三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

合田士郎『そして、死刑は執行された』(2)

2008年10月08日 | 死刑

死刑執行の場面が村野薫『死刑はこうして執行される』に書かれている。

落下した死刑囚はガクンと一度S字状に突っ伏すと、今度は縄がねじれるがままにギーギーと滑車をきしませて、きりきりまいしつづけるそうだ。落下時の頸部にかかる力は相当なもので、喉頭軟骨・舌骨、ひどい場合は頸部脊椎の骨折をもきたす。首まわりの筋肉も広範囲にわたって断裂、放っておくと肉がそがれたりするので、下で待ちかまえていた刑務官二人が適当なところでその揺れを止める。
しかし、それでも吊り落とされてから一分から一分半ぐらいは烈しい痙攣が「ウーウー」という呻き声とともにつづく。顔はひどい渋面、蒼白。首は半ば胴体から裂きはなたれて異常に長くみえる。舌は変形して目は重圧のため突出。口、鼻、耳などからも出血―と、正常な神経の持ち主ならまずは直視しかねる執行風景である。
が、死刑はこれで終わったというわけではない。意識はないものの、まだ死に絶えていないからである。この間、頸骨が折れておらず、手当さえよければ、人間はまだ十分生き返るはずだともいうが、もちろんそんなことがなされるわけもない。死刑囚は死んでこそ死刑囚なのだ。
やがて身体の引きつりも間遠になりだしたころ、死刑囚は手錠・目隠しをはじめて解かれる。医師によって最後の生命を計測されんがためである。地階に降りた医師はまず顔を検しながら脈搏を計る。そして脈搏が弱くなると今度は胸を開き、聴診器で心音を聴く。こうした動作が一分、二分、三分……と、沈黙のなかで続くが、医師が「ステルベン」と告げたときが、すべてが終わりを告げる合図である。


1959年の宮城刑務所で執行された7人が死ぬまでの平均は13分58秒、最低4分35秒から最高37分であったと報告されている。
執行後の遺体はどうなるか。

刑務官の指導のもと、服役中の受刑者たちで編成された〝処理班〟の手ですぐさま処置される。
まず、首に食い込んだ絞縄をはずし、鼻血や糞や小便もきれいにふいて、飛び出した舌は口のなかに納める。そして着衣を着せ替え、首に残る縄目の痕を包帯で隠して―と書けば簡単な作業のようだが、いってみれば殺害死体、非業の死であることに変わりはない。絞縄のかかりぐあいひとつで耳がちぎれることもあれば、眼球もこぼれ落ちる。とりわけ最後まで騒ぎ、喚き、暴れまくりつつ逝った遺体ほど醜い損傷を残しているという。


死刑囚といえどもごく普通の人間であるということ
死刑囚の中には冤罪の人が少なからずいるということ
死刑囚がどういう日々を過ごしているかということ
死刑がどのように行われるかということ
執行は残酷であるということ
遺体はどのように処理されるかということ
執行に関わる人もつらい思いをしているということ
そうした事実を知るならば死刑が残酷な刑罰であることに気づかされるに違いない。

合田士郎『そして、死刑は執行された』を読んで驚いたことは、合田氏が殺した被害者のお姉さんから手紙が来たということである。

合田さん、お手紙を拝見させて頂きました。早いもので、あれから十年以上も経ってしまったんですね。弟が死んで三年めに母が亡くなり、四十四年五月に父が亡くなりました。歳月が経つにつれ、あの出来事もだんだんと薄らいできております。お手紙によりますとずいぶんと苦労してきたのですね。まじめになんとか早く刑を終えて、お父さんを安心させてあげて下さい。死んだ弟にもできますれば朝夕に南無妙法蓮華経のお題目を唱えてやって下さい。きっと、草葉の陰で喜んでくれると思います。お体を大切に。さようなら。


合田士郎氏はこう記す。

俺は、泣けて泣けて仕方がなかった。ただただ心から頭を下げた。何もできない自分が歯がゆく、今さらながら、いかに大それたことをしたかを思い知らされた。


さらに驚いたことに、お姉さんから小包も送られてくる。
白長袖シャツ、白ズボン下、白いブリーフ、靴下二足、タオル二本、それにアメ玉二袋。

俺は小包を抱き、荷札の名を凝視したまま、口もきけなかった。担当も事情を聞いてびっくりしていた。
弟を殺された姉から、殺した俺への差し入れだなんて、どこの世界に、身内を理不尽に殺されながら赦してやろう、堪忍してやろうと言える人間がいるだろうか。


被害者遺族のすべてが死刑を望んでいるわけではないことがわかる。

俺はただ、涙が止めどもなく流れるばかりだった。このときほど己れのしたことが悔やまれたことはなかった。このときほど自分が嫌になったことはなかった。


合田氏は出所してからこの女性の家に行き、仏壇に線香をあげ、墓参りをする。
「創価学会の支部長をしていた」お姉さんとは、その後もつき合いが続く。

姉と弟のようにお付き合いしてもらい、折りあらば訪ねて冥福を祈り、姉さんからも訪ねてこられ、何かと相談にものってもらえたことは、俺にとってなによりの幸せだった。

こういうことがあるとは。

もう一つ、合田士郎氏はこう書いている。

俺のことはなにを書かれてもいい。事件の張本人だし言われるとおりの殺人犯だ。鬼でも蛇でもなんでもいい。だけど、その犯人の親だ兄弟だと引け目を感じ、肩身が狭く小さくなって世間を生きている者のことまで勝手に書きまくる必要がどこにあるのだろうか。同じように書き立てられてとうとう自殺した家族もあった。


東野圭吾氏は加害者家族への差別が新たな被害者を生み出すとは考えていないらしい。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/30a2d8aa85daf765105c18ecdfbf1d98
東野圭吾『手紙』に加害者家族の置かれている状況を描いている。
いくら知識はあっても、人の痛みを知らない人もいるわけだ。

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