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新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

5年前に歩いて帰ったルートをクルマで走ってみた

2016-03-11 23:16:33 | 日記・エッセイ・コラム

きょう3月11日は、敢えて書くまでもなく、東日本大震災から5周年
職場では例年通り黙祷が行われ、私も目をつぶって、亡くなった方々の冥福を祈るとともに、今なお大変な目にあっている方々の幸福と健闘を願いました。

5年前の3月11日寒かったよなぁ~、あの日も金曜日だったなぁ~、なんて考えていたら、きょうの帰宅時は、かなり遠回りになってしまうけれど、あの夜、丸の内から浦和まで歩いて帰ったルートを走ってみようかと思い立ちました。
「明日」を気にしなくてすむ金曜日ですし。

職場を19:25頃に出発した私は、いつもなら左折して環八に入る瀬田の立体交差を直進して(20:13)、そのままR246渋谷青山赤坂見附を通過して、半蔵門から内堀通りに右折して、皇居前を通って、当時の私の職場近くに到着しました。
時刻は20:46。ここから、あの夜のルートを辿るドライブが始まりました。

   

2011年3月11日の帰宅のことは、こちらで書きましたが、丸の内の職場から浦和の自宅まで徒歩で帰りました。
約24kmの距離を歩くのに要した時間は6時間
一方、今夜の所要時間はと言いますと、約55分間でした。
距離の割には時間がかかっていますが都心の一般道を走ったことから、あきれるほど信号待ちが多く、長かったですから、これは仕方のないことかもしれません(電車の方が速い)。
また、クルマでは通れないルートもありましたので、正確に5年前のルートを辿ったわけでもありません。

さて、あの夜5年後の今夜とはどんな違いがあったのか…。

あの夜、歩道では帰宅する人々列をなして歩き車道びっしりとクルマで埋まって渋滞していましたが、今夜は、大手町でも閑散としていました。
繁華街を除けば、これが普通の「金曜日の夜」なんでしょうねぇ…
それに比べると、語弊があることを承知で、5年前の記事を引用すれば、

大手町界隈は、クルマがびっしりと車道を埋め、多くの「徒歩帰宅」するらしい人たちが、意外にも悲壮感もなく和気藹々と歩いていました。
街灯が煌々と灯りを放っていて、まるでお祭りのようです。

でした。
もっとも、地震後の津波であれほど多くの人の命が失われたことや、数日後に福島第一原発メルトダウンすることや、その後のモノ不足や、さらには日本経済だけでなく世界経済にも暗い影を落とすことになるなど、ほぼすべての国民には知るよしもなかったわけですから…。

ただ、街の明るさ精神的な明るさではなく照度としての明るさ)は、5年前も今夜も同じでした。

5年前の3月11日の夜は、東日本大震災(この時点ではこの呼称もなかった)の始まりでしかなったのだなと感じたのでありました。
そして、東日本大震災は、まだ終わっていませんし…。

この映像に登場している子どもたち、今はどうしているんだろうか

コメント
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