三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

仏教の読み方の特殊性

2008年04月09日 | 仏教

『歓喜の歌』という映画を見に行ったとき、「ただいまより「かんきの歌」を上映いたします」というアナウンスが流れた。
「かんき」じゃなくて「かんぎ」だろう、漢字の読みも知らないのか、と思ったけど、ひょっとして私が間違っているかもと一瞬不安になった。
で、それはそれで放っておいたのだが、先日、点訳の校正が返ってきて、その中に「歓喜」を「かんぎ」としていたのが「かんき」に直されていて、「「かんぎ」は仏教読みではないでしょうか」と注があった。
ええっ、と思った。
辞書を調べると、たしかに「かんぎ」は仏語となっている。
それに、古いATOKでは「かんぎ」では「歓喜」に漢字変換できない(新しいのはOK)。
なんとねえ、と感心した。

それで思ったのが、仏教読みと一般読みの違いである。
「懺悔」は仏教の言葉で、本来は「さんげ」と読むのだが、新しいATOKでも「さんげ」ではダメ。
「礼拝」は仏教では「らいはい」と読むが、「れいはい」のほうが一般的だろう。
他にも「乞食*」「回心」「開発」「教化*」「自然」「声明」「肉食」「遊戯*」「利益」(*は仏教読みだとATOKで変換できない)など、一般の読み方と仏教読みが違うものはたくさんある。

私は「教皇」は「きょうおう」、「枢機卿」は「すうききょう」だと思ってたら、「きょうこう」「すうきけい」だとキリスト教徒の人に教えてもらった。
ちなみに「きょうおう」では変換しないし、『大辞林』には「きょうおう 教皇」はないが、『大辞泉』には「きょうおう 教皇」の項がある。
『大辞泉』は「すうきけい」、『大辞林』は「すうききょう」、どっちでもいいのかもしれないが、どうなのだろうか。
何にせよ、知ったかぶりは恥を招くと思った。

コメント (13)
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