新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

台風に邪魔されながらの関西旅行記 #1-3

2024-09-07 16:00:20 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「台風に邪魔されながらの関西旅行記  #1-2」のつづきです。

「村上隆 もののけ 京都」「第3室 DOB往還記」に行く前に、ちょっとしたトリビアを…。

「#1-2」でちょっと書いた四神(東:青龍、南:朱雀西:白虎北:玄武)にはそれぞれシンボルカラーがありまして、この東:青南:赤西:白、北:黒」は、意外なところでも見ることができます。
それは、例えば、大相撲の吊り屋根から下がる房の色とか、日本武道館のスタンドの椅子の色(の代わりにだけど)とか…。

それでは、仏堂のご本尊をお守りしている四天王はどうなんでしょ?
東の持国天南の増長天西の広目天北の多聞天だったりするのでしょうか?

「彩色の残る四天王像を拝見したことは無かったよな…と思いつつ、このブログの過去記事を探してみると、ありました
8年前奈良博 なら仏像館見聞録(記事)で、京都・海住山寺の四天王を拝見し、図録から、

持国・増長・広目・多聞天の順に、の身色に塗り分けられる点や、持物、体勢などから、鎌倉時代に復興された東大寺大仏殿に安置されていた四天王像の図像に合致する作例と知られる。

と引用していました (すっかり忘れてた)
ほう、四天王の色は違うのか…と、他の資料も当たってみたところ、持国天の緑多聞天の青のそれぞれ代替とされているようです。

   

脇道にそれるのはこの辺にしまして、「村上隆」展に戻ります。

「第3室 DOB往還記」は、

1990年代に登場した村上の代表的キャラクター「DOB」。マンガやゲームのキャラクターをモチーフとするDOBは、変幻自在に姿を変え、様々な文脈に接続してきました。村上のスーパーフラットの概念を体現するDOBの往還を辿ります。加えて、新たなキャラクターやフィギュアなどの作品の数々は、現代の「のののけ」?

だそうで、ひたすらPOPな空間でした。

私は、作品の大きさ/小ささそのものも作品構成要素の一つだと思っていまして、本やネットで知っている作品も、現物を目の当たりにすると、その大きさ/小ささで印象がガラリと変わることはよくあることです。
この「村上隆」展では、巨大な作品が多くて、上に載せた「And Then 2024」3m四方の大きさです。
大きなオリジナル作品で心を揺さぶられ過ぎると、ミュージアムショップでポストカードや図録を買う気が削がれるという副作用があったりもします。
結局私は、オリジナルとの印象が違いすぎる気がして、この展覧会のポストカードも図録も買いませんでした。図録は、税込6,600円という価格もネックになったのですが…

   

第3室と打って変わって、「第4室 風神雷神ワンダーランド」は、江戸絵画の傑作たちが、村上流にいじり倒されていました
コーナーのタイトルになっている宗達以降の琳派の伝統的素材「風神雷神」なんか、こうです。

完全に脱力しています
そういえば、琳派による「風神雷神図屏風」は、右隻に風神左隻に雷神が描かれていますが、この作品は左右逆になっているのはなぜなんだろ?

さらに、隣りに展示されていた同じモチーフの「むにょにょん雷神図」は左に、「ぽよよん風神図」は右と、

「風神図」「雷神図」とはになっているのはこれまたなぜなんだろ

などと考え込みながら先に進んで行くと、出ました 「雲竜赤変図《辻惟雄先生に「あなた、たまには自分で描いたらどうなの?」と嫌味を言われて腹が立って自分で描いたバージョン》」とタイトルが長ければ、カンバスもやたらと長い(10m)作品です。

元になった曽我蕭白「雲龍図」は、2012-13年に開催された「ボストン美術館 日本美術の至宝」展で、東京と大阪の両会場で観ました (写真は大阪市立美術館にあった記念撮影スポット)

もともとマンガチックな作品だと思っていましたが、村上さんはオリジナルには無い鼻毛まで描いている

オリジナルを観たことがあるといえば、この「ライオンと村上隆」もそうです。

ぐたぁ~とした獅子が頭にを載っけている意匠は、2011年7月に「不滅のシンボル 鳳凰と獅子」@サントリー美術館で観て、ブログで、

cuteといえば、彭城百川「天台岳中石橋図」に描かれた獅子出色でした。困ったような表情で石橋の上に寝そべった獅子が川面をぼんやりと見ている図で、獅子の頭には大きな牡丹の花の飾り
「獅子には牡丹がつきもの」とはいえ、何という斬新な表現なのでしょうか
「誰につけてもらったの? 自分でつけたの?と、獅子に聞いてみたくなる作品でした。

と書いたこの作品がモチーフなんじゃなかろうかと考えました。
そこで「天台岳中石橋図」でググってみたら、こちらのサイトで、御大・辻惟雄さんが、

一方、村上さんもちょうどその頃、なんか日本美術の中から自分の制作のもとになるもの、モチーフをつくり出そうとしていたと思います。それであのときは確か、村上さんは、彭城百川(さかきひゃくせん)という江戸時代の画家、この人は文人画の最初の段階に出てくる人なんですが、奈良にあって、重要文化財になってる《天台岳中石橋図(てんだいがくちゅうしゃっきょうず)》という襖絵をもとにして、それをいろいろいじってましたね。私が〈永徳、唐獅子〉というお題を出したら、村上さんは永徳ではなく、その百川の獅子を屛風にして、第1回目の回答がそれでした。

と書いていらっしゃいました
当りぃ~

一方、きわどいところで元ネタを見逃したのが、「見返り、来迎図」

この作品の元ネタ、知恩院「阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)は、今年春に東京国立博物館で開催された「法然と極楽浄土」展に出展されましたが、私がこの展覧会に行ったとき(6月6日)には、既に「早来迎」の展示は終了しておりました

それはさておき、気になったのは、画面の右側、

菩薩様たちがお迎えに来る描写なんでしょうけれど、なんとなく「スター・ウォーズ」っぽい。
スターデストロイヤーから発艦したたくさんのタイファイターが来襲してくるように見えませんか?

というところで、諸般の事情により、「#1-4」に続きます。
あまりキリは良くないのですが、まぁ、ご勘弁を

つづき:2024/09/09 台風に邪魔されながらの関西旅行記  #1-4

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