームページやパンフレットに「徒歩10分」と紹介していてもタクシー推奨です。百草園の坂を回避してくれるバスはありません。
参考までに、園内マップです。マップでは分かりにくいのですが、マップ下から上に向って上りになってます。あ。迂回路を使えば、園内の見所の松連庵までなら車椅子でも上がれるよ。まあ介助の人に押してもらうの絶対だけども。
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