「半年前の信州旅行記(その34)茅野編 4」のつづきです。
「神長官守矢史料館」を見つけられるか不安に思いつつ、諏訪大社上社本宮から約1.5kmほど(時間にして10分強)歩くと、見紛うことなき神長官守矢史料館の看板がありました。
ホントにこの道でいいのか?
と不安に思いつつ、松の木をくぐってさらに進むと、、
立派な門と、「神長官 守矢」の表札を掲げたブロック塀があります。
普通の家じゃないけれど、普通の家っぽい…
入っていいのか? と、ますます不安になりつつ先に進むと、
案内板がありまして、これで一安心…
ところで、「神長官 守矢」って何? ですよね。
私もよく判らないままに、ここまでやって来たのですが、案内板によりますと、
守矢家の祖先は諏訪大明神建御名方命入諏以前からの土着の神といわれ、古代以降上社大祝(おおほうり)を補佐し、上社五官の筆頭として代々祈祷と政務事務を掌握してきた家柄である。
だそうです。
でも、これを読んだだけでは事情がのみこめません。
そんな状態のままで「神長官守矢家祈祷殿」の前を過ぎ、
守矢さんのお家らしき立派な数寄屋造りの前を過ぎると、、、
やって来ましたぁ~~
一見、納屋や何かのようにも見えますが、「神長官守矢史料館」です。
こちらの記事に書いた、東京国立近代美術館で見た「神長官守矢史料館」の説明板を転記しますと、
長野県茅野市にある神長官守矢史料館は、諏訪大社の筆頭神官である守矢家の歴史的資料を展示する施設。設計は、藤森照信。当時彼は建築史家として東京大学で教鞭を執っていて、本作が建築家としてのデヴュー作でした。外側の壁に使われている板はサワラで、なんと手割り(クサビは使います)。手前側の屋根に葺かれているのは諏訪で撮れる鉄平石。そこを諏訪大社の御柱から連想した柱が突き抜けています。本作を気に入った日本画家の秋野不矩は、自分の名前を冠した美術館が故郷にできるとなった際、藤森を建築家として推薦しました。
だそうです。
というわけで、「神長官守矢史料館」の中を紹介する前に、もう一枚、別の角度から
奇抜な「形」ではあるけれど、違和感はありません。
中の展示は、外観以上にインパクトのあるものだったのですが、そのお話は「その36」で書きます。
つづき:2016/03/19 半年前の信州旅行記(その36)茅野編 6
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