新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

今年2度目の関西遠征記 #3-4

2022-04-05 21:08:11 | 旅行記/テレビ番組

「今年2度目の関西遠征記 #3-3」のつづきです。

東映太秦映画村を楽しんだあと、今度は「条映映画村」です。

「連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』展~ひなたの映画村へようこそ~」(4月27日で終了)の入口は、東映城大手門のすぐ右の通用門のようなところにありました。

と、その左側にあったのは、

「カムカムエヴリバディ」では条映映画村の日本橋のたもとに設置されていた案内MAPでした。

この案内MAPはあとでじっくりと観察させていただくことにして、入村

来場者を迎えてくれたのは、

初代モモケン主演作の手描き看板

るいジョー(クリーニング屋の竹村夫妻も)大阪で視た「駄作」の誉れ高い(?)「棗黍之丞 妖術七変化 隠れ里の決闘」だけでなく、算太岡山で視た初代モモケンのデビュー作「桃から生まれた劍之介」とか、安子大阪で視た「棗黍之丞仁義劍」とかの看板もありました。
きょうの「カムカムエヴリバディ」では、この「棗黍之丞仁義劍」アニーの「壁」決壊させましたなぁ。

振り返ってみれば、「カムカムエヴリバディ」ではモモケンが物語を動かす重要な役回りだったんだなと思います。
わたし的にこれまでの大好きシーン No.1は、落ち込むチビひなたに臨月のるいが披露した

 おかあちゃん、見参 (最高に決まっていた)

だし…

お次は、「条映映画村の備品」の顔出しパネルです。

右側の二代目モモケンの顔出しパネルは、川栄李奈さんの顔の大きさに合わせて制作されたと聞いていましたが、「感染拡大防止のため」として、実際に顔出しすることはNGでした。

「カムカム展(略称)入場無料だけあって(?)、その展示スペースは狭かったのですが、それでも展示された品々はどっさりあって、「あ~、あの時の連発でした。
係員さん条映のはっぴを着ているのも良し

展示品は、冒頭に載せた「条映の社旗」につづいて、ジョー関係から始まりました。
ジョーが優勝した笹川プロダクション主催のジャズセッションポスターとチケットチビ・ジョー米軍クラブでトランペットの吹き真似していたボトル

ジョーの思い出の品

そしてトランペットと、ジョーが笹川家のピアノの上に無造作に置いたものだから、Twitter上で批判がかまびすしかったケース

見上げると、ナイト・アンド・デイネオンサイン本家サッチモちゃん

このネオンサインのデザインがイイ

「カムカム」が番組のロゴやタイトルロールや回数表示などに多用している「円(丸)だし(回転焼きもそう)、ネオンサイン独特の流れるような筆記体文字の傾きが、楽しげです。

   

お次は、「安子&稔」編で、「Dippermouth Bluesマッチと二人の交換書簡

「Dipper Mouth」は、「サッチモ (Satchmo)」以外にもいくつかあったルイ・アームストロング愛称の一つなんですな
ですから、こちら「Dippermouth Blues(敵性語排除の時代の店名は「出齒口の憂鬱」)常備品だったのでしょう。

さんは男女兼用で「るい」ひらがなで命名したから、ちゃんは「塁だと思い込んだ悲喜劇

ここまで書いたところで、稔⇒安子⇒るい⇒ひなたと受け継がれた「神器的存在の「雉眞稔」名入りの英和辞典の写真を撮り忘れていた ことが判明しました
Why? Why?
もったいないことをしました…

いまさら悔やんでもせんないことなので、気を取り直して、もう一度、安子&稔交換書簡をじっくりと拝見しましょ。
まずは、昭和14(1939)年9月27日付け安子⇒稔の手紙

つづいて、同年(と思われる) 9月28日付け稔⇒安子の手紙

この2通の手紙は、大阪~岡山のどこかすれ違ったはずなんですが、奇しくも二人とも十五夜の月のことを書いていて、ここでも「円(丸)」共鳴しあっています

というところでカムカム展のお話は「#3-5」につづきます。

つづき:2022/04/06 今年2度目の関西遠征記 #3-5 

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