3月22日、茅ヶ崎市の氷室椿庭園の200種の椿を見にゆきました。見終わったらもうお昼。
氷室椿庭園でお昼にしてもいいけど、10分も行けば海岸に出るのだ。なら海を見ながらお昼ご飯にしたいです。
氷室椿庭園に着く前に迷って図らずも周辺をウロウロしました。氷室椿庭園は三井不動産の副社長の氷室氏の庭園でした。周辺のおうちもそれなりで、大きなお屋敷やレトロ建築・一軒家なども一杯。迷って椿庭園を探すのも楽しかったです。
上の画像は椿庭園から海岸の途中で見かけたお庭。ローズマリーが満開でした。
「弱虫ペダル」って知ってます?元は少年漫画ですが、アニメ化・ドラマ化・舞台化されて人気です。アニメ好きの男子高校生が入学した高校にアニメ部はなく、ひょんな事から自転車部に入部。なぜか自転車に適正があった彼はインターハイの選手になります。自転車部の競技は団体戦。ともかくゴールを切った生徒の高校が勝ちになります。その時の舞台が江の島から箱根のコースです。上の画像を全国の高校生が自転車で駆け抜けていきます。
こんな素敵な道が競技コースなんていいでしょ?
ちなみに、競技でなくともサイクリングに最適。
松林は防風林。松林の向こうはもう茅ヶ崎の海が広がっています。
遠くに見えるのは烏帽子岩。これを眺めつつあんパンをパクつきました。
さくらあんパンを食べ終わり、リンゴのパンケーキを取り出した所ーー。
「トンビに気をつけなよ〜」と。下から声が聞こえて来た。
ん〜??今の、もしかして私に言ったの〜?
「トンビがさ、後ろから狙ってくるんだよ〜」
おじさんでした。おじさんが指さす方を見ると、トビが2羽輪を描いてます。
む??もしかして既にロックオンされてる?
実は以前鎌倉梅散歩の時、稲村ケ崎でお昼ご飯をパクついてる時、しゅっとあんパンをトビに盗られた事がありましてね。
トビに襲われた(2012年3月28日)の記事鎌倉梅散歩の途中、お昼ご飯を食べてたら…。という記事です。
「わかりました!」と返事を返しリンゴのパンケーキをしまいお散歩再開!いきなり後ろから盗られるとショック受けるよね。もう二度とゴメンです。
烏帽子岩を眺めたベンチの横に歩道橋があります。
道路向こうは運動公園になっていて。ん?何かある?
これさ、国木田独歩の石碑です。
説明板があったんだけど、説明板が痛んでまして、一番上と一番下の文字が数個づつ読めなかった〜。
国木田独歩(明治4年〜41年、1871〜1908)は、詩人・小説家で、『武蔵野』や『鎌倉夫人』を書いた人。
1908年独歩は肺結核にかかり、茅ヶ崎にある結核療養所の南湖院で療養生活を送る。前年に刊行した作品集『運命は』が高く評価され、療養しながら作品を発表するが、病状は悪化、38歳で死去。<WIKIより>
上の石碑の背後に松林がありますが松林の裏に何があるか?と言いますと?
野球場なんですよ。この野球場は海側が松林になってるんだよね。
松林といえば、テニスコートも松林に囲まれてます。何気に素敵でしょ?
ちなみに、テニスコートの側に桜がありました。前回氷室椿庭園を訪問した時は調度見頃だったこの桜、でも今回は既に散り初めでした。
ん〜??これ、何桜かな?
この辺りの家の庭には、蘇鉄があるお家が散見。あと松の木。昭和の庭のお約束かな?それとも海辺の家のお約束なのか?今どき蘇鉄があるお家はまれですね。
高砂緑地に到着しました。
明治30年代に、この地の一画に、新派劇の俳優で、当時有名だった川上音次郎・貞奴夫妻が別荘を設けました。市内の小和田に別荘を設けた九代目市川団十郎を慕ってのことと伝えられています。今も緑地の中にある石の井戸枠が音次郎の別荘にゆかりのものといわれています。
上の画像奥の石組がゆかりの井戸になります。
大正8年(1919)、音次郎の別荘地だった所を含めて、付近一帯を実業家原安三郎が別荘とするために購入し松籟荘と名付けました。
高砂緑地の門を入ってすぐ左に、日本家屋と庭園があります。そこの梅は早咲きのようで、訪問した3月22日には既に花はなく。風情ある枝振りを楽しむのみ。
日本家屋の奥が小高くなっていて、そこに洋館がありました。戦後しばらく占領軍に接収されました。後に貴重な近代洋風建築物として、またすぐれた別荘建築として高く評価されました。
主屋は老朽化で取り壊されましたが、石畳や階段に在りし日の名残りがあります。
高砂緑地には文人の詩を刻んだ石碑などが散在しています。高砂緑地を後に。すぐ近くにあるカトリック茅ヶ崎教会にも蘇鉄と松がありました。
道路は狭いけど、レストランが散在。この辺りお金持ちが多いのかな〜?一軒一軒の敷地も大きいし。どこも素敵なお庭だし。
JR相模線に乗車。厚木駅で下車。行きでも気付いたのですが、いつの間にか小田急からJRに移動する途中に自動改札が出来てました!!
私はこの自動改札を待っていた!少し前までここに自動改札はなく、なんかタッチパネルがぽつんと1個あったんだけどさ〜。うっかりタッチパネルを見過ごしたり、気付かずに一端改札を抜けて再び入場して〜とか混乱してたら厚木駅から宮山駅(寒川神社最寄駅)800円以上引き落とされてたの。しかも往復だから1600円以上!それ以後、厚木駅で乗換が嫌になり、ずっと海老名駅で乗換えてたのね。まあ私が間抜けだっただけなんだけどさ〜。だから自動改札があるのを見てすんごく嬉しかったです。ここってすごく不思議な駅なんだよね。元からある改札に駅員さんいるんだけど、未だにあれがJRの駅員さんか小田急の駅員さんか分からない。1回質問したらすんごく横柄で威圧的な口調で対応されたから、詳しく聞くの止めたのを覚えてる。ここ数年来はずっと寒川神社さんに初詣に行ってるから何年前の出来事だったか覚えてないし。やや、初詣以外にも小田急から相模線利用してるしな〜。あ。それた。
ちなみに、園央道が出来、小田急線の厚木駅では園央道の下をくぐって小田急電車が来る様子が見えます。この奥さ、園央道の向こうは相模川です。相模川の鉄橋が見えて手前に園央道がある。奥から小田急線がやって来る。というのは、画像で見るより動画の方が感動出来ます。鉄道ファンにおススメポイントです。
氷室椿庭園でお昼にしてもいいけど、10分も行けば海岸に出るのだ。なら海を見ながらお昼ご飯にしたいです。
氷室椿庭園に着く前に迷って図らずも周辺をウロウロしました。氷室椿庭園は三井不動産の副社長の氷室氏の庭園でした。周辺のおうちもそれなりで、大きなお屋敷やレトロ建築・一軒家なども一杯。迷って椿庭園を探すのも楽しかったです。
上の画像は椿庭園から海岸の途中で見かけたお庭。ローズマリーが満開でした。
「弱虫ペダル」って知ってます?元は少年漫画ですが、アニメ化・ドラマ化・舞台化されて人気です。アニメ好きの男子高校生が入学した高校にアニメ部はなく、ひょんな事から自転車部に入部。なぜか自転車に適正があった彼はインターハイの選手になります。自転車部の競技は団体戦。ともかくゴールを切った生徒の高校が勝ちになります。その時の舞台が江の島から箱根のコースです。上の画像を全国の高校生が自転車で駆け抜けていきます。
こんな素敵な道が競技コースなんていいでしょ?
ちなみに、競技でなくともサイクリングに最適。
松林は防風林。松林の向こうはもう茅ヶ崎の海が広がっています。
遠くに見えるのは烏帽子岩。これを眺めつつあんパンをパクつきました。
さくらあんパンを食べ終わり、リンゴのパンケーキを取り出した所ーー。
「トンビに気をつけなよ〜」と。下から声が聞こえて来た。
ん〜??今の、もしかして私に言ったの〜?
「トンビがさ、後ろから狙ってくるんだよ〜」
おじさんでした。おじさんが指さす方を見ると、トビが2羽輪を描いてます。
む??もしかして既にロックオンされてる?
実は以前鎌倉梅散歩の時、稲村ケ崎でお昼ご飯をパクついてる時、しゅっとあんパンをトビに盗られた事がありましてね。
トビに襲われた(2012年3月28日)の記事鎌倉梅散歩の途中、お昼ご飯を食べてたら…。という記事です。
「わかりました!」と返事を返しリンゴのパンケーキをしまいお散歩再開!いきなり後ろから盗られるとショック受けるよね。もう二度とゴメンです。
烏帽子岩を眺めたベンチの横に歩道橋があります。
道路向こうは運動公園になっていて。ん?何かある?
これさ、国木田独歩の石碑です。
説明板があったんだけど、説明板が痛んでまして、一番上と一番下の文字が数個づつ読めなかった〜。
国木田独歩(明治4年〜41年、1871〜1908)は、詩人・小説家で、『武蔵野』や『鎌倉夫人』を書いた人。
1908年独歩は肺結核にかかり、茅ヶ崎にある結核療養所の南湖院で療養生活を送る。前年に刊行した作品集『運命は』が高く評価され、療養しながら作品を発表するが、病状は悪化、38歳で死去。<WIKIより>
上の石碑の背後に松林がありますが松林の裏に何があるか?と言いますと?
野球場なんですよ。この野球場は海側が松林になってるんだよね。
松林といえば、テニスコートも松林に囲まれてます。何気に素敵でしょ?
ちなみに、テニスコートの側に桜がありました。前回氷室椿庭園を訪問した時は調度見頃だったこの桜、でも今回は既に散り初めでした。
ん〜??これ、何桜かな?
この辺りの家の庭には、蘇鉄があるお家が散見。あと松の木。昭和の庭のお約束かな?それとも海辺の家のお約束なのか?今どき蘇鉄があるお家はまれですね。
高砂緑地に到着しました。
明治30年代に、この地の一画に、新派劇の俳優で、当時有名だった川上音次郎・貞奴夫妻が別荘を設けました。市内の小和田に別荘を設けた九代目市川団十郎を慕ってのことと伝えられています。今も緑地の中にある石の井戸枠が音次郎の別荘にゆかりのものといわれています。
上の画像奥の石組がゆかりの井戸になります。
大正8年(1919)、音次郎の別荘地だった所を含めて、付近一帯を実業家原安三郎が別荘とするために購入し松籟荘と名付けました。
高砂緑地の門を入ってすぐ左に、日本家屋と庭園があります。そこの梅は早咲きのようで、訪問した3月22日には既に花はなく。風情ある枝振りを楽しむのみ。
日本家屋の奥が小高くなっていて、そこに洋館がありました。戦後しばらく占領軍に接収されました。後に貴重な近代洋風建築物として、またすぐれた別荘建築として高く評価されました。
主屋は老朽化で取り壊されましたが、石畳や階段に在りし日の名残りがあります。
高砂緑地には文人の詩を刻んだ石碑などが散在しています。高砂緑地を後に。すぐ近くにあるカトリック茅ヶ崎教会にも蘇鉄と松がありました。
道路は狭いけど、レストランが散在。この辺りお金持ちが多いのかな〜?一軒一軒の敷地も大きいし。どこも素敵なお庭だし。
JR相模線に乗車。厚木駅で下車。行きでも気付いたのですが、いつの間にか小田急からJRに移動する途中に自動改札が出来てました!!
私はこの自動改札を待っていた!少し前までここに自動改札はなく、なんかタッチパネルがぽつんと1個あったんだけどさ〜。うっかりタッチパネルを見過ごしたり、気付かずに一端改札を抜けて再び入場して〜とか混乱してたら厚木駅から宮山駅(寒川神社最寄駅)800円以上引き落とされてたの。しかも往復だから1600円以上!それ以後、厚木駅で乗換が嫌になり、ずっと海老名駅で乗換えてたのね。まあ私が間抜けだっただけなんだけどさ〜。だから自動改札があるのを見てすんごく嬉しかったです。ここってすごく不思議な駅なんだよね。元からある改札に駅員さんいるんだけど、未だにあれがJRの駅員さんか小田急の駅員さんか分からない。1回質問したらすんごく横柄で威圧的な口調で対応されたから、詳しく聞くの止めたのを覚えてる。ここ数年来はずっと寒川神社さんに初詣に行ってるから何年前の出来事だったか覚えてないし。やや、初詣以外にも小田急から相模線利用してるしな〜。あ。それた。
ちなみに、園央道が出来、小田急線の厚木駅では園央道の下をくぐって小田急電車が来る様子が見えます。この奥さ、園央道の向こうは相模川です。相模川の鉄橋が見えて手前に園央道がある。奥から小田急線がやって来る。というのは、画像で見るより動画の方が感動出来ます。鉄道ファンにおススメポイントです。
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