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三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

阿部謹也『刑吏の社会史』1

2013年06月14日 | 

阿部謹也『刑吏の社会史』を読み、中世ヨーロッパの刑吏(刑罰、特に死刑の執行にあたる官吏)と日本の被差別と共通する点が少なくないように思った。

ヨーロッパの苗字の多くが職業名だそうで、「死刑執行人」「刑吏」という苗字もあるというのだから驚きである。
アングストマン(「死刑執行人」という意味を持つ)という苗字の研究者は、ドイツ語圏に107種にも及ぶ刑吏の職名を確認している。

姓名によって差別されるのは、洋の東西を問わない。
日本でも固有の姓名があるそうで、知らない人は何とも思わない姓名であっても、わかる人にはわかる。

ヨーロッパ中世社会において、《名誉ある人々》は貴族身分、市民身分、農民身分に分かれ、そして《名誉をもたない》賎民がいた。

死刑執行人、捕吏、獄丁、看守、廷丁、墓掘り人、皮剝ぎ、羊飼いと牧人、粉挽き、亜麻布職工、陶工、煉瓦製造人、塔守、夜警、遍歴楽師と奇術師、娼婦、浴場主と理髪師、乞食取締夫、犬皮鞣工、煙突掃除人、街路掃除人などである。

「これらの賎民の職業は刑吏や捕吏のように裁判権を執行し、国家秩序の維持に決定的に重要な役割を担うものから、衣服・食糧の供給、衛生、清掃、医療の実際にいたるまでほとんどが人間の社会生活に不可欠なものであった。このような重要な役割を果たしていた人々を差別し、蔑視し、極端な場合には共に飲食せず、言葉も交わさないように常時注意しながら暮らしていた」

阿部謹也氏は刑吏について、「かつてこれほど厳しい職業についた人々がいただろうか」と書いている。
14~15世紀ごろから近代にいたるまで、刑吏は蔑視され、差別される生活を強いられた。
「刑吏が過去において賎民であって、刑吏に触れた者も賎民の地位におちてしまうほど、蔑視され怖れられた存在であった」

刑吏とその家族は社会の外に置かれていたのである。
刑吏は常にそれとわかる服装をしなければならなかった。
刑吏の子供は刑吏以外の職業を選ぶことはできなかったし、娘は刑吏以外と結婚することは許されなかった。
刑吏の妻が出産しても、近所の女は誰一人として手伝わなかったし、刑吏が死んだ時、刑吏の棺をかつぐ者はいなかった。

「刑吏の棺をかつぐことは直ちに賎民におちることとみなされていたからである」
ゆりかごから墓場まで差別されたのである。

日本では被差別民が警察・刑吏・皮革・芸能などの仕事を占有していたが、中世ヨーロッパでも同じで、阿部謹也『刑吏の社会史』によると、刑吏は動物の皮剝ぎを副業としており、家畜の死骸を片付けて処理するのは皮剝ぎにまかせなければならなかった。

「溺れかけて皮剝ぎに助けられた者も名誉を失うとされていた。いうまでもなく溺れかけた皮剝ぎの子を川にとび込んで助けた者も名誉を失う」

それなのに商人は賎民から金を受け取るし、市民は皮製品を愛用した。
刑吏は死体を扱うので医者として評判が高かった。
ケガレといってもご都合主義なのである。

コメント
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