新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

半年前の信州旅行記(その34)茅野編 4

2016-03-15 23:32:54 | 旅行記

「半年前の信州旅行記(その33)茅野編 3」のつづきです。

諏訪大社上社本宮北参道目と鼻の先諏訪市博物館があったのですが、

旅行先の博物館・美術館を、探してでも訪ねている私には珍しく、諏訪市博物館パス
このあとの予定を考えると、落ち着いて拝見することは無理だと思ったのですよ。
次回以降のお楽しみにとっておきました

そして、まずは神長官守矢史料館を目指して県道16号線へと歩き始めますと、すぐ、右手気になる光景が…

急峻な山肌を駆け上るような石段があります。
なんでしょ、これは?

謎の石段もうちょい先に進んで眺めると、石段の先には(ほこら)があるようです。

かなり興味津々だったのですが、この時点では、私のような観光客がふらりと立ち寄って、そして、ズカズカと石段を登れるものか判りませんでしたし、上にも書いたように、あまり時間の余裕もありませんでしたので、こちらもパス

この記事を書くにあたって調べてみますと、この石段の先にあるのは、「北斗神社」という神社でした。

確かに、この、いや神社を向いています。

こちらのサイトによりますと、

急坂を斜めに一六〇mほど登った所で、天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)を祀り、寿命の神様と崇敬され、手製の縄をもって参詣し、御礼にも縄を上げる。大戦中は参詣者が余り多いため、その便をはかり地元の有志の計らいで、下から真っすぐに石段を造りはじめたが敗戦になり、石段も完成しないままになっている。昔は重病人があると明りをつけて、一晩中熱心に願がけし、おこもりをした人もあった。

という文書があるそうな。
このサイトに載っている写真(14.8.8)では「石段も完成しないまま」ですが、同じくこのサイトの「19.5.10」の記述に「中程にある大石から一部途切れていた石段は、コンクリート仕様ながら全通していました。その白さから去年の内に完成していたのでしょう。」とあるとおり、私が撮った写真では、石段は繋がっています
めでたいことです。
と、いうよりも、当然だと思ったものに、こんな過去(歴史)があったなんて…。

北斗神社の石段に限らず、当然だと思うことの裏に、多くの人々の思いとか出費とか骨折りとかがある、、、、こんなことは世の中に多いんだろうなと思います

上は、さらに進んだ地点で見かけた案内図

案内図の右端、諏訪大社上社本宮の左上に「法華寺」が書かれています。

事前にこのことを知っていたら、何を置いても観に行っただろうと、ちょいと後悔しています。
なにせ、「本能寺の変」のきっかけの一つといわれるできごとが起こった現場ですから

つづき:2016/03/18 半年前の信州旅行記(その35)茅野編 5

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