「約1年ぶりの関西旅行記 #2-2」のつづきです。
住吉大社へのお参りを終えたのは11時ちょい過ぎ。
さて、次はどこに行って、お昼には何を食べようか? などと考えながら、とりあえずは北上しよう ということで、戻りは阪堺電車
に乗ってみることにしました。
住吉鳥居前で待つこと数分で天王寺駅前行きの電車がやってきて乗車。
電車に揺られながら今後の行動を検討した結果、まずは、道頓堀界隈をブラブラしながら昼食を摂ることにしました。
道頓堀への行き方をスマホで調べると、天王寺駅から大阪メトロ・御堂筋線に乗り換え、なんば駅で降りれば良し、と…。
そしてなんば駅から外界に戻り、ちょいと北上すると、道頓堀エリアに突入しました。
過去、何度も道頓堀にはやって来ましたが、じつは法善寺にはお参りしたことがありませんで、今回が初めて
話に聞くとおり、水かけ不動さまは分厚く苔に包まれて、菊人形ならぬ苔人形の風情でした。いったいどれだけの年月を経てここまでになったのやら…
と思ったら、法善寺のHPによると、
400年近い歴史をもつ法善寺ですが、実は“水掛け”の歴史は浅く、戦後すぐに始まったものでした。ある日、法善寺へお参りにやってきた一人の女性が、お供えされていた目の前の水を手ですくい、お不動さんに掛けたのです。「願いを叶えて欲しい」と仏さまにすがる女性の強い思いが、今日まで続く“水掛け”の作法の発祥となりました。水掛不動尊を包む苔は、願いの数だけ広がり、願いの分だけ育まれてきました。
ですと
さて、昼飯 なんですが、土曜日の正午だというのに、開いている店がめちゃくちゃ少ない
法善寺界隈だけでなく、名物の立体看板(6年前の訪問記)が溢れる道頓堀商店街に出ても、やはり営業していない店が多い
外国人観光客がほぼ皆無になっていることが大きいのか、人出も6年前に比べれば少なく、半減という感じ
それでも、開いている店が少ないことで、営業中の店には行列ができているという、行列嫌いの私には厳しい状況でした。
とりわけ、
「道頓堀 今井」には長い行列ができていました。以前、道頓堀に来たときはまったく気づかないうどん屋さんだった「道頓堀 今井」ですが、昭和21(1946)年創業の老舗。その歴史をたどれば(こちらのサイトは実に読みごたえあり
)、前身は「今井楽器店」で、そのまた前身は芝居茶屋の「稲竹」、、、と来れば、NHK朝ドラ「おちょやん」の主要な舞台となった芝居茶屋「福富」(千代ちゃんの職場は「岡安」だったけど)⇒福富楽器店⇒うどん店「岡福」とぴったり重なります。
今でこそ道頓堀は「食い倒れの街」のイメージ一色ですが、江戸時代初期(17世紀)から「芝居の街」で、関西大学 大阪都市遺産研究センターのこちらのサイトによると、
最盛期には、歌舞伎六座、浄瑠璃五座、からくり一座の計十二座が軒を並べていました。天保13年(1842)の改革令で、「筑後の芝居(大西の芝居)」・「中の芝居」・「角の芝居」・「若太夫の芝居(若太夫座)」・「竹田の芝居」の五座に減らされますが、川側の通りには芝居茶屋が立ち並び、芝居街として大いに賑わいました。明治時代には、筑後の芝居(大西の芝居)が「浪花座」に、中の芝居が「中座」に、角の芝居が「角座」に、竹田の芝居が「弁天座」へと改称され、「朝日座」とあわせて、「道頓堀五座」と呼ばれるようになりました。
だとか。
現在の道頓堀のシンボルTOP3といえば、「くいだおれ太郎」、グリコの看板と戎橋かと思います。
特にグリコの看板を背景に、戎橋の上でバンザイ\(^o^)/するのは記念撮影の定番。
ところが、「おちょやん」の道頓堀編にしばしば登場した橋は、戎橋ではなく太左衛門橋でした。
これは、太左衛門橋が道頓堀芝居街の真ん中に架かる橋だったからなのだろうと思います。
それはさておき、既に「道頓堀五座」はいずれも跡形もなく姿を消し(中座くいだおれビルに「中座」の名前が残っているくらいか…
)、「芝居の街」だった時代の最後期、大正12(1923)年に開業した大阪松竹座が道頓堀唯一の大劇場として残っているのはなんというか…
この日、大阪松竹座では松竹新喜劇が公演中で、演目の中には「おちょやん」で重要な役回りになった「お家はんと直どん」が含まれていました。
で、昼食を摂るお店を決めあぐれるまま道頓堀商店街をさまよい歩いた末、結局、道頓堀川の北側、心斎橋筋で前夜に続いて串カツを食べました。
昼食と、河岸を変えての食後のコーヒー
を終えた段階で、時刻は13:40
。約1時間
後にフェスティバルホールに着けばよいタイミングです。(この日の「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」の 1st Showは15:00開演)
フェスティバルホールへは、御堂筋線なら心斎橋駅から淀屋橋駅まで2駅
、四つ橋線
なら四ツ橋駅から肥後橋駅まで2駅
と、地下鉄
に乗ればあっという間に着いてしまって、時間を持て余すこと必至です。しかも地下鉄で2駅なら歩くのも良かろう
と考え、徒歩
でフェスティバルホールを目指すことにしました。
大阪の街はほぼ碁盤の目状の町割りですから、道に迷うこともなさそうです。
こうして、心斎橋筋商店街を北に向かって歩き出したところで、「#2-4」 につづきます。
つづき:2021/12/05 約1年ぶりの関西旅行記 #2-4
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