光市の事件では、弁護側は最高裁の弁論開始までは事実関係を争ってこなかった、それなのに弁護士が変わったとたんに全面的に否認するのはおかしい、という意見がある。
このことは前にも書いたけれども、一審、二審の弁護士は被告に事件のことを何も聞いていない。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/7edc5dcbd1158097854c2577f077f355
少年鑑別所では、精神年齢は4~5歳と鑑定されているように、精神的に幼い被告に事実関係を聞いたら、被告が混乱するだろうと思って聞かなかったらしい。
富山で婦女暴行で服役した人が実は冤罪だったという事件があった。
この人は当初は否認したが、後に自白、裁判でも起訴事実を認めている。
被疑者が否認しないからといって、検察の主張が正しいとは限らないわけで、こうした例は他にもあるんじゃないかと思う。
光市事件は殺人ではなく傷害致死だという弁護側の主張はどうだろうか。
「年報・死刑廃止2006 光市裁判」には、遺体鑑定書から次の文章が引用されている。
加害者は右手を逆手にして、口封じのための行動をとったが、抵抗にあい、手がずれて、首を押さえる結果となって死亡させたと考えるのが、最も死体所見に合致した状況である。
首を絞めた痕はない、だから首を絞めて殺したという検察の主張は間違いだと、鑑定医は言っているのである。
子供が頭から床に力一杯叩きつけたら外傷が残るはずであるが、子供の頭には打撲傷などの痕跡はない。
首をヒモできつく絞めた痕跡もない。
となると、弁護側の言う「傷害致死」という主張もあり得るように思う。
このあたりを裁判ではきちんと審理してほしい。
ところが、「週刊新潮」6月7日号に「光市裁判に集結した「政治運動屋」21人の「弁護士資格」を剥奪せよ」という記事が載っている。
弁護側の主張に賛成できないからといって、依頼人のために最善と尽くそうとする弁護士たちをどうして非難するのか。
弁護士は被告の利益になることをするのは当然のことである。
それなのに、弁護士を懲戒処分にして資格を剥奪すべきだと言うのはおかしい。
弁護士のほとんどは民事専門で、刑事事件を担当する弁護士は少ないらしい。
まして凶悪事件を引き受けようとする弁護士は極めて少数。
こんなふうにマスコミが一方的にバッシングしたら、刑事事件を断る弁護士が増えるのではないだろうか。
「週刊新潮」にこんなことが書かれている。
荒唐無稽かどうかは「週刊新潮」が判断することではない.
また、自分の家族が殺された時にどう思うかということと、依頼人の利益のために弁護活動することは別の話である。
「週刊新潮」は一般人の個人情報をさらすという、人権無視の記事をよく載せている。
そのためか、人権を嫌うようだが、これは不思議なことである。
好き勝手なことを書いて、表現の自由だと言い逃れするのだから。
誰だって被告になる可能性はある。
なのに、どうして弁護団バッシングという、自分が裁判を正当に受ける権利を手放すことになりかねないことをするのだろうか。
「他人事」だと考えているのは「週刊新潮」のほうだと思う。
肝心なのは手の向きじゃなくて、押さえつけた時間じゃないんですか?
法医学の本によれば、首を締められたり圧迫されてから、呼吸停止状態になるまで5分以上かかると書いてある。
また、我が国の死刑方法である絞首刑について、執行された囚人は数分以上の苦しみを味わって死に至る。従って、これは残虐な刑罰であり憲法に違反していると主張する死刑廃止論者もいる。
これら2つを踏まえると、「手がずれた。首を押さえてしまった。相手が死んじゃった。」なんて単純な出来事で済まされることではないと思います。
被害児に対しても同じことだ。「きつく絞めた痕跡がない」と言っているが、柔らかいもので絞めたり、死亡させた後で紐を外せば強い絞め付け痕が見られないこともある。
よって、この事件が「傷害致死だ」なんて考えにくい。
地裁での検察の冒頭陳述ではこうなっています。
「身体の上に跨ったが、彼女は大声で叫び両足をバタつかせて抵抗した。そこに赤ん坊がハイハイして近づき、母親の肩にしがみついて泣きはじめた。私は「殺してやれば簡単だ」と思い、手で喉仏を強く、全体重を乗せて押さえつけた。指が喉仏にめりこみました。彼女の表情が怖くて、顔を見ずに絞め続けました」
「指が喉仏にめりこみました」というんですから、逆手で押さえたという鑑定書とは全然違うことがわかっていただけるでしょう。
>柔らかいもので絞めたり、死亡させた後で紐を外せば強い絞め付け痕が見られないこともある。
検察の冒頭陳述です。
「今度は両手で首を絞めました。が、赤ん坊の首が細すぎてうまく絞まりません。ポケットから紐を取り出して首に二重に巻いて両手で絞めました」
死亡させた後でヒモをはずしたら痕が残らないなんてことがあるんですか。
誰でも平等に裁判を受ける権利があるから、これを機会に女性と赤ちゃんが死に至った状況を明確にしていただきたいものですが・・・
ただ、いつも不思議に思うんですよね。
刑法は故意でないかぎり、実際に人が死んでも「過失致死」。本人が殺す意志はなかったことを証明するのに成功すれば、殺人罪は適用されないでしょう。
でも、実際に人は死んでしまってるワケだし、無思慮に行動した事実はあるわけだし。
故意の殺人より、「死ぬとは思わなかった」なんて軽率な行動を取る方が罪が重い気がするんですが、それは私が感情的に考えすぎだからでしょうか?
ただ、それと、彼が正統な裁判を受け、弁護士さんが色んな反論を使うこととは別問題です。限りを尽くして戦うのが弁護士さんの仕事だし、なるべく事実を明らかにしてほしい・・・
でも、故意と過失に差があるってのは、なんかしっくりきません。「ある程度の大人になったら、理由・原因はどうあれ、自分の行動に責任を持つべき」と思ってしまうんですよ。
うーん。
殺意があったか、なかったか、ということなんですけどねえ、私もしっくりしません。
でも、こういうたとえはどうでしょうか。
酒の席で、酔っぱらった人が冗談でおまつさんに抱きつく。
ほんとにもう、と思っておまつさんは軽く突き放した。
ところが、相手は酔っているから転んでしまい、打ち所が悪くて死んでしまった。
過失致死か傷害致死かどっちかでしょうけど、あり得る話でしょ。
酔っていたにしても、相手の家族はやはり怨むだろうと思います。
刑が確定したあとは、おまつさんがどう責任を持つかですね。
「柔らかいもので絞めたり、死亡させた後で紐を外せば」については、絞めた痕が明瞭でない場合に考えられることを参考にと挙げただけです。
仕事で変なおぢさんに付きまとわれることは何度かありましたけど、それなりの対処で対応すれば無難に避けられるというのが、今までの経験値で言えることです。
女性と赤ちゃんがどういう状況で死に至ったか。
彼に責任があるのか無いのか、キチンと調べていただきたい物ですが・・・
ずっと家族の恨みを背負うのは、仕方ないことだと思います。
被害者の首を絞めて殺害したという検察の主張と遺体の鑑定書は明らかに食い違っています。
検察は「柔らかいもので絞めた」とは言っていませんし、ヒモや手で首を絞めて殺害したならば何らかの痕跡が残るはずでしょう。
事実はどうだったのかは推測するしかありませんが、死因については弁護団の主張のほうが私にはもっともらしく思われます。
>おまつさん
>そういう状況に陥る自体が本人の責任でもありますから、、、
時間つぶしのために、よその家のブザーを鳴らして歩くなんて、18歳のすることじゃないことはたしかです。
そして、抱きつくことも。
被告に責任がないとは言いません。
死刑に相当する事件ではなかったのではないかとは思いますが、人を傷つけたということは事実です。
判決が下ったから一件落着ではなく、被害者、加害者、そして第三者の我々もそれからが問題なんでしょうね。
それは分かってます。私はこの事件に関係なく、こういう場合に考えられることを書いたまでです。このことは法医学の本にも書いてあります。
<ヒモや手で首を絞めて殺害したならば何らかの痕跡 が残るはずでしょう。
痕跡が不明瞭な場合もあります。必ずしもハッキリとした痕跡が残るわけではありません。しかも、この弁護団側の鑑定医は外部所見だけで判断しているように見えます。こういうやり方は犯罪を見逃してしまうケースもあり危険です。内部所見については書いてないんですか?
<死因については弁護団の主張のほうが私にはもっと もらしく思われます。
死因は窒息死でしょ。それは裁判でも認定されていますよ。弁護団が否定しているのは殺害方法なんじゃないんですか。
そんな馬鹿な話ありますか?依頼人である被告の少年は死刑を求刑されているんですよ。もし、それが本当なら、この前任の弁護士たちの弁護士資格を剥奪しないと可笑しいんじゃないんですか?
手元に「年報・死刑廃止2006年」がないのではっきりしたことは言えませんが、指で喉仏を押さえたなら、喉仏の骨がつぶれるはずなのに、つぶれていない、とありました。
>弁護団が否定しているのは殺害方法なんじゃないんですか。
そのとおりです。
まちがいでした。
>そんな馬鹿な話ありますか?
そんな馬鹿な話があったんだそうです。
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/7edc5dcbd1158097854c2577f077f355