「今年2度目の関西遠征記 #3-3」のつづきです。
東映太秦映画村を楽しんだあと、今度は「条映映画村」です。
「連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』展~ひなたの映画村へようこそ~」(4月27日で終了)の入口は、東映城大手門のすぐ右の通用門のようなところにありました。
と、その左側にあったのは、
「カムカムエヴリバディ」では条映映画村の日本橋のたもとに設置されていた案内MAPでした。
この案内MAPはあとでじっくりと観察させていただくことにして、入村
来場者を迎えてくれたのは、
初代モモケン主演作の手描き看板
るいとジョーが(クリーニング屋の竹村夫妻も)大阪で視た「駄作」の誉れ高い(?)「棗黍之丞 妖術七変化 隠れ里の決闘」だけでなく、算太が岡山で視た初代モモケンのデビュー作「桃から生まれた劍之介」とか、安子と稔が大阪で視た「棗黍之丞仁義劍」とかの看板もありました。
きょうの「カムカムエヴリバディ」では、この「棗黍之丞仁義劍」がアニーの「壁」を決壊させましたなぁ。
振り返ってみれば、「カムカムエヴリバディ」ではモモケンが物語を動かす重要な役回りだったんだなと思います。
わたし的にこれまでの大好きシーン No.1は、落ち込むチビひなたに臨月のるいが披露した、
おかあちゃん、見参 (最高に決まっていた)
だし…
お次は、「条映映画村の備品」の顔出しパネルです。
右側の二代目モモケンの顔出しパネルは、川栄李奈さんの顔の大きさに合わせて制作されたと聞いていましたが、「感染拡大防止のため」として、実際に顔出しすることはNGでした。
「カムカム展(略称)」は入場無料だけあって(?)、その展示スペースは狭かったのですが、それでも展示された品々はどっさりあって、「あ~、あの時の」の連発でした。
係員さんが条映のはっぴを着ているのも良し
展示品は、冒頭に載せた「条映の社旗」につづいて、ジョー関係から始まりました。
ジョーが優勝した笹川プロダクション主催のジャズセッションのポスターとチケット、チビ・ジョーが米軍クラブでトランペットの吹き真似していたボトル。
そしてトランペットと、ジョーが笹川家のピアノの上に無造作に置いたものだから、Twitter上で批判がかまびすしかったケース
見上げると、ナイト・アンド・デイのネオンサインと本家サッチモちゃん
「カムカム」が番組のロゴやタイトルロールや回数表示などに多用している「円(丸)」だし(回転焼きもそう)、ネオンサイン独特の流れるような筆記体と文字の傾きが、楽しげです。
お次は、「安子&稔」編で、「Dippermouth Blues」のマッチと二人の交換書簡。
「Dipper Mouth」は、「サッチモ (Satchmo)」以外にもいくつかあったルイ・アームストロングの愛称の一つなんですな
ですから、こちらは「Dippermouth Blues」(敵性語排除の時代の店名は「出齒口の憂鬱」)の常備品だったのでしょう。
稔さんは男女兼用で「るい」とひらがなで命名したから、勇ちゃんは「塁」だと思い込んだ悲喜劇よ
ここまで書いたところで、稔⇒安子⇒るい⇒ひなたと受け継がれた「神器」的存在の「雉眞稔」の名入りの英和辞典の写真を撮り忘れていた ことが判明しました
Why? Why?
もったいないことをしました…
いまさら悔やんでもせんないことなので、気を取り直して、もう一度、安子&稔の交換書簡をじっくりと拝見しましょ。
まずは、昭和14(1939)年9月27日付けの安子⇒稔の手紙
つづいて、同年(と思われる) 9月28日付けの稔⇒安子の手紙
この2通の手紙は、大阪~岡山のどこかですれ違ったはずなんですが、奇しくも二人とも十五夜の月のことを書いていて、ここでも「円(丸)」で共鳴しあっています
というところでカムカム展のお話は「#3-5」につづきます。
つづき:2022/04/06 今年2度目の関西遠征記 #3-5
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます