あられの日記

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雑司ヶ谷鬼子母神は樹齢600年以上の大銀杏

2017年12月19日 05時59分54秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2017.11.26、都内23区イチョウ巡りをしました。
23区大銀杏巡り2017.11/26現在(2017.11/28)の記事 こちらの記事は23日のまとめです。今日から訪問先を一カ所づつ記事立てして紹介します。
小田急東京メトロ切符を利用。東京メトロなら1日乗降り自由です。副都心線雑司ヶ谷駅から徒歩数分。
鬼子母神の参道に9:21到着。ここの参道は東京都指定天然記念物で、鬼子母神大門ケヤキ並木となってます。中には江戸からの木もある。上半分が切断してる木もあって面白い。参道途中に豊島区の観光案内所もあるのですが、訪問時は時間が早過ぎで閉まってました。

訪問目的は高さ30メートル超えの大銀杏です。過去何度かイチョウを見にきてるのですが、タイミング悪く黄葉の見頃を外してました。
雑司ヶ谷鬼子母神堂の大イチョウ(2016.12/11)の記事 こちらの記事は去年の12月5日の訪問です。大イチョウはすでにほとんど落葉して根元は黄色いじゅうたんになってました。
さて、参道は途中で90度左へ曲がります。左折すると黄色く色づいた大イチョウが目に飛び込んできた。
やったぜ〜〜!!遂に黄葉の盛りにこれたわ〜〜!!

説明板発見:東京都指定天然記念物 雑司ヶ谷鬼子母神のイチョウ
イチョウ(銀杏・公孫樹)は、一属一種のイチョウ科に属する、裸子植物の落葉高木である。耐寒耐暑性があり、社寺の境内樹・庭園樹・公園樹・街路樹などに広く植栽されている。中国原産といわれ日本へは、遣唐使の帰国によってもたらされたという説もある。雌雄異株で、4月に開花し10月に種子(ギンナン)は成熟し、黄葉する。
樹高30メートル、幹周り8メートルの雄株で、都内のイチョウでは、麻布善福寺のイチョウ 麻布の樹齢750年の善福寺(2017.12/16) こちらの記事に麻布の大銀杏の画像を掲載してます に次ぐ巨樹であり、樹勢は盛んである。応永年間(1394-1428)に僧日宥が植えたと伝えられている。古来『子授け銀杏』といわれ、戸張苗堅の「ろ楓』によると、婦人がこのイチョウを抱く後継がみられ、注連縄を張るようになったのは、文政年間(1818-29)の頃という。」
植樹された年がわかってるのですね。応永年間だから600年超え!!
すげえ〜〜!!少し前に鎌倉の鶴ケ岡八幡宮のご神木の大イチョウが台風で倒れた時に、イチョウの寿命ってどれくらいだろうか?と考えた事があります。今回都内に残る大イチョウを何カ所か見て回ったのですが、100年超えくらいで乳房のように幹から垂れ下がるようになるみたい。あと、昭和20年の空襲で焼けた樹が多かったけども、復活してます。イチョウは強いんですね。まあ、焼けて上半分が焼失してしまった樹もチラホラありましたが。そういう意味では雑司ヶ谷の鬼子母神の大イチョウは欠けがない。素晴らしい樹です。

イチョウを巡るように赤い鳥居が立ってます。これは境内にある神社のものな気が。でも黄色と赤のコラボが出来てフォトジェニックです。

少々不安なのは、画像を見ても分かるんですが、下の方の枝が見るからに重そうなんです。乳房状の垂れ下がってるし、大きな枝の途中から小さな枝がいくつも別れてて、小さな枝に一杯葉があるからさ。いつか折れそう〜。

さてと、訪問目的は大イチョウですが、参拝もしたい。

ふと、目に入った石燈籠。裏を見てうなる。「宝暦6年丙午5月18日再興」と彫ってありました。
え〜と?宝暦6年を西暦に直すと1756年ですね。暴れん坊将軍吉宗の息子、9代将軍徳川家重の治世です。
さすがは歴史ある鬼子母神さんだねえ。歴史を経たものがあちこちにあるわ。

本堂です。説明板発見:国指定重要文化財 雑司ヶ谷鬼子母神堂
雑司ヶ谷の鬼子母神は、永禄4年(1561)に清土(現在の文京区目白台)で掘り出された鬼子母神像を、天正6年(1578)に現在の場所に堂を建てて安置した事に始まる。
寛永2年(1625)には社殿の造営が始まり、正保3年(1646)のは宮殿が寄進された。
江戸時代前期から将軍のお成りがあるなど、武家から庶民まで、子育て・安産の神として広く信仰され、現在でも多くの参詣者が訪れている。
現在の鬼子母神堂は、手前から「拝殿」・「相の間」・「本殿」の3つの建物で構成される「権現造り」。
拝殿
本殿の開堂供養は寛文6年(1666)に行われたことが記録にあるが、屋根裏の束に書かれた墨書から、寛文4年に上棟されたことが判明している。拝殿と相の間は元禄13年(1700)に建てられた。広島藩2代目藩主浅野光あきらの正室満姫の寄進により建てられ、その建築には広島から呼び寄せた大工が従事している。

そのため、本殿の三方の妻を飾る梁や組み物の彫刻には広島地方の寺社に用いられている建築様式が見られる。

拝殿は、江戸時代中期の華やかな建物ではあるものの、装飾を簡素なものに変えるなど、幕府による建築制限令への対応をうかがわせる特徴がみられる。
これらのことから、江戸時代の大名家による寺社造営の実像を示す事例であり、本殿と拝殿とで異なる特徴を持つ建築物であることから、歴史的・意匠的に価値が高いという点が評価され、平成28年7月25日に重要文化財に指定された。
女の人好みの装飾だなあという印象は、建物を寄進したのが満姫という女性だから正しかったのかな?あと、拝殿を再度見て欲しい。横から見ると、参拝する正面部が長いのと、一番上まで上がって参拝する所があるのが珍しいです。ん〜??分かりにくいか?一つ上の画像では、横の壁部分が大きく開いてます。この距離が他ではあんまりないんですよ。江戸の風情を感じられて素敵です。で、参拝終わると視線が拝殿中の右手にかけてある絵馬にいく。鬼子母神の絵馬ですからもちろん石榴の絵です。

拝殿の右手に大きめの石像があった。これまた珍しい像です。何かしら?と近くで見たら画像手前の袖に線刻でザクロが描いてあります。ということは、鬼子母神像ですね。これ。
境内には大黒天のお堂もありました。そこでスタンプを押してふと?変な形のベンチがあるのに気付いた。

フクロウ?や、耳があるからミミズクかな?奥に樹齢600年超えのイチョウが写り込んでます。
さあ、次に行こう!むむ??また石像があるわ〜。2個。

これ、仁王様だよね?め、珍しいわ〜。仁王門がないからか?ここ。不思議すぎ。時刻は9:47。
次は副都心線雑司ヶ谷→池袋で丸ノ内線に乗換えて一駅、新大塚へ。

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