「平日の上野で美術館・博物館をハシゴ #3」のつづきです。
先週金曜日、平日休みを利用して、東京都美術館「ゴッホ展」と東京国立博物館(トーハク)「運慶展」のハシゴをもくろんだ私でしたが、予想外の「運慶展」の混み方に夢は崩れ去りました
それでも、トーハクの総合文化展(平常展)を十分に楽しめましたので、その見聞録を書くことにします。
説明板を転記します。
奪衣婆(だつえば)に衣服を剥がされた亡者(右上)が閻魔大王の前で審判を下され(中央)、さまざまな責め苦を受けながら地蔵に救われる光景(左上)が描かれている。
暁斎は、はじめ浮世絵を学び、狩野派の画風をも習得して、とくに風刺画や戯画に個性を発揮している。
なわけで、こちらなんか、ほとんど「戯画」なんですけど、苦しそう…
そして、この絵で一番怖いと思ったのはこちら。
「お前が生前にしでかしたことを見てみろ
」というわけで、こんな「地獄図」を見せられた子どもは、これがトラウマ
になって「良い子になります
」となるんじゃなかろうか。
お次は、5幅の掛け軸、円山応挙の「波濤図」です。
良く見ると、もともとは襖絵だったことが判りますが、それよりも注目するべきは、波の描き方
です。
約100年後に葛飾北斎が描いた「神奈川沖浪裏」の波の先端を髣髴とさせる描き方です。日本の絵師って、瞬間を捉える眼力
が伝統的に強力だったのかもしれませんな。
それはともかく、隣に展示されていた同じく応挙の「秋冬山水図屏風」から応挙の署名と落款を…。
應擧寫
とあります。「応挙筆」ではなく「応挙写」なんだなぁ…なんて妙なことに感じ入っていたところ、別の部屋に展示されていた酒井抱一「四季花鳥図鑑」の署名も、
文化戊寅晩春 抱一暉眞寫之
とありました。
ちなみに「暉眞」は抱一の字(あざな)で、に「文化戊寅」というのは、文化年間の戊寅(つちのえ とら)ですから、文化15年、西暦1818年です。
「四季花鳥図鑑」は、いかにも抱一らしい、鮮やかでたおやかな素晴らしい作品だったのですが、うまく写真が撮れなかったもので
、この署名&落款だけにとどめます
今回の展示は12月17日までですので、是非、生でご覧くださいませ。
最後は、私の大好きなこちら
歌川広重「名所江戸百景 浅草田圃酉の町詣」です。
この作品は、吉原遊郭の一室で、お女郎の愛猫が、浅草の田んぼのあぜ道を鷲神社の参拝に向かう人びとを眺めているシーンを描いたもので、夕焼けに浮かぶ富士山やねぐらに帰る鳥たちとか、なんとも叙情にあふれた佳品
です。
ちなみにこちらの署名は、
廣重画
でした。
実はこの日、JR上野駅の中央改札を抜けた私の目に最初に入ったのは、酉の市の巨大な垂れ幕でした。
そっかぁ~、酉の市の季節なんだ…
なんて思っていたものですから、トーハクでのこの作品の展示は、まさしく「旬」
さすがは膨大なコレクション&寄託品を誇るトーハクならではの粋な展示ですよねぇ~。
ということで、初志は貫徹できなかったものの、それなりに楽しめた上野でのハシゴでしたとさ。
めでたし、めでたし…。
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