三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「預言者侮辱」に抗議 領事館襲撃で駐リビア大使ら4人死亡

2012年09月13日 | 戦争

米国で制作された映画がイスラム教の預言者ムハンマドを侮辱しているとして、リビア東部ベンガジの米領事館に11日、抗議に押し寄せた群衆の一部が対戦車砲を撃ち込み、ロイター通信によると、駐リビア大使と職員3人の計4人が死亡した。米メディアによると、公務中の米大使が殺害されるのは1979年以来という。
 オバマ米大統領は同日、「非道な攻撃だ」と強く非難した。エジプトの首都カイロにある米大使館前にも11日、数千人が集まり、一部が敷地内に侵入して米国旗を引きちぎった。米国への抗議が他のイスラム諸国に飛び火する可能性もある。
 問題となっているのは昨年、米国で制作された映画「ムスリムの純真」で、俳優が演じるムハンマドは強欲で好色な人物として描かれている。
 偶像崇拝を禁じるイスラム教では、一般的に神や預言者の姿を映像化することはタブーとされており、インターネットの動画投稿サイトに掲載されたこの映画のアラビア語版の一部が今月、テレビで紹介されたことなどからイスラム世界で強い非難を呼んでいた。
 米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)などによると、映画はイスラエルと米国の二重国籍を持つビジネスマンがユダヤ人から500万ドル(約3億9千万円)の寄付を募ってプロデュースした。一昨年9月にイスラム教の聖典コーランを焼却すると宣言し物議を醸した米フロリダ州のテリー・ジョーンズ牧師も宣伝に関わっていた。産経新聞9月13日

ムハンマドを侮辱する映画を作れば、イスラム教徒がどういう行動を取るかわかっているはず。
それなのに、わざわざ映画を制作するのは確信犯である。
だからといって、アメリカ領事館を攻撃していいという理屈にはならない。
それで思ったのが、石射猪太郎『外交官の一生』に書かれてある事件である。

石射猪太郎(明治20年~昭和29年)は外交官として

『外交官の一生』は昭和25年に出版された。

石射猪太郎の上海総領事時代、中国の週刊誌「新生」が「日本、イギリスの各皇帝は骨董品」という記事を書いたことに対して、不敬事件だとして上海の邦字紙が書き立てた。
イギリスの対応はどうかというと、「イギリス皇帝にも悪口をあびせているにもかかわらず、イギリス人社会は静まりかえって音もたてない」
イギリス総領事は「イギリス国皇帝の地位はわれわれイギリス国民が一番よく了解している。外国人がどんな批評を加えようと問題でない。『新生』の記事なんか、イギリス国民の神経には少しも感じないのである」と語ったという。

石射猪太郎「私は過去の事例で、不敬事件や国旗侮辱事件を騒ぎ立てるほど逆効果を来す馬鹿げたことはないと思っていた。(略)政治家・右翼が事件を利用し、言論機関がきまってこれに迎合し、事を大きくするのが、いつも取られるコース」

中国大使が乗っている公用車の国旗を奪った事件に対する日本政府の対応は手ぬるいと、私は思ってた。
しかし、石射猪太郎が書いている国旗侮辱事件がどういう事件だったのかわからないが、「騒ぎ立てるほど逆効果を来す馬鹿げたことはない」という文章を読み、頭を冷やされた思いがした。

石射猪太郎によると、霞ヶ関正統外交は「国際協調主義」「平和主義」「対華善隣主義」である。
ところが、幣原外交は軟弱外交として非難され、政党や国民は強硬外交を喝采した。
「一時、国民外交が叫ばれた。国民の世論が支柱となり、推進力とならなければ、力強い外交は行われないというのだ。それは概念的に肯定される。が、外務省から見れば、わが国民の世論ほど危険なものはなかった。政党は外交問題を政争の具とした。言論の自由が暴力で押し潰されるところに、正論は育成しない。国民大衆は国際情勢に盲目であり、しかも思い上がっており、常に暴論に迎合する。正しい世論の湧こようはずがないのだ」


一例として、1940年1月に起きた浅間丸事件(浅間丸が房総半島沖でイギリス軍艦の臨検を受け、ドイツ人乗客が連れ去られた)について、石射猪太郎はこのように書いている。
「イギリス軍艦としては、国際法上認められた権利を行使したまでのことであったが、日本の強硬論者が騒ぎ立てた。たとえ領海外の臨検であっても、いやしくも富士山の見ゆるところでのこの権利行使は許しておけないと怒号し、合理的に問題を解決しようとする政府の態度を軟弱外交だとして責めた」

石射猪太郎が「国民大衆は国際情勢に盲目であり、しかも思い上がっており、常に暴論に迎合する」は国民を愚民視するもので賛成できないが、吉林総領事時代のこんな経験をしているからかもしれない。

満州事変が起き、「長春から鉄路三時間かかる吉林は、一朝擾乱する時は孤立無援となる。居留民の不安がるのも無理はなかった」
「わが居留民も動揺し始め、民団幹部がやって来て、せめて居留民と婦女子だけでも吉長鉄道が通じている間に長春方面に移したいという」
日本機が飛んできて、第二師団が吉林に向かって進軍中だとわかる。
「今まで脅えていた居留民はこの瞬間から強気になり、中には日本刀を腰にして寄らば切るぞと肩で風を切る者もいた」
「居留民は第二師団進駐の瞬間に、私から離反した。事変前の総領事は、居留民の生命財産の保護者として彼ら社会の中心をなしていたのであるが、今や吉林省官民が軍の威力の前に屈従している以上、総領事の存在は居留民の必要とするところでなくなったばかりか、軍に接近して総領事を非難することが、彼らの利益となってきた」

先日、某氏と話してて、「尖閣諸島を国が買っても、中国や台湾が認めるわけがない」と言うので、某氏を対中強硬派と思ってた私は驚いた。

国有地になることによって、外交上、何かプラスがあるのだろうか。
浅間丸事件や国旗侮辱事件と、尖閣諸島や竹島の問題とを同一に論じることはできないが、強硬な態度を取れば国民は喝采し、話し合いで解決しようとすると非難するのは、今も昔も同じ。
お互いがエスカレートしたらどうなるかは、今回のおバカ映画騒動を見ればわかるというものである。

コメント (13)
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