三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

小泉堯史『明日への遺言』

2008年04月14日 | 戦争

小泉堯史『明日への遺言』は、「東海軍司令官だった岡田資中将と部下19名が、空襲の際、パラシュートで降下した搭乗員を捕虜として扱わず、正式な手続きを踏まずに処刑したことで殺人の罪に問われていた」裁判を描いた映画である。
岡田資中将は搭乗員38人を処刑した責任をすべて引き受け、自分一人が死刑になる。

石垣島事件といって、撃墜されて落下傘降下した3名の米軍兵を殺した事件がある。
この事件の戦犯裁判では、起訴された士官・下士官・兵の数は全部で46名、最初の判決では死刑41名、28年禁固刑1名、5年1名、無罪2名、病気による免訴1名であった。
異常なほど重たい判決だが、どうしてかというと、お互いに責任をなすりつけたからである。
減刑運動が起こり、再裁判の結果、死刑13名、終身刑7名、20年2名などに減刑され、さらに占領軍総司令部が再々審を行なった結果、死刑7名、終身刑1名、40年1名に減刑された

BC級戦犯裁判がいい加減な裁判だったかは、岩川隆『孤島の土となるとも』を読むとよくわかる。
勝者が報復のために敗者を裁いた裁判である。
だが、それにしても38人で1人死刑、3人で41人→7人死刑というのはあまりにも不公平だ。
裁く側の処罰感情が強く表れたためだろう。
これは他のBC級裁判でも言えることである。
もっとも、死刑というのはそもそもが不公平なものなのだが。

コメント
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