三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

東京裁判・侵略戦争・靖国神社 1

2013年08月11日 | 戦争

東京裁判は勝者が敗者を裁いたと非難する人がいる。
そんな人には木村隆『演劇人の本音』を読んでほしい。
『演劇人の本音』は演劇関係者へのインタビューしたもの。

演劇評論家の宮下展夫氏は17歳の時に東京裁判でアルバイトをした。

宮下「東京裁判で一番印象に残るのは、あそこまでやるかというくらいにアメリカ人の弁護人が真剣に日本のために弁護したことです。これがまず最初にびっくりでしたね。どうせこの裁判は茶番、馴れ合いだろうと最初は思っていたから。確かウエッブ裁判長がスミス弁護人に対して「あなたの言ってることは要するにアメリカ政府を非難する形ではないか」という意味のことを言ったら、「私はアメリカの悪いところは悪いと率直に言いたいんだ」とはっきり答えていた。ほかにも二、三のアメリカ人弁護人が、たとえ自分の国の不利になるようなことでも弁護人としてはそれを追及するんだと言っていた。その点、僕は率直に言って日本が戦争に勝っていたとしたらあそこまで敵国の弁護を許しただろうか」
木村「逆に日本人が日本人をあそこまで裁けたかということですね?」
宮下「ええ。まあ最終的には判決も全体的には日本の侵略行為とか残虐行為を非難した形で出ているし、裁判長が日本に有利なものを却下しよう、却下しようというところもあったけれども、これは木下(順一)さんも書かれているが、ある程度条理を尽くした裁判ではなかったのか。それまでの軍国教育を受けた日本人としては、「日本じゃとてもこんな弁護はできないな」と思った」
木村「東京裁判を頭から否定する向きもある現代ですが…」
宮下「それはね、木下さんが言っていることが正しいと思うのだけれど、東京裁判には、戦勝国が、負けた国を裁いたという一方的な面がなかったとは言えない。でも、だから東京裁判はダメだというのなら、では日本人はなぜあのときのことについて、自分たちで裁くことをしないのだという言い方も逆にできるのじゃないか。あの時代を生きてきた人間として、日本は悪くなかったかというと、相当ひどいことをやったんじゃないかという思いがある。日本が満州や、朝鮮半島で何をやったか。あの戦争は何だったのか、その責任は誰が持つのかということについて日本は全部向こうに任せちゃった」
木村「今からだって本当はできることですよね」
宮下「そうね。日本人はあの戦争がよかったのか、悪かったのか。悪いとすればどこが悪かったのかという追及をしないまま来てしまった」

もしも日本が戦争に勝って米英を裁いたとしたら、宮下展夫氏が言うように敗戦国の弁護なんてまともにはしなかっただろう。
それどころか、莫大な賠償金を要求し、権益をむしり取ろうとしたと思う。

ホーソンは『伝記物語』スウェーデンのクリスチナ女王を取り上げているが、6歳で即位したクリスチナ女王はわがままで、女らしさがなく、寂しい人生を送ったとボロクソである。

私はそれが事実だと思っていたが、菊池良生『戦うハプスブルク家』を読むと、実際は違っている。
ウェストファリア条約(1648年締結)では、スウェーデンは三十年戦争の戦勝国であるにもかかわらず大幅に譲歩している。
スウェーデンは当初、戦勝国として膨大な要求を敗戦国に突きつけたが、クリスチナ女王が「臆病な講和」という国内の反対を押し切って寛大な譲歩を貫いたことで、講和が成立した。

クリスチナ女王は「私の全願望はキリスト教諸国民に平和をもたらすことである」と使節に訓令を送っている。
「女王は単に戦争を終わらせるだけではなく、戦争そのものの原因の除去につとめた。宗教対立がそれぞれの宗派のドグマ化に拍車をかけ、全てを敵か味方かで判別する精神的狭量に人々を追い込む。この精神的狭量が政治力学に絡んで、それぞれの普遍主義が現実世界のなかに持ち込まれ、正戦が始まる。正戦は非寛容的殲滅思想に染まっている。女王は寛容な譲歩を示すことで、この正戦の意味を根底から奪い去ろうとしたのだ。正戦、すなわち無差別な殲滅戦などあってはならないのだ、と」

ホーソンがクリスチナ女王を非難したのは、女王がカトリックに改宗したかららしい。
クリスチナ女王は無能ではなく、平和を願い、カトリックとプロテスタントの融和を説き、キリスト教の安寧と言う高貴な理想を抱いていたという。

クリスチナ女王はともかく、連合国の寛容さが日本にあったとは思えない。
現在の日本でもクリスチナ女王のような政治姿勢を持って行動する政治家がいるだろうか。

コメント
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