きのうの記事「思いつきの岐阜ドライブ旅行 #1-4」の番外編です。
秋田の別邸に帰省しています。
きのう、新幹線で帰ってきたのですが、今回の帰省用というか、帰省中のブログ書きの参考用に、BDレコーダーに録画済みの「ブラタモリ」の「#92 岐阜(17/12/2放送)」「#143 比叡山(19/9/21放送)」「#144 比叡山の修行(19/9/28)」をBDに落として持ってきました。
私、「ブラタモリ」は、結構、リアタイで視ているはずなんですが、「#92 岐阜」は視た記憶が無くて、きのう、別邸で視てみました。
岐阜城でチャートの露頭を観たり、その「由来」を読んだりするうち、なんだかブラタモリみたい… なんて思っていたら、「ブラタモリ #92 岐阜 ~岐阜は 信長が夢見た“平和の都” !?~」の前1/3は、まさしく、「金華山=チャートの山」の話に終始しているではありませんか
しかも、番組で最初に出てくるチャートの地層は「#1-4」に写真を載せた、山頂部の喫煙所近くの場所だし、「褶曲(しゅうきょく)」を愛でるのは、山麓の織田信長居館跡の滝のところだし…
私の岐阜城観光は、「なんだかブラタモリみたい… 」どころか、完全に「ブラタモリ」の後追いですよ
しかも、放送の2年半もあとに…
やはり、出かける前に、予習として「ブラタモリ」を見ておくべきだったなぁ~と、反省しきりでございます。
上の写真は、天守の手前で見えた石垣なんですが、この石垣が、天守手前の低くなっていた地点に土を盛り石垣を築いてなだらかな通路に変えた跡だなんて、現地じゃ思いもつきませんでしたよ…
また、戦の際には、天守に立て籠もっても、麓を制圧されれば孤立するだけという戦いには不向きの城(「#1-2」で書いたように、関ヶ原の戦い直前の「岐阜城の戦い」では、1日で落城した) を、なぜ信長が造ったのか不思議だったのですが、「ブラタモリ」で解説されていたように、岐阜城が示威と接待のための施設だったと考えれば合点がいきます。
今回の岐阜観光は、岐阜公園のみ2時間半程度のスポット観光でしたけど、「ブラタモリ」を視たら、もう一日、岐阜市内をのんびりと歩いて、川原町の街並みとか、
織田塚なんぞを、
見物すれば良かったかな… と思ったりして…
もっとも、翌日は、そもそも観光に不向きの天気だったのではありますが…
やはり、観光の予習には「ブラタモリ」は欠かせない と思うわけでございます。
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