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あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

限定公開天授院と月華殿

2011年01月05日 04時53分07秒 | 横浜
聴秋閣から坂を登ると期間限定公開の天授院(重要文化財)があります。
なんつーか、見学客が押し寄せててもう大変。
当日珍しく寝坊をしまして、(原因は前の晩にTBSのSPECつードラマを見て夜更かししちゃったから)予定より2時間遅れで出発したのが敗因です。ううっ。わかっていたのに。観光地は観光客が来る前に撤収!が基本なのにっ!!

せっかく限定公開なので、中に入ってみました!が。こちらも旧天瑞寺寿塔覆堂と同じく、中にはなにもないっ!!
天授院は鎌倉にある建長寺付近の心平寺(廃寺)跡にあった禅宗様の地蔵堂。江戸時代の慶安4(1651)年建築。地蔵堂としては異色の総黒漆塗り。民衆に親しまれたお堂だそうです。原三渓はここに原家の先祖を祀っていました。
大正5(1916)年に三渓園に移築。
どうも外側だけ引き取ったみたい。

見頃の楓が天授院の前にあるので次々観光客が押し寄せる。
/隣接して立っているのは月華殿。
月華殿は徳川家康次代の京都伏見城内にあった大名伺候の際の控え所の建物。慶長8(1603)年建築。


おまけ。/金毛窟。
三渓作の一畳台目の茶室。大正7(1918)年建築。月華殿に隣接してます。上の画像の左手前が金毛窟で右奥が月華殿です。

さて、本日年賀状出しました。遅くなりましたがごめんなさい。
…現在絶賛発熱中です。実家で1、5度気力で熱を下げて戻ったんですよ。昨日はおうちで大人しく~。してて37度台まで下がってたから、せめて松の内に返事出さないと~と頑張ったら失敗した。現在38度台で高温安定中です。
くそぉおお~。市販の風邪薬で飲めるの少ないのに~。ってなことでまたまた葛根湯にお世話になってます。でもこれって風邪の魅き始めならともかく、数日後でも効果あるんですかね??
あ~。も~ぼ~っとする。くらくら。あちこち痛いし…。
みなさんも注意です。関東はマズいことに寒くて空気が乾燥中です。
とりあえずエチケットとして常時マスクはつけてるけどね。これ顔が蒸れますね。熱出てると!花粉症との違いを発見!!
何遍打ち間違いしてるんや自分。も。だめだめ。
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変った聴秋閣

2011年01月04日 04時39分26秒 | 横浜
何が変ってるかって、建物が見る角度、高さによって形が変って見えるんだよね~。
でも撮影失敗したんだよねえ~。何やってんだぁ!!
ゴメン!携帯電話のカメラの機能の限界だったかも?わかりにくけれども、画面中央奥に、三重の塔が見えてます。こちら、構図的には最高です。当日ピーカンでして、明度差があり過ぎると失敗!

京都二条城にあった徳川家光・春日局ゆかりの楼閣建築。元和9(1623)年建築。重要文化財。

聴秋閣の裏に急坂な散策路があります。季節公開。こちらは楓類が多数あってなかなかにいい感じ。でも足元注意です。私。うっかり足を滑らせてだいぶ落ちてしまいました!運良く怪我はありませんでしたが。人にぶつかりそうになってびっくりしました!

この辺りのモミジの紅葉は遅いのかな?11月27日にはまだ色付いてない。


取り急ぎすみません。
実は正月から風邪を引き込みまして、実家で寝込んでしまいました!(迷惑なことに…)敗因は新幹線?
ンなことはどうでもいい。
熱がなかなか下がってくれない~。呼吸が咽が肺が~。ってな感じで、年賀状を出してない方へののお返しが未だ出せてません。このブログをチェックしてる人、いないと思うけど、「私ンちにあられから年賀状が届いてない」とのお心当りのある方、もう少し待ってやって下さい~」もう少しマシにならないと外出も出来ん…。
やや。文章書いてる場合じゃないんですが。誤字チェックなしで。取り急ぎ。
あ。
なんとか神奈川には戻ってます。のぞみの指定席を取ってたからね。自由席で戻るよりマシだと思ったんだけど。実家で療養すべきだったかも~。体中が痛いよ~。ふらつくし~。も~~。
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素敵な臨春閣

2011年01月03日 04時14分44秒 | 横浜
臨春閣は紀州徳川家初代・頼宣が和歌山・紀ノ川沿いに建てた数寄屋風書院造りの別荘建築。屋内には狩野派のふすま絵や数寄屋風の意匠が残る。慶安2(1649)年建築。

三渓園内に散在してる古建築は数ありますが、この建物でAPECの時、要人の奥様達がお茶しました!
たまたまお勉強ツアーと合流しまして、先生が「2階建てですが、2階はお庭を見るための楼閣」とおっしゃってたのが印象的でした。

内部はこんな感じ。
奥の日本画、これは直接壁に描いたんですかね?違いますよね?日本画の特徴って季節により取替え自由です。来客に合わせ、慶弔に合わせて自在に取り替えられる簡便さが二重丸。あ。それた。

外から覗き見てます。右手にあるのは、2階へ登る階段。

も一つ、日本家屋の特徴は、大きさを簡単に変えれることですよね。障子やふすまを取り払えば大きく出来るし、つい立てや屏風で部屋を小さく区切るのも簡単。便利だよなあ~。
古建築を見るとあちこち工夫が一杯です。

池に面して建てられてます。

欄間が凄い~。近くで見たい~~。







臨春閣は、かつて8代将軍吉宗公が幼い時期に暮らしたとかなんとか。

臨春閣はいろんな角度から鑑賞出来て楽しいです。上の画像の右端の建物を除き、中央・左全て臨春閣です。
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旧天瑞寺寿塔覆堂

2011年01月02日 04時02分05秒 | 横浜
三渓園には古い建物が一杯ありますが、年間を通じて内部公開されている建物は少ない。期間を限って少しづつそれらは公開されているのです。
秋の古建築公開は重要文化財の天授院、旧天瑞寺寿塔覆堂、旧東慶寺仏殿。の3つ。これらが11月27日(土曜)ー12月12日(日曜)まで期間限定で公開されました。
ええ。
この公開を待っておでかけしたのです。
この日のおでかけ先候補は「1)足柄の大雄山最乗寺。2)鎌倉金沢街道。3)三渓園。」どこへ行きたいか?」と尋ねましたらば、ダンナが選択したのが「3)三渓園」でした。
「三渓園は明治時代、生糸貿易で財をなした横浜の実業家、原三渓の元邸宅。ここに京都や鎌倉などから歴史的価値のある建物を移築し、明治39(1906)年に『三渓園』として一般に公開しました。園内には10棟の重要文化財を含む、17棟の古建築物が四季折々の自然の景観の中にたくみに配置されています。」パンフレットより抜粋。

まず到着したのは「旧天瑞寺寿塔覆堂(重要文化財)」です。
豊臣秀吉が、京都・大徳寺内に母の長寿を祝って建てた寿塔(生前墓)を覆う為に造られた覆堂。桃山時代の天正19年(1591)建築。霊廟建築のさきがけ的建築物。
明治35(1902)年三渓園移築。

訪れた時は、お堂の横にあるイチョウの大木が葉を落としていて、黄色いじゅうたんのようでした。
「三渓園の紅葉のはじまりです」と。三渓園の公式ブログに書かれてましたように、このイチョウの落葉が三渓園の紅葉シーズンスタートの合図です。

お堂の装飾木彫り。う~ん??秀吉作にしては装飾がしょぼいような気が…。なぜだろう??

内部の天井装飾。お堂は限定公開なので、普段は中に入れません。期待して入ったのですが、中はな~んもないのね。なので、お堂の説明をして下さる方に質問した所「中にあった仏像は、現在博物館にあります」だって。なので、三渓園にあるのはお堂。入れ物のみってことですね。
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横浜三渓園へ紅葉を見に

2011年01月01日 04時26分46秒 | 横浜
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
今年の抱負。
「ブログの更新が毎日なのは大変なので、ペースダウンしよう」
…ようやく気づいたのか自分…。
ええ。
現在は基本予約投稿なんですが、予約記事の数が減って来ると「マズいな~」だの「どうしよっかな~」などついつい考えてしまうのはヤバいんじゃないの?
って。
ま。
ペースダウンしてもなにかしら記事にしてると思うので今年もよろしくお願いします。
さて。
本日から数日おつきあいいただきますのは、「横浜三渓園」の紅葉散歩です。
訪問日は2010年11月27日。

なぜに三渓園かと言うと、11月の上旬に横浜で開催されたAPEC。その折り各国の首相と共に来日した奥様方が、三渓園でお茶していたから。です。
三渓園の場所はこちら。

私はJR根岸駅から徒歩で三渓園の南門へ行きました。
これ、結構大変です。根岸駅から南門へは片道4000歩ほどかかります。行き帰りどちらかバスを選択するのが無難。
三渓園は以前にも訪問したことがありますが、南門からは始めて。
まず気づくのは園外にある。上海海浜有効園です。

池には蓮があって、夏にはハスの花が咲いて綺麗なのでしょうね。
かつてはこの辺りまで海岸が迫っていて、三渓園は海と繋がっていたのです。
南門でお一人様500円を支払って園内へ。
と。
ダンナがトイレタイム。
これがえらく長くて、待ってる間閑だったので、三渓園の見取図を凝視して本日の散策ルートを練る!

万全の体制で散策スタート。
まず向かったのは海岸門。
 
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横浜海岸教会

2010年11月14日 04時24分12秒 | 横浜
今日の記事で横浜はじめて物語散歩はおしまいです。
いや~~。はじめて物語巡りはまだ続いたのですが、携帯電話の充電が切れてしまい画像がナイんですよ…。
出かける前に充電してきたのですが、一日持たないなんて…。

横浜海岸教会は建物として珍しい形をしているので、是非中がどうなっているのか見たいのですが、入れません。神の家に入れるのは信者だけか~。
今の教会堂は、雪野元吉の設計で昭和8年に建てられたものだが、教会自体の歴史は明治4年まで遡るわが国最古のプロテスタント教会です。
画像の一番高い塔には鐘がつるされていて、塔の庇の下に並んだ大きな持ち送りの列が印象的。高い塔や三つ葉形のアーチを頭にもつ極端に細長い窓などはゴシックです。

いつか見たいです…。旧英国領事館の隣に建ってます。

近くには昔ながらの建物が残っています。
画像は横浜貿易協会とかレストランSCANDIAが入っているビルです。大桟橋方面にあります。
昭和4年(1929)竣工。
鉄筋コンクリート造り3階建て。大倉土木設計。
昭和モダンな建物です。
旧英国領事館西隣の広場には色々なものがあります。
目をひくのはコレ。日米和親条約調印の地と石球に彫られています。
昨日の記事にも書きましたが、条約は隣の旧英国領事館つまり横浜開港資料館の庭にあるたまくすの木の下で締結されました。だからたまくすの木がモニュメントそのものなのです。わざわざわかりにくい石のモニュメントをどうして設置したのかな??
わかりにくいのですが、画像の奥に昔のマンホールが埋まってて上から見れるんですよ。
時計塔。
後ろの壁面は旧英国領事館。この時計塔は1891年(明治24)頃に大桟橋付近に設置されており、暴風雨の際に旗を掲げて港近くの船に信号を送っていたものですと説明文が。

そしてまたまた大砲が。
これ…。馬車道の県立歴史博物館に置いてあったのと同じく、かつての武器を錨として横浜に出入りする商船に売る為の商品でした。そしてあの大砲と同じく、関東大震災の時に埋まってしまいました。元はオランダの11ポンドキャノン砲です。
ただ違うのは扱う会社です。これは旧居留地90番地にあったスイスの商社シーベル・グレンワルト商会(慶応元年(1865)創立。この会社は戊辰戦争の時に武器の購入も行ってました。

この後横浜もののはじめ地図に掲載されている横浜公園内の岩亀楼の石灯籠を見て、横浜市庁舎にある港町魚市場跡を見てお散歩終了しました。
さすがに15000歩超えの散歩と頭を全開で使ったら疲れてしまい、うっかり関内駅に戻ってそのまま帰宅してしまいました…。当初の計画では泉平でいなりずしを購入して帰宅するハズだったのに…。

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旧英国総領事館

2010年11月13日 04時26分26秒 | 横浜
明日は創作漫画同人誌即売会、COMITIAです。
有明・東京ビッグサイト西ホール1&2館にて(11:00-16:00)で開催です。
参加サークル3144サークル。
サークル名:竹里館出版局。
サークルは一場所;西2ホールゆー04aにて私も参加します。
当日はCOMITIA初売りで夏の新刊は、あられの中国遼寧省「旅順写真集」と梅原沙実のミニ絵本「ひこにゃん春の日」「ひこにゃん夏の陣」です。よろしくお願いします。

続いて旧英国総領事館です。現在は横浜開港資料館旧館となっています。
「この建物は昭和6年(1931)に英国総領事館として建てられ、昭和56年(1981)から横浜開港資料館として使われている。英国工務局によって設計され、18世紀のジョージアン・スタイルの都市邸宅を思わせるデザインである。その特色は玄関周りによく現れている。敷地はかつて日米和親条約が結ばれた由緒ある土地である。
建築年代:昭和6年(1931)
構造・規模:RC造3階、地下1階
指定・認定:横浜市指定有形文化財/平成12年(2000)11月
設計:英国工務局」とかかれてました。
トップ画像をよ~く見て下さい。
窓の大きさで天井の高さがわかります。1階に総領事室。2階に住居。3階に使用人室があったんですって。
画面中央1階に入口があるのですが、入口の上にはかつて英国王室の紋章がかかげられてました。が、現在は外されてます。

入ってすぐ気づくのが、このプレート。
薩英戦争記念銘板です。薩英戦争とは幕末期に薩=薩摩藩(鹿児島)と英国(大英帝国)が戦争したってことですね。世界史を鑑みると、うっかり日本は大英帝国の植民地になっててもおかしくない事態です。よく回避出来たよな。…なんで回避出来たんだろ??
説明文によりますと「この銘板は、1863年(文久3)8月16日に鹿児島で起きた薩英戦争で犠牲になったイギリス将兵を記念して、横浜在住のイギリス人が作り、この建物にそなえ付けられたものである。
薩英戦争は、1862年(文久2)8月21日に生麦村(現横浜市鶴見区)で起きた薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件(いわゆる生麦事件)の賠償金をめぐって、薩摩藩とイギリス人が戦った戦争。」とありました。

休憩室のようなものがありました。ここにはかつての横浜の地図と模型がありました。
2階3階は残念ながら非公開です。

中庭にあるのが玉楠(たまくす)の木です。去年あった横浜開港祭のゆるキャラ「たねまる」はこの木の精霊という設定でした。
実はこの木は歴史の生き証人なのです。

上の画像は1854(嘉永7)年にペリーが500人の武器を持った兵隊をつれて横浜村に上陸した所を描いてます。絵の右端に描かれてるのはこの玉楠の木です。
玉楠の木は江戸時代から同地にあり、日米和親条約の締結(安政元年1854)は、この玉楠の木の近くで行われたといわれています。木は大正12年の関東大震災によぅって幹の部分を焼失したが、残った根から新たに芽が出て現在のものとなりました。すごい~~。

位置関係はこう。緑の丸がたまくすの木。下の長方形が旧英国総領事館。右肩の鍵状の建物が横浜開港資料館の本館です。
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旧横浜商工奨励館

2010年11月12日 04時01分45秒 | 横浜
建物前にあった説明板によりますと。
「RC造4階、地下1階。
昭和4年(1929)竣工
横浜市認定歴史的建造物/平成11年2月指定
関東大震災後の横浜商工業界の復興を図る目的で、横浜市によって建設された。クラシックなスタイルにアールデコ的な意匠を加えた横浜の震災後復興建築の代表的な存在である。高層棟を増築し、横浜情報センターとして生まれ変った」とありました。
現在は横浜情報文化センター兼日本新聞博物館放送ライブラリーとなってます。
横浜の歴史は1859年の開港と、1923年(大正12)9月1日の関東大震災を常に頭に置いておかねばなりません。

この建物は当時1階2階に国内外の商工業製品を紹介する商品陳列所が設けられ、3階と4階は横浜商工会議所をはじめとする、横浜市内の商工団体の事務所として利用されていました。
建物は近世復興式(近代的なルネッサンス様式)、といわれる建築で、正面玄関から中央階段、3階貴賓室にかけて東洋風デザインを特色とした、震災復興期の代表的建築物です。
上の画像には3つの入口があります。なぜに…。
中央の入口を入って両側に、かつての電話室が残っています。今は名残のレトロな公衆電話がおいてあります。
玄関入ってすぐの場所。

なんかね、今のビルと違って、でっかくて太い柱が建物を貫いています。もひとつ、天井が低いんですけど~?

貴賓室に到着。
「昭和4年(1929)4月23日に横浜の復興状況の視察のため、昭和天皇が来浜されました。あわせてこの日開館した「旧鉾浜商工奨励館」で最も格式のある「旧貴賓館」で御休憩されました。
横浜市は、この日を「横浜復興記念日」と定め、旧横浜商工奨励館は開館記念日と定めました。
「旧横浜商工奨励館」の保全活用にあたっては、正面玄関から中央階段、そして3階の旧貴賓室にかけてを、要洋風のデザインを特色とした貴重な内部空間として、往時の趣きを残しています。
特に旧貴賓室の室内内部、飾り金物及び天井照明器具は、創建時からのものを修復再使用しました。
また天井画は創建時のものを忠実に模写しました。
なお、当時の家具はすでに失われていましたが、当時流行していたアールデコ調に和風の意匠を加味したデザインを基調として、伝統の横浜家具の技術を生かして新たに制作しました」貴賓室前のプレートより。

貴賓室前の柱の飾りです。白い天井を見てたら、まるでバターケーキに見えてきた。
こら~、余韻が台無しじゃ。

さて、旧横浜商工奨励館の敷地には、もひとつはじめてがあります。
消防救急発祥の地です。
 
画像は旧居留地消防隊地下水槽です。残ってたのねえ~。
「建造年:明治26(1893)年推定
構造:煉瓦造(イギリス積)
規模:底面3.19m×3.17m・高さ4.50m・貯水量28立方メートル

この貯水槽は、明治4(1871)年から明治32(1899)年までここを本拠地とした居留地消防隊の防火貯水槽として建造されたものです。この地に居留地時代から100年以上も良好に保存され、昭和47(1972)年まで使用されました。構造物としての特徴は、内部のヴォールト(アーチ)型の天井と十字の補強用の間仕切りにより4室に分かれていることで、役割を終えた現在でも地下水の流入により、常時貯水されています。
またここは、居留地消防隊が本拠地として使用した後にも、日本初の消防車(大正3(1914)年)、救急車(昭和8(1933)年)が配置されるなど、日本における近代消防ゆかりの地ともいえます。
横浜市では、自治体消防体制発足時代の横浜市消防局本部が置かれ、平成6(1994)年まで日本大通消防出張所として100年以上の消防の歴史があるこの地の貯水槽を保存し、展示しています」
と説明板にありました。
あとですね、はじめてではありませんが、敷地内には興味深いものが展示してあります。
まずは下水道管です。煉瓦で出来てたのですね。

「2001(平成13)年10月に、県庁前の日本大通りから出土した煉瓦造りの卵形下水道管です。明治10年代に、日本大通りと海岸通りが交差する位置に築造された煉瓦下水道マンホールに接続していたもので(マンホールの原寸大の再現模型は、横浜都市発展記念館の4階常設展示室でご覧になれます)、大中小3種類ある下水道管の、いわゆる「中下水」に相当します。一定の流速を確保するために断面を卵形とし、断面図にあるように、枕木を敷きならべた上にコンクリートを巻いて敷設されていました。」
下水管と並んでいるのは昔のガス管です。


ところで皆さん、共通文具券がお宅のどこかに眠ってませんか?
これってお子さんへのプレゼントで送ったり送られたりする商品券の一種なのですが、今年末で使用出来なくなるんですって!ご存知でした?
私は知りませんでした。
既に10月末で販売終了済です。歴史もそこそこあって、いつか使おうとしてそのまま引き出しに眠ってるようでしたら、即発掘して使用しちゃって下さい。来年になったらその文具券はただの紙になります。ってもう2ケ月もないじゃん!新発売にはCMもするけど、消える時はなんだっていきなりですよね。あ~あ。
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横浜もののはじめ物語

2010年11月11日 04時34分16秒 | 横浜
キングの塔がある神奈川県庁舎屋上見学の後はもののはじめ物語巡り再開です。
でも次へ行く前に敷地内にある「神奈川運上所跡」碑を探しました。それがトップ画像です。
説明版には「開港にともない関税と外交業務を扱う神奈川運上所が、今の神奈川県庁所在地に設けられ、神奈川奉行所の支配に属していた。
慶応2年(1866)類焼。翌年新築、横浜役所と称した。
明治元年(1868)明治政府に移管され同5年(1872)横浜税関に改められた。」とありました。
横浜地方検察所にある「電信創業の地」の碑。
明治2年1869)8月、横浜灯明台役所と横浜裁判所の間に電信を架設して試験が行われ、9月から官用通信を実施。これが日本最初の実用通信。12月25日には京浜間に架設を終り、公衆電報を受け付けた。
電話交換創始の地

ホテル発祥の地
「1860年(万延元年)、開港直後の2月、横浜のホテルの元祖がこの地(居留地70番)で生誕した。
この「ヨコハマ・ホテル」はオランダ人が作ったもので内部に食堂、ビリヤード堂、酒場を設け、数年後にはフランス人シェフのレストランや洋酒、洋菓子の売店、ボーリング室を付設した。
宿泊客のハイネは、ここで美味な料理をとれると称賛し、他にシーボルト・ワーグマン、クラーク等の著名文化人も多数宿泊滞在した。この人達を通じて最新の外国文化の受入窓口として、我が国の近代化に呈した役割はまことに大きい」とありました。
つーことで、現在はホテルはありませんが、レストランと洋菓子店があります。
入って一目惚れしたレーズンバタークッキー購入~。

うまかったです。ラム酒に漬けたレーズンが昔懐かしい味でした。今度横浜に来たらまた買うっ!おすすめです。

横浜はじめて物語はいつもより閲覧多めで嬉しいです。ありがとうございます。あと数日続きますのでよろしくです。

さて、来る11月14日(日曜)は創作漫画同人誌即売会、COMITIAです。
有明・東京ビッグサイト西ホール1&2館にて(11:00-16:00)開催。なんと!!秋の2ホール開催は始めてで楽しみです
参加サークルは3144サークル。これがすべて創作サークルだっていうんだから凄いよね。
私も参加します。
サークル名:竹里館出版局
サークル配置場所:西2ホール ゆー04a です。
当日は夏に発行したあられの「旅順写真集」と梅原沙実の「ひこにゃん春の日」「ひこにゃん夏の陣」がCOMITIA初売りとなります。
COMITIAは初売りの本は見本誌として提出するので、見本誌コーナーにも置いてありますよ。よろしくご覧下さい。お待ちしてま~す。
あ、旅順はもうしばらくしたら放送になるNHKのドラマ「坂の上の雲」(著:司馬遼太郎)の舞台でもあります。そう日露戦争の現場だった場所なのですね。ま、ドラマの撮影はマルタ島でやったようですが…。ドラマの補完にもなります。ぜひスペースに立ち寄ってご覧下さい。たぶん旅順のでっかい写真集も持参してます。興味のある方、声をかけて下さい。
よろしくお願いします。
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キングの塔の屋上

2010年11月10日 04時13分36秒 | 横浜
ジャックの次はキングもね。
ということで、神奈川県庁舎です。何度も通ったことあったんですが、屋上に入れるのを知りませんでした。
ってなことで、屋上の画像を増量でお届けします。
後から失敗した~と思ったのですが、ジャックの塔(開港記念会館)から近かったので正面からではなく脇から入りました!ので1階正面玄関を見学し忘れました!

まずはレトロな階数表示がついているエレベーターで5階へ。そこから階段で屋上へ。

説明文によりますと、
「ライト様式のテラコッタ
昭和3年に建築されたこの建物(県庁本庁舎)の軒先を飾った荒い縦溝でデザインされた外装用の焼き物で、昭和38年にとりはずし、ここに復元したものです。
現在も塔屋の一部に使われており「キングの塔」の厳めしい印象を造り上げています。
ライト様式/近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトの手による建築様式で、スクラッチタイル(引っ掻きタイル)と大谷石を用いた幾何学的な装飾模様が特徴です。昭和初期に大流行し、代表的な建物に旧首相官邸があります。
テラコッタ/イタリア語でテラは土。コッタは焼いたという意味で、片手で持てない大きさの外装用の焼き物で造形され、彩色されることもあります。

キングの塔が目の前にっ!
そんでもって眺めは素敵~~!!
まずは大桟橋&象の鼻
右奥に遠くベイブリッジが見えます。
クィーン塔の別名のある横浜税関
右奥に赤煉瓦倉庫が見えてます。
先程出て来たジャックの塔の別名がある横浜開港記念会館
屋根はこうなっていたのか~。
画面中央にある低いビルは横浜商工奨励館
後日記事にこの建物はしますのでお楽しみに。

街路樹が繁ってて奥の建物が見にくいのですが、右奥にあるのが旧英国領事館(現横浜開港資料館)。こちらも後日軽い記事にします。
ちなみに、街路樹はイチョウです。もうすぐすると通りは一気に黄色に染まります。
キングの塔へは上がれないのですが、たまに一般公開があるのでそのうち行きたいと思いつつ横浜はじめてものがたりへ戻ります。

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横浜開港記念会館

2010年11月09日 04時16分53秒 | 横浜
昨日の記事で触れた横浜開港記念館の紹介です。
画像増量でお届けします。
トップ画像のステンドグラスは、「ペリー乗船のポーハタン号が入港する様子を題材としたもの。
大正12年(1923)関東大震災により焼失しましたが、昭和2年、当初のものを尊重して復旧しました。
神奈川県沖に停泊中のポーハタン号の船上で、安政5年(1858)幕府は日米修好通商条約の調印をアメリカ総領事ハリスと行いました。」という説明文がついてました。(地図4)
さて、建物に入るとまず目に止まったのはコレ。
正面入った講堂前の床モザイク。地図1
残念ながら講堂は使用中で見れませんでした。残念無念。気を取り直して移動。

この建物には入口がいくつかあるのですけど。こちらもなかなかよい趣き。(地図2)

これしか見取り図がないのですが…。
地図3
階段手すりの装飾も素敵。階段の踊り場に見えているのが、トップ画像のステンドグラスです。
地図5
2階。貴賓室ですかね?中には入れませんが、外から覗けます。
  
移動して地図の6。入ると資料コーナーですが、入口にステンドグラスが。

資料コーナーにあった写真です。関東大震災で被災。
開港記念会館は、設計コンペで大正2年(1913)に100通の応募の中から1等になったものです。
「設計者は福田重義。
赤煉瓦に白花崗岩を配した外装、複雑なスカイラインの屋根を持つフリークラシック様式のこの案は、「町会所」が長年「時計台」として親しまれて来たイメージを継承して、記念建造物としての性質を最も表現したものと評価された」とありました。
ん?
去年横浜は開港150年を記念して開港際が開催されました。
ここも開港記念で作られたんですね。何の記念かというと、明治42年の横浜の開港50周年!
へえ~へえ~へえ~~!!!この会館は百年前の開港記念碑でもあるのですね。
地図7
上れませんが、時計台へ登る階段です。

地図6の場所。2階講堂の座席へ入る手前。画像の左手に3つのステンドグラスがあります。
地図8 階段飾り窓
これが現役で使われている建物だというのが嬉しいです。訪問当日も、あちこちの部屋が使用されてました。
横浜3塔物語という記事を以前投稿しました。覚えてます?大桟橋へ行ったなら 2009年5月30日の記事こちら参照下さい。
開港記念会館は三塔の一つでジャックと呼ばれてるのですね。


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日本初のガス灯

2010年11月06日 04時08分02秒 | 横浜
「安政6年(1859)に開港場となって以来、横浜は西洋文化の玄関口となりました。馬車道を起点にして全国に拡がったものも数多くあります。
ガス灯は明治5年(1872)に高島嘉右衛門の「日本ガス社中」により、馬車道・本町通り等に設置、点灯され、これが日本における最初のガス灯になりました。
柱部は英国グラスゴー市から輸入し、灯具は日本人職人により製造されたと言われます。
このたび横浜市市民文化会館関内ホール新築完成を祝って、当時の型をモデルとしたガス灯を復元設置しました。
壁面レリーフは、横浜開港資料館所蔵の絵葉書を転写したもので、明治末期の馬車道です。」
と説明文がありました。
え~、壁面レリーフの画像を撮りたかったのですが、おじさんが電話中で撮れず…。後で撮ろうと思ってたら、後で来たらなんかテレビかケーブルテレビの撮影本番中で近寄れず…。
残念無念。
ってなことで、今日はガス灯の特集です。
実は馬車道には記念のガス灯がいくつかあるのですよ。
例えばこれ。

イギリスからやってきたガス灯たち
「トラファルガー広場のガス灯
1865年、ナポレオン率いるフランス・スペイン艦隊をスペインのトラファルガー沖っで撃沈してイギリスを救った英雄、イギリス海軍ネルソン提督の活躍と栄誉を称えてつくられたのが、トラファルガー広場。高さ55メートルもの円柱(コラム)から街を見守るネルソン提督の像の台座には、彼の活躍した4つの海戦場所(トラファルガー・ナイル川・セントビンセント岬・コペンハーゲン沖)が描かれています。このガス灯は、このロンドンの中心的存在であるトラファルガー広場のガス灯と同じものです。1872年(明治5)日本初のガス灯が馬車道に灯されたことを記念して、東京ガスの協力により設置しました。 平成15年2月28日」

ピンクの●が馬車道に設置されたガス灯のモデルです。

もしや?と思い、かつてイギリス旅行で撮った写真を探したら、小さく写ってました。画面の青い矢印がモデルのガス灯。画像奥の白い建物はナショナル・ギャラリーです。ちなみにですね、手前のライオンが三越のライオンのモデルです。つーか、三越のライオンのオリジナル。

馬車道にあるもう一つのイギリスからやってきたガス灯。
「英国国会議事堂のガス灯
テムズ川のほとりにそびえる高さ96メートルの時計塔ビッグ・ベンがシンボルとして立つことで有名な英国国会議事堂は、正式名称をウエストミンスター宮殿といい、1065年エドワード国王によって建設された。
当時の建物は1834年の火災で焼失はしましたが、1852年に国会議事堂として再建。ビッグ・ベンもその時に建てられています。
このガス灯は、この建物の北西部に立つガス灯と同じものです。
1872年(明治5)日本最初のガス灯が馬車道にともされたことを記念して、東京ガスの協力により設置しました。

写真を探してみました。

当時は照明器具に注意を払って撮影してなかったんですが、もしかしてコレ?上の青い矢印がそれです。わ、わかります~?
馬車道散歩。実はイギリスからやってきたガス灯たちは他に2つあります。
ビクトリア・タワーのガス灯とシェフィールドパークのガス灯です。
見そびれてしまいました!こんな感じですかね?

上の画像は、バッキンガム宮殿の前庭です。探しましたが形状が分かるガス灯はコレしか画像がなかったのだ。
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馬車道もののはじめ

2010年11月04日 04時55分46秒 | 横浜
県立歴史博物館で「天狗推参!」展(10月15日の記事)を堪能した後は、横浜もののはじめ巡りに戻ります。
場所は馬車道。
馬車道だけに周りには馬っぽいものが溢れている。
 
…おもしろい。
そんでもって馬車道もののはじめの1番目はトップ画像の「写真師下岡蓮杖顕彰碑」です。
横浜最初の職業写真家はフリーマン、1860(万延元年)頃には開業していた。その事業を引き継いだ鵜飼玉川が日本人第一号だか、開業したのは江戸。1862年末頃開業の下岡蓮杖は横浜最初の日本人写真家。
この近くにもう一つ「アイスクリーム発祥地」があるんだよね。
ってアレ?

道のあちこちにあるこの地図…。
なにやら持参した横浜もののはじめ地図に載ってないチェックポイントが沢山あるようです。

とりあえず当初の目的地「アイスクリーム発祥の地」を目指す。

「1869年(明治2)5月9日、横浜馬車道通りの「氷水屋」で町田房蔵の手により「あいすくりん」が販売されました。これにちなみ1965年に日本アイスクリーム協会がこの日をアイスクリームの日としました。
アイスクリームの発祥は古代中国と考えられ、米と牛乳を長時間煮込んで香料を加え、雪で冷え固まらせたものだったようです。1550年(天文19年)、氷に硝石(寒剤)を加えて氷点下の温度を容易に作れるようになり、量産が可能になりました。ちなみに氷に食塩を適量加えると、-21度にもなります。」
上記の文章は日本アイスクリーム協会によるアイスクリームはじめて物語です。
現存してませんが、馬車道の碑がある近くにアイスクリーム屋さんがありました。
尚、日本ではじめてのアイスクリームと同じものは、現在赤ランガ倉庫1号館1階のお店で販売されてます。
その記事はこちらを参照下さい。アイスクリーム発祥の地(2009年5月1日)の記事です。
にしても、アイスクリームでなんで裸の母子の像なのかは謎です。
モニュメントの台座には「横浜沿革史に”明治2年6月
馬車道通常盤町5丁目に於いて、町田房造なるもの氷水店を開業す…”と記されています。日本のアイスクリームの誕生です。私達はこれを記念し、このゆかりの地にモニュメントを建て寄贈いたします」とあります。

「街路樹発祥の地」
碑文しかありません。当時の街路樹は現存してなかったの。

「鉄(かね)の橋」
日本最初の鉄橋は、明治元年(1868)8月に架設された長崎のくろがねばし。ブラントンの設計により、2年11月に開通した吉田橋は2番目ですが、トラス構造のものとしては最初である。
鉄の橋 橋長24メートル 幅員6メートル 
 
読めます?無理ですよね。なので書き出します。
「ブラントンと横浜
明治元年(1868)政府招聘により来日したブラントンは、開国にともない日本沿岸各地に灯台を建設する一方、8年間にわたり活動の拠点としていた横浜では、日本大通りや横浜公園の設計を行うなど、近代的な町づくりに大きな足跡をのこした。
横浜居留地測量1868-70
電信敷設1869
新橋・横浜間の鉄道意見書1869
吉田橋(鉄の橋)架設1869
居留地下水整備、マタガム式道路舗装、街路照明計画1869-71
水道計画1870
築港計画1870、73、74
新埋立居留地造成設計施工1871
中村川拡幅等設計・施工1871
日本大通り設計・施行1871
修技校開設1871
横浜公園設計・施行1871、72」
この人、凄い…。

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横浜県立歴史博物館

2010年11月03日 05時58分25秒 | 横浜
神奈川県立博物館(旧横浜正金銀行本店)
明治37(1904)年/設計:妻木頼黄
辰野金吾の日本銀行本店、片山東熊の赤坂離宮迎賓館とともに、日本人建築家による卒業設計とも称すべき記念碑的建築で、国指定の重要文化財となっている。
わあい~~。と機嫌良く写真を撮ってたら、
職員の人が一言「重要文化財は外側だけね」だって。
へっ??
どゆこと??
どうも完成直後に関東大震災で被災。内部とともに大ドームを焼失したんだって。
燃えたから中は重要文化財指定されてないんだな…。
職員の方の助言に従い、重要文化財の部分で一番の撮影ポイントを教えていただき、撮影したのがトップ画像です。
上の画像で階段を上った先でうっすら見えてるのすがわかりますか?

ステンドグラスです。これも復元。
さて、県立博物館へ来た目的は『天狗推参!』展
天狗推参!展(10月15日の記事)
を見る事。
正面玄関から入ると、展覧会の開催されている場所とは反対側になってまして、ぐるりと廻らなければなりません。

こんな感じで。
薄暗くってとても博物館の館内に見えないんですけど~。
そんなこんなで『天狗推参!』展を見終わり、裏口から出ると、博物館の敷地にこんなのが置いてありました。

なぜに大砲??
これにはまたまた関東大震災がかかわっていました。
『旧居留地90番出土の大砲
この大砲は、山下居留地90番地中からm昭和34年にオランダ製の11ポンド砲とともに出土した帝政ロシア製の32ポンド砲です。出土地では、かつてスイスの商社シーベル・ブレンクル商会(慶応元年・1865年創立)が営業していました。この大砲は同商会の取扱商品だった。使われなくなった大砲を錨に作り変えて、横浜に出入りする船舶に販売しようとしたもので、関東大震災によって地中に埋まってしまったものと推定される。
幕末・明治初期の外国人居留地と、そこで営業した外国商館の活動を知る事ができる貴重な資料で、横浜教育委員会より当館へ委託されたものです。
口径165センチ。 全長220センチ。 重量1690キロ。』

これは海岸側の壁面ですが、内陸側の壁面は窓ガラスがあって、一部窓が開いてました。
何が驚いたって、窓が昔の吹きガラス?だっけ??表面が波うってたのですよ。情緒満点。

例え重要文化財指定は外側だけだとしても、威風堂々とした建物の外観です。
先程の建物の説明がざっくりだったので、歴史博物館の前にあった立て看板から。
『国指定史跡 旧横浜正金銀行本店
 横浜正金銀行は、安政6年の開港以来、外国商人が主導していた貿易金融取引を改善するため、明治13年2月28日に設立されました。その後政府の保護を受けて外国貿易関係業務を専門的に担当する銀行として成長し、大正8年には世界3大為替銀行の一つに数えられるようになりました。
 この建物は明治37年に横浜正金銀行本店として建設され、ドイツの近代洋風建築の影響を受け、明治時代の貴重な建物であることから、昭和44年3月12日には国の重要文化財の指定を受けております。
 さらにこのたび、我が国の近代史のなかでも、産業経済の発展に貢献した貿易金融機関のあり方を示す貴重な建造物およびその敷地であることから、国の史跡に指定されました。』
ちなみに、中国遼寧省大連にある横浜正金銀行だった建物はこれ。
あれ?
大連の建物って横浜の本店の建物と外観が似てない??屋上の丸いドームの数が大連多いだけのような…。
う~ん。気のせいかな~??
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馬車道の歴史建物

2010年11月02日 04時40分21秒 | 横浜
弁天橋から西へ直進。
と、変った建物が見えてきた。
え~と?「旧横浜銀行本店別館」ですって?本店別館??
何々、説明文によりますと。
『横浜市認定歴史的建造物
元第一銀行横浜支店 1929(昭和4)旧建物建築年
昭和4(1929)年竣工の旧横浜銀行本店別館(元第一銀行横浜支店)は、横浜市認定歴史的建造物で、都市計画道路栄本町線及び地下鉄みなとみらい線整備計画の為に、先端部分の曳家と残りの新築復元による保存活用として再開発事業の枠組の中で実現した。この建物の特徴は、様式建築完成期の作品の一つとされ、先端にはトスカナ式オーダーの列柱を並べた半円形のバルコニーをもち、内部に8本の列柱と天井装飾を施した二層吹き抜けの旧営業室をもつ。典型的な震災復興の銀行建築である。
外部については、先端バルコニー部分及び正面玄関の一部を移築(曳家)保存し、南北両面の形態復元を行い、仕上材としては可能な限り創建当時の材料(人造グラニット)の肌合いを踏襲しつつ耐久性を考慮に入れた花崗岩(中国産御影石小叩き)を採用し、コーニス部分はGRC(繊維強化コンクリート)の上に石材吹き付けで復元した。
内部については、元々の漆喰仕上げの装飾天井(予め現物から型取り採取したものを利用)を新素材であるGRC(繊維強化美術石膏)等で忠実に再現し、隣壁の大理石も新設復元している。』

通りは馬車道へ。
県立歴史博物館を目指します。でもその建物はピンの記事にするので、隣並びの「旧川崎銀行横浜支店」を紹介します。

日本興亜馬車道ビル(旧川崎銀行横浜支店)
建築年代 大正11年(1922) 現建物 平成元年(1989)
指定認定 横浜市認定歴史的建造物 平成元年1989年3月
設計者の矢部又吉は横浜生まれで、ドイツに学んだ建築家で、隣の旧横浜商金銀行本店の設計者妻木頼黄の弟子。ファサード2面を残して、機能更新を図った今の建物は、歴史的建造物の保存・再生の一手法を示した先駆的作品である。


馬車道大津ビル (旧東京海上火災保険ビル)
シンプルな外観ながら、壁面を覆うタイルの多様な張りを主たる意匠とするアール・デコ特有のスタイルを示す。特に壁面頂部の表現は典型的なものである。
現在も民間のオフィスビルとして使用。

うっかり、建物の全景写真を取りそびれてしまいました。
お腹減ってるとボロボロ撮り忘れが発生するなあ…。反省。

本日、左のバーにある<ブックマーク>に追加しました。
これは10月末で消滅した「竹里館ホームページ」でリンクしていた知り合いのサークルさんや、同人誌即売会のイベントのホームページ。それに新たなリンクも追加しました。
竹里館ホームページは「あられの日記」より旅行サークルの同人色が強いものでした。でもなくなっちゃたので、「あられの日記」で吸収出来る部分は反映させようと思いました。今後もよろしくお願いします。
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