新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

博物館・美術館の仕事は展示・保存するだけではないんだ

2016-03-27 20:02:28 | 美術館・博物館・アート

「『約4500年前』ってずいぶん昔なんだけど」のつづき、きのうの東京国立博物館(トーハク)見聞録の完結編です。

トーハク本館(日本ギャラリー)2階・2室は、「国宝室」という名前で、ほぼ1か月交替で国宝が展示されています。
年がら年中、総合文化展(平常展)でも国宝があちこちに何気なく展示されているトーハクですが、この部屋は1室に1点だけ国宝ドーンと別格扱いで展示されています。

現在の国宝室での展示作品は、

渡辺崋山「鷹見泉石像」でした。
前にこの作品を拝見したのはいつだったろうか と思って調べると、約4年前でした
(右の写真こちらの記事に載せたもの)
もうそんなに経つんだ…と感慨に耽ったわけですが、この4年弱の間に、この作品はバンクオブアメリカ・メリルリンチ文化財保護プロジェクトからのご支援を受け」2013年10月から2015年9月にわたって修復されたのだそうで、本館2階・特別1室で、「近年修理を終えた作品を展示し、当館の保存修復事業の成果の一端をご覧いただきます。それぞれの修理のポイントや工程、その過程で得られた情報をあわせて紹介する企画」として、その修復作業の概要を見ることができます(4月24日まで)。

そして、国宝室に展示されている修復後「鷹見泉石像」がこちら

パッと見、違いがよく判らないかもしれませんが、1階のインフォメーション・コーナーで配布されているしっかりしたリーフレットによりますと、修復前は、

表具の左右端につけられた明朝とよばれる小縁(こぶち)が縮んで裂(きれ)同士のバランスが崩れたことにより、全体に強い折れが発生したり、軸木に埋め込まれた鉛製のおもりが酸化して膨脹し、本紙を損傷する危険性も高まっていました。

だそうです。
「明朝とよばれる小縁」というのは、掛け軸の両端を上下に走る白い線のような部分で、確かに、修復前には、絵の両側の何カ所かで皺が横に走っています

それが、

修理前と印象を変えないよう、できるだけ旧表装裂を再利用したり、それに似た裂を用いました。(中略) 紙や裂の特性から将来的に起こりうる収縮バランスを見越して、縮みやすい裂はあらかじめ処置して仕立てるなど、万全を期して未来へ伝えていきます。

だそうで、かなりスッキリした印象があります。
修復した人の生存中にダメになってしまうのは論外で、数十年後数百年後に、後世の人たちから「マズい仕事をしてるなぁ」と嘲笑されることのないように修復するなんて、職人としての技術と矜持が問われるところなんでしょ。

ところで、美術品の修復には、劣化を防ぐ&回復すること、技術の伝承の他に、もう一つ重要な意味があります。
それは、作品が創られた過程技術・技能を知るということ。

この「鷹見泉石像」の修復の場合、「3つの興味深い新知見がありました」だそうで、

まず、肌裏紙除去後の本紙裏面に下描き線が確認されなかったことから、本作品は画稿を敷き写すことにより一気に描かれたとみられること。また、衣の青色部分の裏面のみに極めて控えめな裏彩色が確認されたことから、本来は表面への発色を意図してなされる裏彩色が、表から描かれた青色の染料系の絵具の透明性を活かすための補助程度になされたこと。そして、修理前の顕微鏡調査により、顔のシミの表現それぞれ色の異なる絵具が用いられていたことがわかりました。崋山が泉石の顔貌を写実的に表すことに強いこだわりをもって制作したことが感じられます。

とのこと。

   

今回のバンクオブアメリカ・メリルリンチ文化財保護プロジェクトの支援による修復作業では、「鷹見泉石像」の他、「坪内老大人像画稿」「坪内老大人像」「坪内老大人像付属賛文」でも行われたのだとか。

このうち、渡辺崋山による「坪内老大人像画稿」は、ホント、面白かった

展示されていた修復後「坪内老大人像画稿」は、下描き線たっぷりでいかにも画稿っぽいことに加えて、

注目するべきは、「坪内老大人(坪内八左衛門直之)」の右手が、本体(?)では筆立てた様子モノクロで描かれ、左下には横にした様子彩色で描かれていることでしょう。

修復前「坪内老大人像画稿」はどうだったのかといいますと、

あれまぁ~

坪内老大人は、右手に持った筆を寝かせているし、なぜか筆を立てた様子が下描き風に見えています。

いったいどういうこと?

リーフレットによると、

「坪内老大人像画稿」には修理前、右手部分に筆を寝かせて持つ右手を描いた紙片が貼られていました。従来、この図様が最終稿であると考えられてきましたが、本画稿に直結する本画が現存せず、詳しいことがわかりませんでした。
今回の修理で右手部分の調査を行ったところ、上から貼られた紙片はもともと本紙から破り取られた第一稿であり、新たに貼り込まれた補紙に描かれた筆を立てて持つ図様の方が最終稿であることが明らかとなりました。つまり、廃案となった紙片がいつしか上に貼られて伝来したというわけです。
これらの制作過程を示す資料性と絵画作品としての観賞性の双方を重視して、今回の修理では表装の形態を工夫しました。
(改行位置を変更しました)

一緒に展示されていた「坪内老大人像」は、ご覧のとおり、右手に握った筆を立てています。

坪内老大人像」の作者は「伝渡辺崋山」とされているのですが、「坪内老大人像画稿」の修復過程で明らかになった ことを受けて、そのうち「渡辺崋山筆」となるのかもしれませんな。

美術館・博物館の仕事としては、修復はかなり地味な作業ですけれど、こんな大発見があったり、積み重ねた技術と技能で、世界各地に拡散した日本美術の修復に貢献したりと、かなぁ~り凄い仕事なんですなぁ。

博物館や美術館で目にする美術品や資料「現物」、それらを私たちがを目にできるのは当たり前のことではなくて、その陰には、関係者の方々の努力と研鑽と技術と技能があることを忘れちゃならないと思いました。

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