三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

マイケル・S・ガザニガ『脳のなかの倫理』

2008年04月20日 | 

マイケル・S・ガザニガ『脳のなかの倫理』を読む。
ちょっと面白かったところをいくつか。

「一卵性双生児は、一個の受精卵が何らかの理由によりふたつに分裂したために生まれるもので、この分裂が起きるのは、通常、受精後一四日以内である。ひとりの人間が、ふたりの人間になるわけだ。さらに奇妙なことに、ふたつに分かれた受精卵が再び合わさって、ひとつの受精卵に戻る場合がある。こういったことも起こりうるとすれば、受精の瞬間に「個人」や「魂」の独自性が生まれているなどとは考えがたい」

霊魂を認める立場だと、受精と同時に霊魂が宿ったと考えるのが普通だと思う。
ところが、受精と同時に霊魂が宿るとすると、それから受精卵が分裂して一卵性双生児が生まれた場合、霊魂も分裂することになる。
ベルナルド・ベルトルッチ『リトル・ブッダ』は、チベットの高僧がチベット人の女の子とアメリカ人の男の子に転生するという映画で、二人に転生することは時々あるとチベット僧が言ってたが、これはつまり霊魂が分かれたということだったのか。
でも、それはあまり聞かない話で、どの時点で霊魂が受精卵、もしくは胎児に宿ることになるのか、そこらを考えると、霊魂の実在はあやしいものになってくるように思う。

「脳が何らかの知覚能力を失うと、その原因が脳の損傷であれ脳梁の切断であれ、失われた能力を自覚する意識もまた失われるらしい。
老化の場合も同じである。認知症やアルツハイマー病の患者は、自分の記憶が失われたことにほとんど気づいていない。はじめのうちは物忘れがひどくなったのを自覚しているものの、症状が進んで周囲の事物を認識する能力も失われると、自分がそうしたやっかいな状態にあるとは気づかなくなる」

物忘れがひどくなり、「わしは今何を探しているのやら 大山登美男」状態になっている私は、呆けたのかと気になる今日この頃である。
しかし、本当に呆けてくると、自分が呆けているのではと思わなくなるらしい。
とんちんかんなことをしても、自分でうまいことつじつま合わせをするそうだ。
となると、心配をしている私はまだ大丈夫かという気になってくる。
もっとも、「周囲の事物を認識する能力」が失われて、まだ大丈夫と思い込んでいるだけかもしれないが。

「行動遺伝学の研究によって明らかになり、広く受け入れられている法則が三つある。第一の法則は、あらゆる行動特性に遺伝性が認められること。第二の法則は、同じ家庭で育った影響は、遺伝の影響よりも小さいこと。第三の法則は、人間の複雑な行動特性に個人差が見られる理由には、遺伝子や家庭環境以外の要因が占める割合が大きいことである」
「行動遺伝学の第二の法則は、家庭環境の影響は遺伝の影響ほど大きくない」
「血のつながったきょうだいが大人になると、一緒に育った場合も離れ離れに育った場合も、似方に違いは見られない」
「どうやら、きょうだいが共有する家庭環境はわずかな役割しか果たしていないらしい」

私の子供たちにしても、それぞれ性格や好み、考えなどが違う。
環境は同じはずだから、持って生まれたもの、つまり遺伝子の違いかと思っていたが、それだけではないらしい。
また、子供が生まれると完璧な子育てをして理想的人間になってもらいたいという妄想を親はいだきがちである。
親がいくら張り切っても思い通りの結果が出るかどうかはわからない。
兄弟でも「行動に差異」が生じるのはどうしてなのだろうか。

「遺伝子と共有環境の影響では、きょうだいのあいだで行動に差異が生じる理由の約50パーセントしか説明がつかない」
「共有する環境が問題なのではなく、共有「していない」環境が重要らしいのだ」
「私たちの言葉の訛りが、ほぼ間違いなく親ではなく子供時代の仲間の訛りに似ることからも、仲間集団の重要性がわかるだろう」
私の子供たちが小さいころ、東京弁をしゃべらないよう指導していたが、いくら注意しても子供たちは「~しちゃって」「~じゃん」などを使う。
たしかに言葉は親よりも友達やテレビの影響のほうが大である。


「しかし、仲間集団の影響だけで、行動に差異が生じる理由の残り50パーセントは説明できない」
「行動に差異が生じる理由のあと48パーセントはどこからくるのか」

「事故や病気、衝撃的な体験などの、規則性がなく突発的で特異な出来事」という意見があるそうだ。
つまりはよくわからない、ということだろう。
人間というのは不思議なものである。

コメント
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