三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

仏教と戦争(2)

2021年10月29日 | 仏教

 3 他集団との問題を戦争以外の方法で解決
『クータダンタ経』(パーリ語経典長部)は、理想の王は、よく訓練された軍隊を具えるなど、戦わずとも威光によって敵王たちを圧倒すると説く。

『アショーカ物語』によれば、アショーカ王は自らの善業の力により軍隊を超自然的に出現させ、神々は軍事遠征する各地の人々に「アショーカ王に対抗してはいけない」と命令した。

『サティヤカの書』(大乗経典4~6世紀)によると、インド古典において、王の最も重要な義務は臣民を守ることである。
外国の軍隊による危害から臣民を守ることは憐みの実行である。
戦争のための軍隊が近くにいるならば、王は第1段階、第2段階、最終段階の3種類の手段の善巧方便によって対処する。

 第一段階
王は戦争を開始する前に、3つの方策、すなわち①友好、②支援、③威嚇(広範囲の同盟関係とそれにより大きな対抗勢力となる恐怖などを敵に抱かせること)のいずれかにより戦争の阻止を試みる。
3つの方策のうち、①と②はバラモン教の法典群の懐柔と贈与に相当し、3つ目の方策は分断である。

王は、敵は何か原因があって罪(この戦争)を犯そうとしていると考え、その原因を取り除いてやることによって敵と友好関係をもつべきである。
贈り物など必要な支援を与えたり、あるいは同盟国とともに敵軍を威嚇したりして、戦争を回避する努力をしなければならない。

これらの方策を試みることは、不殺生などの十善の戒めによるものであるとともに、敵兵に対する王の憐みによるものでもあろう。

これは、外交によって戦争を回避する、あるいは圧倒的軍事力の差によって威圧するという手段です。
1962年のキューバ危機で核戦争が回避されたのは、フィリップ・E・ テトロック、ダン・ガードナー『超予測力』によると、こういう経緯があったからです。

1961年、CIAは亡命キューバ人を訓練し、カストロ政権にゲリラ戦を仕掛けようとした。
ところが、ゲリラ部隊がビッグス湾に上陸すると、キューバ軍が待ち構えており、ゲリラ軍は殺害されるか捕虜になった。

1962年、キューバにソ連のミサイル基地ができ、ソ連の戦艦が近づく。
キューバ危機によって米ソの核戦争が勃発するかと思われたが、アメリカとソ連が合意に達して戦争は回避された。

ビッグス湾事件の失敗は全会一致主義が根本原因であり、再発防止のため意思決定のプロセスが変革された。
徹底した自由な議論がなされるためにケネディ大統領が席を外すこともあった。
ケネディ大統領はソ連のミサイル発射装置への先制空爆は承認せざるをえないという危機感を持っていたが、議論に影響を与えないよう誰にも言わなかった。
委員会では10の選択肢が議論され、核戦争ではなく交渉による平和をもたらした。

軍事力の差による威圧の例です。
ポール・コリアー『民主主義がアフリカ経済を殺す』によると、西アフリカや中央アフリカにあるかつてのフランス植民地国にはフランス軍基地があり、フランスによる軍事保障は各地の内戦の発生を抑制した。

2008年 チャドで内戦が突入し、反政府勢力が大統領官邸の門に迫った。
フランスは反政府軍に、撤退しない場合はフランス軍が撃退すると告げると、反政府軍は撤退した。
この手段は軍事力に圧倒的な差があっても難しいそうです。

『サティヤカの書』(『サティヤカの章』)の漢訳名は『仏説菩薩行方便境界神通変化経』(5世紀)、『大薩遮尼乾子所説経』(『菩薩境界奪迅法門経』6世紀)です。
第二段階、最終段階については後ほど。

 4 戦争をするが殺生をしない
釈迦国がコーサラ国によって滅ぼされましたが、このことについては森章司「釈迦族滅亡年の推定」に詳しく書かれています。
http://www.sakya-muni.jp/pdf/mono19_ke08.pdf

進軍するコーサラ国の軍隊が通る道の枯れ木の下に釈尊は座り、2度軍隊をとめた。
3度目の進軍で釈尊もあきらめ、釈迦国は滅ぼされた。
マガダ国の阿闍世王は釈尊の信者なのだから、助けを求めてもいいと思うのですが、それもしていません。

コーサラ国が釈迦国のカピラ城を攻撃した時、弓矢の名手である釈迦国の戦士たちは矢を放って抵抗したが、コーサラ国の兵士を傷つけないように矢を射った。
ヴィドゥーダバ王王は怖れて逃げようとしたが、釈迦族は不殺生戒を保っているので、人を傷つけることはないと大臣に言われて、城を攻めた。
その時、釈迦族の若者が戦って多くの敵兵を殺したが、釈迦族の人たちが非難したので若者は国を去った。

森章司さんによると、釈尊が死んだ時に遺骨を8つの国に分けたが、釈迦国もその一つだったから、全滅してはいないのではないかとのことです。

杉木恒彦さんは『大般涅槃経』(大乗経典)に説かれる、仏法の衰退する時代における在家の特殊な戒を取り上げています。

仏法衰退の時代、戒を正しく保つ比丘たちは身の危険にさらされているゆえ、旅をするとき、比丘は王など武装した在家信徒を護衛として同伴させてよい。
持戒の比丘は仏法の確かな保持者であるので、道中、武装した在家信徒は、敵対者たちから比丘を守らなければならない。
だが、敵を殺してはならず、武器は敵の攻撃を止めるためにのみ使う。
こうして戦死や寿命が尽きて死んだ在家はアシュク仏の浄土へ転生し、そこで悟りを得る。

釈迦族の滅亡と『大般涅槃経』の所説は、敵を殺傷しないかぎり、敵の攻撃を退けるための武器の使用を容認している。

また、『アリーナチッタ前世物語』(『ジャータカ』)『ボージャージャーニーヤ前世物語』『サティヤカの書』では、敵を殺さずに生け捕りにすることによって戦争に勝利する方法が説かれている。
主人公たち(釈尊の前世)は勇敢に突撃し、敵王を生け捕りにして戦争を終結させ、敵王に二度と敵対しないと誓わせた後、解放している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする