「半年前の信州旅行記(その38)茅野編 8」のつづきは、諏訪大社上社前宮の見聞録・本編です。
諏訪大社上社前宮は、社務所らしきものが無く、上社本宮と違って「村の鎮守」のような雰囲気でした。
上社本宮の摂社(支社みたいなもの)という扱いだった時期があったといいますから、確かにそんな感じ。
ところが、鳥居の手前にあった説明板によりますと、
ここは、諏訪大社大祝(おおほうり)の始祖と伝えられる有員(ありかず)が初めて大祝の職位について以来、同社大祝代々の居館であったところで、神殿(ごうどの)は神体と同視された大祝常住の殿舎の尊称である。
この神殿のあった地域を神原(ごうばら)と言い、代々の大祝職位式および旧三月酉日の大御立座神事(おおみたてまししんじ)(酉の祭)をはじめ、上社の重要な神事のほとんどが、この神原で行われた。(中略)
後、この居館は他に移ったが、祭儀は引き続いて神原に於いて行われてきた。
諏訪大社上社の祭政一致時代の古体の後を示している最も由緒ある史跡である。
だそうで、別の説明板によれば、
前宮とは上社本宮に対し、それ以前にあった宮の意味とも考えられている。
だそうです。
前宮の「前」は位置を示すのではなく、時間を示す、という説があるわけですな。
ところで、諏訪大社(上社)の神紋は、初めて目にするこんなの
でした。
立葵紋(こちらの記事をご参照方)と似た雰囲気ですが、葉の形が違うし、こちらには根っこまで表されています。
諏訪大社上社前宮では、この神紋の「現物」が栽培されていました。
そして、傍らの説明板には、
神紋 穀(かじ)の木
とあります。
一般的には「梶」の字が使われる「カジノキ」です。
「カジノキ」って、あまり馴染みがないと思うまま、ちょっと調べてみると、和紙の原料として有名なコウゾ(楮)の仲間のようで、Wikipediaによれば、
葉はブタ、ウシ、ヒツジ、シカなどの飼料(飼い葉)とする。樹皮はコウゾと同様に製紙用の繊維原料とされた。中国の伝統紙である画仙紙(宣紙)は主にカジノキを用いる。 また、昔は七夕飾りの短冊の代わりとしても使われた。
だとか。
葉っぱは家畜のエサかい
と思ったら、Wikiediaの別の説明では、
梶の葉は、柏の葉と同じように食器として用いられ、後に神前の供物を供えるための器として用いられたことから、神職に用いられるようになった。 文様としては、『吾妻鏡』に見る、武田信義の諏訪上宮で見たという夢の話に登場する「…梶葉文の直垂を着し、葦毛の馬に駕すの勇士一騎、…」が初見とされている。
諏訪神社が神紋として用いるほか、江戸時代には諏訪氏をはじめとして松浦氏、安部氏など4家の大名と四十余家の幕臣が用いている。苗字に「梶」の字を用いる家が用いる場合もある。
ですと。
なるほどぉ~ です。
つづき:2016/04/07 半年前の信州旅行記(その40)茅野編 10