きのう、私は平日休みでして、平日休みの利点を生かして、週末に混んでいる展覧会を観てこようと、上野に出かけてきました。
まずは、「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」を観に東京都美術館へ。
この展覧会は、
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)は、パリ時代からアルル前半にかけて、浮世絵や日本に関する文献を集めるなど、日本に高い関心を寄せていました。一方で、ファン・ゴッホの死後、日本の芸術家や知識人が、この画家に憧れ、墓のあるオーヴェール=シュル=オワーズを巡礼していたことが明らかになりました。本展では、ファン・ゴッホの油彩画やデッサン約40点、同時代の画家の作品や浮世絵など約50点に加え、関連資料を通して、ファン・ゴッホと日本の相互関係を探り、その新たな魅力を紹介します。
というもので、国立西洋美術館で開催中の「北斎とジャポニスム」展(見聞録はこちら)とちょいとかぶります。
というか、近年、西洋画壇と日本(江戸時代)の美術品との関わりをテーマにした展覧会が多いような気がしますな。
それはそうと、「ゴッホ展」のメインビジュアルに使われている作品は、「花魁(渓斎英泉による)」で、
色遣いはともかく(少なくとも青いかんざしを観たことがありましせん)、モチーフは完全にジャポニスムです
で、そのタイトルのとおり、渓斎英泉が描いた花魁がメインのモチーフになっているのですが、その渓斎英泉の「雲龍打掛の花魁」のオリジナルは、、
あれま、向きが違う
オリジナルの渓斎英泉の作品は右を向いているのに、ファン・ゴッホの作品では左を向いています (当然、栄泉が描いたかんざしは鼈甲色=飴色)。
自画像が鏡面(左右逆)になるのはよくある話ながら、これは一体…
左右逆なら、襟合わせは「左前」になっているはずですが、このポーズでは判りませんな
実は、ファン・ゴッホが「手本」にしたのは栄泉のオリジナルではなく、雑誌「パリ・イリュストレ」日本特集の表紙だったのだとか。
どうして、「パリ・イリュストレ」誌がオリジナルを左右反転させて使ったのでしょうか?
ものは試しとばかりに、「雲龍打掛の花魁」の向きを生かして表紙を作り直してみますと、こんな具合。
これでも悪くないと思うのですが…。
いろいろと事情があってパリ・イリュストレ誌が「雲龍打掛の花魁」を左右反転させたのか、はたまた、単に作業者がネガの裏表を間違えただけ なのか、その辺の事情は現時点では不明でございます。
御存知の方から情報をお寄せいただければ幸いです。
ところで、渓斎英泉の「雲龍打掛の花魁」は、欧米の常識からすれば、かなり縦長の作品です。
この作品は、「大判」を縦に2枚継ぎ足したサイズで、縦横の比率は、掛け軸を見慣れた日本人にしてみれば違和感はありませんが、ファン・ゴッホが「花魁(渓斎英泉による)」で、天地VS左右をほぼ同じ幅で花魁とは関係の無い草木や舟を描いたのは、極端な縦長を見慣れた比率の作品に仕上げるための策略だったような気がします。
これまた真相は不明ですけど…
ところで、上に載せた「パリ・イリュストレ」誌の表紙の隣には、その誌面が展示されていまして、そこにあったのは、、、、あれまぁ~ の作品、こちらで書いた喜多川歌麿の「台所美人」でした
大首絵でもない、名所図会でもない、この私の大好きな作品が130年前にフランスの雑誌の見開き(ほぼ原寸大)で紹介されていたなんて です。
のっけから見入ってしまって、先に進めない状況に陥ってしまいましたので、きょうはここまでにしておきます。
1週間以内に完結させるつもりですので、しばしお付き合いくださいませ。
つづき:2017/11/26 平日の上野で美術館・博物館をハシゴ #2
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