三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

コンゴ民主共和国の100万コンゴフラン

2018年03月14日 | 日記

本を読んだり、映画を観てて、いつもわからんなと思うのは物の値段です。
外国や昔の話だと、高いのか安いのかわからない。

過去の貨幣の価値はネットで調べることができます。
たとえば「日本円貨幣価値換算計算機」で、1902年(明治35年)の1円調べてみます。
GDPを主として用いた物価変動をもとにすると、2016年(平成28年)の3705円
消費者物価指数をもとにすると、2016年(平成28年)の4077円
https://yaruzou.net/historical-prices-1932
外国だと為替がいくらか計算すればいいはずです。
しかし、国民の平均所得や物価が日本と違うし、正規のレートと闇のレートは異なっています。

アラン・ゴミス『わたしは、幸福(フェリシテ)』は、コンゴ民主共和国の首都キンシャサが舞台。
息子がバイクの事故で足を骨折し、手術と治療の費用が100万フランと医者に言われる。
歌手の母親はそのお金がないので、バンドの仲間が寄付してくれたり、貸した金を取り立てるために警官と一緒に金を貸した人のところに行くなど、金集めに奔走する。
それでも12万フラン足りないので、金持ちの家に入り込んで、無理矢理お金をもらう。
ここまでが前半の話。

母親は冷蔵庫(さほど大きくはない)が壊れたので、修理屋に頼んで新品の冷蔵庫を買ってもらうことにします。
修理屋は250ドルを請求し、母親は100ドルと答え、結局150ドルで手を打ち、その場で現金を渡します。
1ドル110円として、冷蔵庫は1万6500円です。
日本と値段はさほど変わらないです。
それにしても、冷蔵庫なら自分が買いに行ったほうが、手数料を払わなくてすむので安くつくように思いますが、コンゴではどういう仕組みなんでしょうか。

100万フランは日本円にするといくらなのか。
調べると、なぜか為替レートがサイトによって違います。

1コンゴフラン=0.1759円
1円=5.69コンゴフラン
1ドル=607.58コンゴフラン
http://currency7.com/ja
1コンゴフラン=0.0680183円
1円=14.7021コンゴフラン
1ドル=1570.50コンゴフラン
http://www.xe.com/ja/currencyconverter/convert/?Amount=1&From=JPY&To=CDF
1コンゴフラン=0.07円
1円=15.13コンゴフラン
1ドル=1616.00コンゴフラン
http://urx2.nu/J3cH

100万コンゴフランは約7万か約17万円となります。
「最新の為替レート計算機」だと、100万コンゴフランは68039.60円。
https://1manen.net/currency.php?amount=1000000¤cy=CDF

ちなみに、コンゴに行った人のブログによると、闇レートは正規レートと大して差はないそうです。
https://ameblo.jp/sekaihirokichi/entry-12183088646.html

キンシャサに住む人の生活実感として、100万コンゴフランはどれくらいなのか。
アメリカ国務省によると、国民1人当たりの年間所得は2010年で約189ドル。
http://urx2.nu/J398
100万コンゴフランは平均年収の数倍以上です。

「平均年収」というサイトによると、日本の平均所は得ここ数年の平均で416万円。
コンゴの平均年収は日本の約20分の1です。
http://heikinnenshu.jp/country/japan.html

フィリピン映画のブリランテ・メンドーサ『ローサは密告された』の冒頭、スーパーのレジ係がお釣りの小銭がないのでアメを渡します。
そして、スーパーで買ってきた食品をローサは自分の小さな店で売るわけです。
フィリピンではこんなことを実際にしているのかと思いました。

ローサは麻薬も売ってて、踏み込んできた警察にローサと夫は逮捕されます。
そして警官たちはローサに20万ペソを要求。
そんな大金はローサにはないので、売人を警察に売ります。
しかし、売人の妻は5万ペソ以上は無理と言うわけです。

1ペソは2.06円ですから、5万ペソは約10万円。
売人なのに10万円が手元にないのかと疑問に思いました。

しかし、フィリピンの平均年収は48万円で、日本の約10分の1です。
20万ペソはほぼ年収に近い金額です。
5万ペソは年収の約10分の1だから、日本だと数十万円になります。

フィリピンの物価は日本の4分の1で、収入は12分の1だから、フィリピン人の生活の大変さは日本の3倍だと、あるサイトにありました。
http://ur0.link/IZDm
おそらくコンゴの生活の大変さはフィリピン以上でしょう。

日本だって高度経済成長期以前は貧しかった。
湯沢雍彦『明治の結婚 明治の離婚』に、明治初年ころ、愛知県の農村に住んでいた人の手記が紹介されています。

村に283戸あるうち、風呂のある家が約30戸で、生涯、川で手足や顔を洗い、一回も湯に入らない人もたくさんいた。
足袋は正月だけはき、ふだんは裸足。
衣類は洗濯せず、破れたらそのままで、おんぼろの綿入れ胴着を着ている人もたくさんいたため、さほど目立たなかった。

戦前の農村は江戸時代と変わらない生活だったと、杉浦正健氏が『あの戦争は何だったのか』に書いていますが、実際そうだったのでしょう。

明治42年(1909)の新聞の投書も引用されています。
妻と子供2人と母の5人ぐらいの鉄工は月に16~20円の賃金を得ていたが、工場を解雇される。
子供がハシカにかかり、医者に連れて行くと、「2円の診察料を出さねば薬はをろか見ても遣らぬ」と言われたが、妻の内職しか収入がなく、2円どころか50銭もない。
明治35年の1円が現在の4000円ぐらいですから、鉄工は月に8万円ぐらいで家族を養っていたわけです。

家賃を払えず、家主から立ちのけと言われている。
「どうしたらよいか何卒御教示を願いとうあります」と、この投書を結んでいます。
この一家はどうなったのかと気になりました。

明治23年(1890)の第1回衆議院議員選挙に立候補した人は選挙費用として6000円を使っています。
衆議院議員の年棒は800円。
湯沢雍彦氏によると、華族と最下層の細民との所得差は数百倍だったそうです。
コンゴやフィリピンどころではなかったということです。

コメント (4)
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