三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

慈悲と善巧方便にもとづく殺生(4)

2021年10月17日 | 仏教

岡野潔「釈尊が前世で犯した殺人 大乗方便経によるその解釈」は、『大乗方便経』に説かれる、方便としての殺人を肯定する教えは後世の仏教に悪影響を与えたと指摘しています。
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/16922/p139.pdf

釈尊がカディラ樹の破片で怪我をした出来事の前生譚(前世での殺人譚)は、後代の大乗徒と密教徒にとって「菩薩が殺人を犯しても罪悪とならず、逆に福徳を生じさせる場合」として、殺人が許容される場合の判例の役割を果たした。

『大乗方便経』の編集者が船上の殺人の話の扱いにおいて、その殺人行為を英雄譚とし、話の結末において殺人という罪の行為が何ら悪業を生じさせなかったと記述したことは、この殺人譚は後世に禍根を残した。
結果的にその後の大乗仏教の道徳観の形成に、独善的な傾向性のあるネガティブな影響をも与えることになった。

釈尊が前世で殺人を決意した段階では、菩薩はその業により地獄に堕ちるつもりでいた。
慈悲と自己犠牲の精神により殺人を犯したのである。

しかし、『大乗方便経』の編集者が殺人行為に無罪を宣告し、殺人の結果をハッピー・エンドにしたことによって、その行為から自己犠牲の性質が失われてしまった。

この法話を聞いた後では、大乗徒たちは殺人という手段が目的さえ尊ければ許され、しかも自己犠牲も必要とせず、人を殺しても得をする場合があることを意識するようになったであろう。
そのような打算的な意識が心のどこかにあれば、自己犠牲の行為は穢されてしまい、台無しにされてしまう。
人がもし『大乗方便経』のこの殺人譚の幸せな結果だけを見て、最重要な「自分はこの行為によって自ら地獄に堕ちよう」という菩薩の自己犠牲の生き方を見ないのであれば、単純に無節操な殺人の肯定に結びつく。

密教の注釈家たちは後期密教における呪殺を正当化する聖典的根拠の一つとして、『大乗方便経』のこの話を挙げる。
呪殺とは密教行者が隠れて秘かに行う方法であり、『大乗方便経』の菩薩のような自己犠牲の精神がない。
自分が傷つかず、いかなる悪業も受けずに人を殺せることを当たり前のことと考える。
殺人請負人のように、他人から依頼されて謝礼を受けて呪殺を行うこともある。
菩薩行とはかけ離れた打算がある。

呪殺については正木晃『性と呪殺の密教』が詳しいです。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/a5804d7d0e9183226d9636884b002bed

岡野潔さんはこのように締めくくります。

この話を編集者が釈尊の無業報の立場を取る『大乗方便経』の中に採用したことによって、殺人行為が悪業を発生させず、逆に十万劫の間、輪廻を超越するメリットがあったという蛇足的な記述を、必然的に話の最後に付け足さざるを得なくなった。しかしその蛇足こそがこの英雄譚から自己犠牲の性質を奪ってしまい、後世においては、自己保身のために邪魔な者を抹殺しようとする、虫のよい自称仏教徒たちの卑怯な振舞に口実を与えてしまったように思う。
『大乗方便経』のこの話は、後期密教の思想の影響を受けたオーム真理教が犯した殺人行為につながってゆくのである。


釈尊はいかなる意図があろうと殺生を禁じていることは、律の殺人戒を読めばわかります。
http://www.sakya-muni.jp/pdf/mono18_r25_010.pdf

ところが、殺人を方便だとして許容し、殺すほうも殺される側も死後に天界に転生すると説いたのですから、オウム真理教のポアの考えとどう違うのかと思います。

増谷文雄『仏教概論』に「仏教の歴史は異端の歴史」だとあります。
時代や地域、社会が異なれば、教えや決まりも変わってきて当然です。
教祖の言葉を一字一句変えず、教団も同じ形のまま維持しようとするなら、それは原理主義であり、今を生きる教えにはなりません。
だからといって、自分の都合のいいように変えていいというわけではありません。

外してはならない基本線というものがあります。
仏教では縁起と不殺生だと思います。

釈尊が前世で、盗賊を殺すことによって多くの人命を救ったということだけなら許容範囲かもしれません。
しかし、盗賊を殺すことで盗賊が地獄に堕ちることを防いだのだから、殺人の罪報を受けることはないとし、さらには盗賊は殺されたことで天界に転生したと説くのですから、不殺生という仏教の基本線を越えています。

戦前の仏教界は、兵士が戦争で敵兵を殺すことを菩薩行だと賞賛しました。
釈尊の前世だけに認められた慈悲と善巧方便にもとづく殺生(一殺多生)を拡大解釈したのです、
外道に堕したわけです。

コメント
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