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ニューカレドニア暴動に思う-3

2024年05月20日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

1984年のニューカレドニアを舞台に描いた日本映画

【劇場公開当時予告】『天国にいちばん近い島』 (youtube.com)

 

「原作 森村桂」となっているけれど、ストーリーはほとんど別物。

Wikipediaに、映画の裏話は、映画公開前も後も日本で知られることはなかったのでは?(ニューカレドニアのメラネシアン=カナック)

 

天国にいちばん近い島 - Wikipedia

抜粋:

『天国にいちばん近い島』(てんごくにいちばんちかいしま)は、森村桂の旅行記[1]。1966年に出版されベストセラーになった[1][2]。

概要
子供の頃、亡き父(作家の豊田三郎)が語った、花が咲き乱れ果実がたわわに実る夢の島、神様にいつでも逢える島。働かなくてもいいし、猛獣や虫もいない…そんな天国にいちばん近い島が地球の遥か南にあるという。それが、きっとニューカレドニアだと思い、ニューカレドニアへ行くことを心に誓う。死んでしまった父に、また会えるかも知れない…そう信じて。母が寂しがっていると言えば、心地よいその島暮らしを捨ててでも戻ろうと思ってくれるに違いない。そして、神様の目をぬすんで、父を連れて帰ればいい! そう信じて出発した旅行の顛末。

まだ海外旅行自体が自由にできなかった頃ゆえの苦労、夢と現実のギャップ、現地の人達との交流などの体験が書かれる。

(中略)

企画
1983年の『時をかける少女』をクランクアップしたとき、大林宣彦と角川春樹とで話した際に、本作の企画が出た[6]。1983年夏に大林と角川でニューカレドニアの一週間旅行し「撮れる」と確信、製作がスタートした[6]。

準備

その後、大林やスタッフがニューカレドニアに何度も足を運び、シナハン・ロケハンや撮影協力の根回しを行った[6]。1959年以来フランス領になっているニューカレドニアには、ここに移動してきたフランス人と、原住民のメラネシアンが同居してる本島は典型的なフランス植民地社会だが、周辺の小島はメラネシアンの自治領といってもよく、ウベア島は中でも特に、メラネシアンの勢力が強い島だった[6]。島は北、中、南部に大別され、3人のグラン・シェフ(大酋長)のもとに17種族が共存する。各地で撮影するためにはその先々の酋長の協力を取り付けなくてはならなかった[6]。ロケ本番を前に計6回、スタッフがウベアに渡り、根回しを続けて来たが、フタを開けて見なければロケが上手くいくか分からないのが実状[6]。メラネシアンの急進グループは、フランスからの独立を唱え、1983年7月にフランス資本の完成したばかりのファイヤウェ・ホテルを焼き打ちし破壊した[6]。

またメラネシアンは厳しいカトリックの戒律があり、排他的とされ、極端な男尊女卑社会でもあり、女性に命令されるのを嫌う[6]。果たして無事に撮影が行わえるのか保証はされていない状況だった[6]。しかし実際に現地入りするとメラネシアンが実に純粋で素朴な人たちでスタッフは驚いた[6]。ウベア島で根回しが上手くいかず、大男が乗り込んできて撮影機材をめちゃくちゃに壊されるなど[7]、多少のトラブルはあったが、現地の警察が交通規制を敷いて撮影に協力してくれたり、協力態勢も完璧にしてくれた[6]。

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