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三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

阿部謹也『刑吏の社会史』2

2013年06月19日 | 

阿部謹也『刑吏の社会史』に、市民が徹底的に嫌悪したのは「刑吏その人ではなく、刑吏に象徴される権力そのものである」と、上杉聰『これで納得! の歴史』と同じような指摘がされている。


「刑吏に対する市民の嫌悪感は国家権力による公開処刑に対する市民の反感の無意識的表現であったとみることができる」
刑吏に対する差別、偏見は国家への反感が投影されたものだというわけである。

「裁判に対する民衆の不信が高まっているとき、刑吏は自らの手で無実の者の死を招き、自ら殺人者となる立場におかれた」
拷問によって自白を強要され、簡単な裁判ですぐに処刑される。
民衆は、自分もいつ処刑台に立たされるかわからないと考えた。
だから「明らかに民衆の認めがたい犯罪のばあいも観衆は受刑者に味方することが多い。特に女性や子どもが処刑されるばあいそれが著しかった」


しかし、国家権力に対して抗議の声をあげることはできない。
となると、身近にいる刑吏(権力の手先)が格好の標的となる。
拷問するのも処刑するのも刑吏だし、もともと差別されているから安心してうさを晴らすことができる。
おまけに刑吏は社会から排除された存在なのに、市民よりも豊かな生活をしている者もいるというやっかみもあり、より一層刑吏への差別は強まる。

「市民はその生活の重圧と生命の危険との原因がどこから来るのかを理解しえないまま、現実に行なわれている公開処刑で断罪されている受刑者におのが姿を見た。そのとき踝まで血に染まって死体の傍に立っている刑吏を、彼らは身ぶるいをしながら眺めた。彼らは潜在意識のなかで、刑吏に不正な裁判の執行官、国家権力の苛酷な手先をみたのである」


阿部謹也氏の分析は深読みのようにも思うが、大切な視点を提供していると思う。
「犯罪が社会的責任の問題であるということは、ひとつの犯罪が生じたとき、その犯罪に対してその社会の構成員は多かれ少なかれ何らかの責任を負っているということに他ならない。(略)ひとつの社会の歪みの表現としての犯罪の犯人はいわばその社会の歪みの犠牲者なのだが、彼は一人でその社会の歪みの全体を背負い、断罪され、刑場の露と消えてしまう。他の人々はこのような報道を目にしても自分とはかかわりのない出来事としてよみ、その日の仕事に埋没してゆく。おそらく潜在意識の底では中世都市の市民も犯罪が自分と無関係ではないことを知っていたが故に、全体を代表して犯人を処刑する刑吏に対しておそれをいだき、そのおそれが賤視へと澱んでいったのであろう」


刑吏への差別、国家と市民の関係は、中世ヨーロッパの特殊な現象ではないと思う。
権力者は市民の憤懣が直接自分たちに向かわないように、仮想敵を作って、そちらに市民の不平不満を向けようとする。
市民も、国や政治への不満を権力者に直接ぶつけるよりは、身近な存在のほうがやりやすい。
この構造はユダヤ人差別や差別がそうだし、現在の在日排斥のヘイトスピーチや公務員叩きにも通じるように思う。
公務員はろくな仕事をしないくせに高い給料をもらっていい暮らしをしている、というような。


安田浩一氏がヘイトスピーチについての談話が毎日新聞に載っている。
参加者は、必ずしも「貧しく仕事がない若者」ばかりではない。サラリーマンや主婦、公務員など多様だ。ただし「自分たちは被害者」という意識は共通する。社会の主流から排除され、言論は既存メディアに奪われ、社会福祉は外国人がただ乗り−−という思い込みや憎悪でつながる。
彼らをつなげているのがインターネットだ。ネット上で個人を攻撃する「まつり」を、そのまま路上へ持ち出している。攻撃の対象は「在日」でなくとも、「マスゴミ」「生保(ナマポ)」(生活保護受給者)でもいい。
彼らは「愛国者」を自称しているが、本当は「国から愛されたいと渇望する者たち」ではないか。経済成長が望めず、社会が不安定化する中で、自分たちが守られているという実感を求めている。だがそこには、自らが傷つけている他者の痛みへの想像力と、差別者だという自覚が決定的に欠けている。毎日新聞6月18日
国と自分の関係がうまくいかないと、「自分はちゃんとやっているのになぜ」と被害者意識を持ち、攻撃しやすい対象を求めるということか。

日本とヨーロッパの違いだと思えること。

「刑吏の名誉は19世紀にいたってようやく回復されたのだが、それはまさに近代常備軍編成のための国民皆兵政策の立場からの解放なのであった」と阿部謹也氏は言う。

日本では徴兵制が施行されても、差別はなくならなかった。

軍隊内の差別を昭和天皇に直訴した北原二等卒直訴事件は1927年。
戦後でも、1964年に発覚した信太山自衛隊差別事件、1965年に明るみに出た富士自衛隊差別事件などがある。
軍隊の中でも差別はなくならなかったわけである。

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