「2017年3度目の関西旅行記 #1-3」のつづきのようなものなのですが、「#1-3」で
日本の赤れんがについては、「#1-4」以降で、、、となるかどうか…
と書いた手前、ちょいと日本のれんがについて調べてみました。
でも、何千年にもわたって世界各地で使われていたれんがが、なぜ日本では幕末まで一般化しなかったのか? という疑問は結局解決できず…
明治維新期には「文明開化」の象徴としても日本中にボコボコと建てられたれんが造りの建物ですが、関東大震災で耐震性の乏しさが露呈したことで、れんがでの新築が激減したのだとか。
東京駅丸の内駅舎と共に関東大震災に耐えた貴重な建物、横浜の赤レンガ倉庫は(1号館は半壊して、それで、2号館[下の写真]より短いらしい)、
Wikipediaによれば、
2号倉庫はレンガとレンガの間に鉄を入れる補強が施されていたことで、1923年(大正12年)に発生した関東大震災でも、被害は1号倉庫の約30%損壊にとどまった。
だそうです。
それはともかく、古代の日本人は、れんがの耐震性の乏しさに気づいていたのではなかろうかと思います。
そして、地震が多い一方、木材が豊富にある日本では、石積みやれんが造りよりも、木造建築の方が合っている、木造建築の弱点である耐火性の無さは土壁で補おう、そんな考えがあったのではなかろうか…
建築好きとはいえ、しょせん素人の私ですから、その程度の考察しかできませぬ
私が舞鶴に赤れんが倉庫群が存在することを知ったきっかけは、旧海軍が建てた12棟のれんが造りの倉庫群が、2007年に経済産業省(METI)が選定した「近代化産業遺産」に含まれていたことでした。
そして、METIからいただいた近代化産業遺産のリーフレットを眺めて、いつか舞鶴に行きたい と思い始めてから10年 経ち、ようやく舞鶴に行った、という次第です。
その舞鶴は、赤れんが博物館でいただいた「舞鶴の赤煉瓦建造物マップ」によると、
舞鶴市には1901年(明治34)の、旧海軍舞鶴鎮守府の開庁に伴い、旧海軍が建設したものを中心に多くの赤煉瓦建造物が現存し、「赤煉瓦のまち」とも言われています。(中略) 小さな煉瓦遺構なども含めますとその数は120件以上にものぼり、全国屈指の赤煉瓦の残存件数といえます。
だそうで、地図を見るとこんな具合。
すごいですなぁ~
これだけ古いれんが建造物が残っていれば、観光客に見せるだけではつまらないわけで、舞鶴市は舞鶴フィルムコミッションをつくり、映画・TVのロケ誘致にも励んでいます。
撮影隊がロケで落とすお金で地元が潤うし、映画やTVで興味を持った人たちが舞鶴にやって来る…ということをもくろんでいるわけですな。
そんな活動の中で撮影された主な作品として、観光リーフレットでは、「男たちの大和/YAMATO(2005)」「日本のいちばん長い日(2015)」「海賊とよばれた男(2016)」などが紹介されています(3本とも観た)。
さらに、きょう、この記事を書くべくWikipediaを見たら、「近年のロケ例」の一番下に、
- 鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST(2017年公開、映画)
ですって
「ハガレン」の「レン」って、れんがにもかけている? ってことはないでしょ
今のところ、映画「鋼の錬金術師」を映画館に観に行くつもりは希薄ですが、ちょっとは食指が動きだしたかもしれませぬ。
ということで、「#1-4」では旅行記本編に戻ります。
つづき:2017/11/30 2017年3度目の関西旅行記 #1-4
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