あられの日記

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馬堀海岸を西へ

2014年12月23日 00時52分16秒 | 歴史散歩
2014年11月23日、観音崎散歩へ出かけました。
実はこれ、6月にあじさい散歩を兼ねて訪れる予定で、切符を購入済だったのですよ。でも体調不良で動けず取りやめてしまったのですが、有効期限が11月30日に迫ってきてしまいまして、紅葉のベスト行楽日を観音崎散歩にあててしまいました。
まあ、紅葉は全然でしたが、歴史散歩としてはなかなかだったので楽しかったよ。では今日は京急馬堀海岸駅から走水神社到着まで紹介します。
トップ画像は、京急馬堀海岸駅から南へ続く道の街路樹が貝塚でした。時刻は午前10時25分。
まさか日本にも貝塚の街路樹が残っているなんて~。
あ。私が覚えてるのは、中国の旅順の旧市街です。そもそも旅順に貝塚を植えたのは日本人です。でもまだ現存してました。
旧関東軍司令本部(2010年8月16日)の記事こちらの記事に旅順に植えられた貝塚の画像があります。旅順のあちこちで貝塚を見かけましたが、普通にあったので、街路樹の貝塚画像は撮影し忘れたようです。何やってんでしょうね~。
やがて視界の奥に見えて来たのは…。ン?何かやってるな。

フェニックス並木が海岸沿いに続きます。道路の向こう側を走ってる人々がいます。見えますか?

これね、よこすかシーサイドマラソンが開催されてました。
最高の眺めで海辺を走るのは気持ち良さそうです。
フェニックス並木の車道を歩きにくいので、海側の散歩道を行く事に。

ん??あれは…。もしや~~。
ああっ!!ふ・富士山だ~~~っ!!分かります?既に富士山が雪をかぶってるので、裸眼でなんとか判別つくけど、携帯電話で撮影したらどうだろうか?

だいたいこの辺に富士山が見えてるんだけど…。この角度から富士山が海越しに見えるとは思わず、びっくりしました。

フェニックス並木が途切れてすぐ、緩やかな上り坂になります。と。見えて来たのは今年の4月の桜の時期に併せて一般公開された走水水源地です。
海と桜(2014年4月12日)の記事こちらに春の桜の一般公開時の画像があります。
走水水源地・煉瓦造りの貯水池です。
明治35年軍港水道用として造られました。横須賀の国登録有形文化財第一号の貴重な建物です。桜の奥の桜を見ようとここを選んだのですが、道の反対側にあったこの煉瓦造貯水池の画像を撮影し忘れたので、こん回めでたくコンプリートです。

走水水源地から更に緩い上り坂が続きます。もう富士山の輪郭は空と判別つかなくなりましたが、東京湾唯一の自然島・猿島や、第一第二海堡、遠く房総半島などが見えます。夕日の富士山撮影ポイントでもあるようで、展望台にはダイヤモンド富士の説明板が立ってました。
展望台を過ぎると、すぐ見えてきた道ですが…。何かヘン。
これね、歩道が直線方向に続いてるのですが、歩道のみ急な下り坂なのですよ。なぜにこんな不思議な造りになってるのか?頭を捻りつつ進んでますと、左側から子ども等の声が聞こえてきました。声は走水小学校から聞こえてきます。って、なぜにあんな場所に小学校を造ったのだろうか?

広域避難場所に指定されてるようですが、避難の原因が地震だった時、怖くて避難出来ない気がする…。や。小学校の敷地から釣り出来そうですが。
さて、上の画像を撮影したのは、御所ケ崎公園でして、これがなかなかの歴史ポイントでした。

実は、ヤマトタケルの命が東征の際、ここに臨時の御所を設け、軍旗を立てた伝説に由来。旗山崎とも呼ばれる場所。
説明板発見:日本武尊 弟橘媛命 伝説の地 御所ケ崎
古事記・日本書紀によれば日本武尊が東国征伐のおり、走水から上総(千葉)へ船で渡ろうとした時、海が荒れて進めず、弟橘媛は海神の怒りを鎮める為に身を投じ荒れ狂う海をしずめました。
地元伝承によれば武尊がこの地に臨時の御所を設け軍旗を立てたことから御所ケ崎、旗山崎と呼び弟橘踏めは御所ケ崎先端の「むぐりの鼻」に侍女たちと共に身を投じたと伝わります。港には尊が海を渡るときに乗船したといわれる寺島(御座島)の名があります。 だそうで。
ちなみに説明板がもう一枚ありまして。
走水番所・旗山崎台場跡
天正18年(1590)徳川家康が関東に入封しました。
その後、船手衆である向井一族に命じ走水に御船番を置き、向井政良は御船番、走水奉行を務め、後に三崎奉行・向井忠勝が兼任しました。
三崎では上がり船を、走水では江戸に下る船を検査しました。
今も同心町海岸の名前があります。
天保14年(1843)川越藩が江戸湾海防のため台場を築いた所で、六梃の大砲を配備し異国船の侵入に備えました。
明治19年(1886)旧陸軍によって築かれた半円形の低砲台が前方の松の木の下に現在も残されています。
だとか。
ん~??もしかして、上の画像の海面と岬の境い目がカーブを描いてるのってもしてして、砲台跡だったりするかも~??
説明板についていた絵です。

公園から西へ歩いてすぐある歩道橋。地味にチェックポイントでして、ユーミンの『よそゆき顔で』で歌われる観音崎歩道橋らしい。ってか、ユーミンのその曲を聞いた事ないんで特定出来ないんですが、手持ちのウォーキングマップにそう書いてある。
歩道橋の上からの眺めは最高です。

最高だけど、電線が邪魔ですね~。
歩道橋を降りると目の前にあったのがこれ。

こういう絶景もアリなのね。私ならここには住めない…。怖い。
旧道を行きます。右手に覚栄寺(覚栄寺<浄土宗> 墓地には向井一族・政勝系統の墓があり、奉行・向井政良の長墓様といわれる逆修塔の政直・正道・半十郎の宝篋印塔や五輪塔、石浮彫りの碑・石燈籠などがあります。)寺院からは走水の海が見えます。
覚栄寺・円照寺・大泉寺が3つ並んでいて、4つ目が走水神社です。
最近パワースポットとしても有名ですね。 明日に続きます。

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