Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

アラン・ドロン追悼・フランス映画界の戦後-1

2024年08月19日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

ジャン・ポール・ベルモンド、ジャン・ルイ・トランティアン、アヌーク・エーメ、そしてアラン・ドロンと、フランス映画に大きな功績を与えてきた俳優たちが亡くなりました。

二枚目イメージと戦った世紀の仏イケメン俳優…アラン・ドロンさん死去(中央日報日本語版) - Yahoo!ニュース

「世界映画界で最も神秘な俳優」(ガーディアン)であり、「フランス映画の偉大な誘惑者」(フランス24)、「フランス映画界の永遠のスター」(ルモンド)がこの世を去った。フランスが産んだ「世紀の二枚目俳優」アラン・ドロンさんが亡くなった。88歳。AFPなどによると、ドロンさんの3人の子どもは「父が18日(現地時間)、自宅で家族が一緒にいる中で平和に亡くなった」と明らかにした。死因は発表されなかった。2019年に脳卒中で倒れ、手術を受けて闘病してきた故人は「健康が悪化した場合、安楽死させてほしい」という考えを2022年3月に家族を通じて公表した。その後、安楽死を認めているスイスに滞在していたという。

故人は『女が事件にからむ時』(1957)でスクリーンデビューを果たして以来、90余編の映画に出演してきた。映画『太陽がいっぱい』(1960)で上昇志向の欲望に捕われた貧しい青年トム・リプリー役で一躍スターダムにのし上がった。整った体つき、冷たい青い目で「世の中で最もハンサムな男」という修飾語をほしいままにしたが、二枚目スターには安住しなかった。

(中略)

1935年に生まれた故人は4歳の時に両親が離婚した後、親戚などに預けられて育った。17歳のときに海軍に入隊してインドシナ戦争に派兵されたが、ジープ窃盗で不名誉転役した。その後、仕事を転々としていたが、フランス監督イヴ・アレグレの目にとまり、『女が事件にからむ時』でデビューを果たした。 女性遍歴のせいで家族史が複雑だ。1964年最初の妻ナタリー・ドロンとの間に長男アントニーを、1987年オランダ人モデルのロザリー・ファン・ブレーメンと同居して1990年娘アヌーシュカ、1994年末息子アラン・ファビアンをもうけた。ドイツ人女優ロミー・シュナイダーと婚約中、ドイツのロックスターのニコと浮気をして産んだ息子(2023年死亡)は一生実子として認定しなかった。

3人の子どもは故人と同居していたヒロミ・ロランさんを虐待容疑で告訴したこともある。 故人が出席した最後の公式行事は2019年カンヌ国際映画祭名誉パルム・ドール受賞ステージだった。当時10分間の起立拍手を受けた故人は「この世で自分が唯一誇らしく思うのは自分の俳優経歴だけ」としながら「最近はキャリアの終わりを越えて人生の終わりに到達したように感じられる。まるで死後にもらうべき賞を生きている時にもらったようだ」と涙を浮かべたりもした。1991年フランス政府最高勲章であるレジオンド・ヌール勲章、1995年ベルリン国際映画祭金熊名誉賞を受賞した。

 

2019年のアラン・ドロンのパルム・ドヌール賞受賞に異議を唱えたところがありました。

私は別にアラン・ドロンのファンではありませんが、ハリウッドの団体が、カンヌに圧力をかけているように感じて奇妙に感じ、アラン・ドロンに同情しました。

2019年5月6日の記事-

Cannes Comes Under Fire for Honoring Alain Delon (variety.com)

Google翻訳:

カンヌ映画祭は、ベテランフランス人俳優アラン・ドロンが女性を平手打ちしたり、同性同士の親による養子縁組に反対したり、フランス極右の台頭を支持したりした発言について、米国の団体「ウィメン・アンド・ハリウッド」から批判を受けているにもかかわらず、同氏に名誉パルム・ドールを授与する決定を進めている。 カンヌが4月17日に名誉パルム・ドールを発表した後、ウィメン・アンド・ハリウッドの創設者メリッサ・シルバースタイン氏は、カンヌがそのような「忌まわしい価値観」を持つ人物を表彰したことに「非常に失望している」と述べた。シルバースタイン氏はツイートで、ドロン氏は「女性を平手打ちしたことを公に認めている。同氏は人種差別と反ユダヤ主義の国民戦線に同調している。同氏は同性愛は『自然に反する』と主張している。カンヌ映画祭は多様性と包摂に尽力している。ドロン氏を表彰することで、カンヌはこうした忌まわしい価値観を称えているのだ」と述べた。

カンヌはバラエティ誌に対し、「アラン・ドロンを称えるのは、彼が伝説的な俳優であり、カンヌの歴史の一部であるからです。これは、クリント・イーストウッド、ウディ・アレン、アニエス・ヴァルダの場合と同様です。ジャン=ポール・ベルモンドやジャン=ピエール・レオの後、象徴的な俳優アラン・ドロンを称えることは私たちにとって非常に重要だと考えました」と語った。映画祭は、ドロンに対して提起された具体的な点については言及を控えた。

83歳のドロンはアシスタントを通じてコメントを控えた。彼の物議を醸した発言はこれまで性差別的、偏見的だと批判されてきたが、ドメスティック・バイオレンスや犯罪で告発されたことはない。

(中略)

ヴァラエティ誌の取材に対し、フランスのフェミニスト団体オセズ・ル・フェミニズムは「カンヌは、女性を平手打ちしたことを認めているにもかかわらず、ドロンを称えることで、女性や暴力の被害者に否定的なメッセージを送っています」と述べた。 しかし、他の擁護団体はコメントを控えている。エンターテインメント業界における男女平等を推進するフランスの団体5050×2020は、「女優以外の女性にカンヌが名誉パルムドールを授与しないのは残念です。選択肢はたくさんあるのに」とだけ述べた。

(中略)

インタビューでシルバースタインは、カンヌがドロンを称える決定をしたことに他の擁護団体がコメントしなかったことに驚いたと語った。 「一部の人々はこれらの問題に疲れを感じており、厳密に言えば彼は何も非難されていないとしか思えません」と彼女は語った。 「しかし、性差別的、同性愛嫌悪的、反ユダヤ的な見解を唱えたからといって、非難される必要はないと思います。そのような人物は尊敬されるべきではないと思います。」 シルバースタイン氏は、ドロンの物議を醸した発言について複数の記事が書かれていることを指摘した。「グーグルでちょっと検索すれば、この人物が誰なのか分かります」と彼女は言った。「ただ、人々は気にしていないと思います。それは悲しいことです。」

名誉パルムドール受賞記念の一環として、ドロンはジョセフ・ロージー監督の1976年の映画「ミスター・クライン」を上映することにした。この映画は、第二次世界大戦中のヴィシー政権下でのユダヤ人に対する差別とフランスからの追放を描いている。ドロンはこの映画の製作、共同出資、主演を務めた。この映画は、ユダヤ人であると誤って信じられた美術商の物語で、ユダヤ人に対する差別を浮き彫りにしている。

ル・モンド紙に掲載された最近のインタビューで、ドロンは俳優としての60年間のキャリアを経て俳優としての日々は終わったと語ったが、一つだけ後悔があると認めた。「私が逃したことが一つあり、それはいつまでも私を悩ませるだろう。死ぬ前に女性監督に監督してもらいたかった」と、ドロンは映画監督のリサ・アズエロス(「ダリダ」)とマイウェン(「ポリス」)に言及した。

 

私は別にアラン・ドロンのファンではありませんが、ハリウッドの団体が、カンヌに圧力をかけているように感じて奇妙に感じ、アラン・ドロンに同情しました。

アラン・ドロンが女性に暴力をふるったことは本当だったようですし、暗黒街~政治家たちとのつながりもあるようでしたが、「映画人」としてはわざわざハリウッドの団体から反対されるいわれはなかったはずです。

「映画人」ではない顔には、人助けもしています。

砂漠の囚われ人マリカ - ノエルのブログ (goo.ne.jp)

(実はこの事件で殺されたマリカの父親には、モサドはじめ国際スパイが絡んでいるようで複雑ですが、とにかく彼は罪もない女性たちを救いました。)

 

なお、Vanityの記事にある映画「ミスター・クライン」は、邦題『パリの灯りは遠く』という、題名としてはきれいなものの、ストーリーから外れた邦題になっています。

パリの灯は遠く - Wikipedia

アラン・ドロンが1976年に作った“フランスのユダヤ人迫害映画” - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

参考:

ジャン・ポール・ベルモンド追悼-6(葬儀・『ボルサリーノ』) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ジャン・ルイ・トランティニャンの訃報・「男と女」 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ヘリフ(ケリフ)選手の性別... | トップ | アラン・ドロン追悼・フラン... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

芸術・本・映画・TV・音楽」カテゴリの最新記事