三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

署名運動

2007年10月05日 | 死刑
愛知・女性拉致殺害:死刑求める署名10万人
 名古屋市千種区で今年8月、派遣社員、磯谷利恵さん(31)が携帯電話のサイトで知り合った男3人に拉致され、殺害された事件で、強盗殺人などの疑いで逮捕された男3人への死刑を求める署名が10万人を超えたことが3日、分かった。遺族はさらに協力を呼び掛けた上、署名簿を名古屋地裁に提出する。
 利恵さんの母親の富美子さん(56)らが先月22日、ホームページ(HP)を開設し、逮捕された3容疑者への死刑適用を求める署名を呼び掛けた。HPの中で富美子さんは「(被害者1人で死刑は難しいという)司法の壁に阻まれ苦悩しています」と強調。1日現在で10万2422人の署名が集まったという。(毎日新聞10月3日)

署名が10万人を超えるというのは、日本人の千人に1人が署名したことになる。

死刑を求める遺族の気持ちは当然だし、署名をする人の気持ちもわかる。
しかし、署名が判決に影響するとしたら、これは大問題である。
法律によって裁かれなければならないのに、世論の声が大きければ刑が重くなるとしたら公平な裁判だとはいえない。

それに、裁判も始まっていないのに死刑はだと断言していいものかとも思う。
我々はマスコミを通してしか事件のことを知ることはできない。
そのマスコミ報道は警察の発表そのままを流している。

冤罪事件を考えればわかるように、警察発表が100%正しいとは限らない。
また、自白をしたといっても、それが事実そのままかどうかはわからない。
殺人事件の加害者の中には、事件を起こしたことの罪の意識から自分を責め、事実関係を争わないことがある。

名古屋女子大生誘拐殺人事件の犯人は、誘拐してすぐに殺したと自供した。
ところが実際は、被害者のお母さんが亡くなっていることを知って、自分と同じ境遇の人を誘拐してしまったことに驚愕した犯人は、被害者を解放しようと思ったが、被害者が助けを求めて大声を出したために、もみ合っているうちに殺してしまった。
「誘拐後すぐに殺した」と言ったのは、強姦目的という疑いを晴らすためだった。

磯谷さんが立ち上げたHPを「きっこの日記」が紹介し、こう書いている。

法律は、被害者を救済するためにあるんじゃないのか? どうして、残虐に殺された被害者やそのご遺族を救わずに、凶悪な犯罪者を救おうとするのか?(略)
だけど、今の裁判は、どこかおかしい。被害者の無念を考えたら、ご遺族の心の痛みを考えたら、死刑だって足りないのに、それが、無責任な死刑廃止論者に裁判を利用され、無意味に長引かせられ、その間、ご遺族は、何年間も苦しみ続けなきゃならない。愛する家族を殺されただけでも、これ以上の悲劇はないほどの苦しみなのに、これじゃあ、よってたかってご遺族にさらなる苦しみを与えてるだけでしかない。

怒る気持ちはわかるが、あまりにも感情的だ。
「法律は、被害者を救済するため」だけにあるのではない。

「無責任な死刑廃止論者に裁判を利用され、無意味に長引かせられ」という部分は光市事件裁判について言っているのだろうが、これは間違いである。
光市事件について語るのなら、大阪弁護士会で行われた光市母子殺害事件弁護団緊急報告集会の記録と、今枝仁弁護士のコメントを読んでほしい。
http://image01.wiki.livedoor.jp/k/n/keiben/89c1e590775cb728.pdf
http://t-m-lawyer.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_8957.html
マスコミが弁護団の主張をいかに伝えていないかがよくわかる。

「綿井健陽のちくちくPRESS」に「みんなで「処刑」という記事がある。

「いずれにせよ、こんな連中はさっさと死刑にすべきです」
例の名古屋での拉致殺害事件の容疑者に対して、テレビのコメンテーターはこんな発言をしていた。まだ逮捕された段階で、テレビスタジオの中では「裁判」どころか、もうすでに「判決」がいい渡されているというところか。光市裁判関係のニュースだけでなく、ほかの事件や裁判でも、最近は実に軽く「死刑」という言葉がさらっと出てくる。キャスター、コメンテーター、芸能人まで、テレビスタジオの中ではもはや珍しくもなくなった。捜査段階での容疑者の「自白」「供述」なるものが、この国では今も昔も絶対的な「証拠」「動機」「事実」のようだ。
警察や検察の取調べは必ず正しいのか?メディアで「 」つきで出てくる容疑者や被告の言葉は、本当に彼らが「 」通り話したことなのか? そうした警察や検察が出してくる「証拠」「動機」「事実」の信憑性をもう一度調べなおすのが弁護士の仕事だし、それらをすべて客観的に、様々な角度から比べて法的に判断するのが裁判所の役割じゃないのか?

https://watai.blog.ss-blog.jp/2007-08-31
その通りだと思う。

事実がどうだったかは裁判で明らかにしなければいけない。
今の時点で「死刑だ」とメディアが言い切るのはおかしい。

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24 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2007-10-05 22:09:19
被害者遺族の心の叫びが全く聴こえないようですな。
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署名の意義はなさそうです ()
2007-10-06 17:31:31
ある弁護士さんがこういうコメントをされています。

特定事件の量刑に関する嘆願書(署名簿)なんて、担当裁判官に見せなければ意味がありません。
かといって、担当裁判官が見るわけにもいきません。
ということで、個人情報の流出を避けるためシュレッダーにかけることこそ誠実な処理なのです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/3910/1189927447/r372
返信する
裁判は被害者のため? (隆蓮房。)
2007-10-09 20:29:15
こんにちは。
いつも読ませていただいています。

コレ系の記事は私も書きたいのですが、
ヘタレなので書けませんのでモヤモヤしています。

管理人さんの意見は、とても考えさせられます。

私の相方は法関係なんですが、法の話を一番最初にしてくれた時、
「法というのは真実の追究だ」
と言っていました。

法は被害者のためにあるのという単純なものではありません。

ですから真実を明らかにするという場が裁判なんでしょうね。

ですから、裁判をしないのに「死刑だ!」と言ってしまうのって、・・・・・そしてその「市民感情」とやらに裁判が大きく左右されてしまって死刑が確定されてしまったら、
そんなの「リンチ」ですよね。

なんだか、グリシャムの「評決のとき」を思い出します。

また遊びに来ますね。
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Unknown ()
2007-10-10 16:58:56
コメントありがとうございます。
もしも裁判がマスコミや世論の声の大きさで左右されるとしたら、これは恐ろしいですよね。
こんな感じで裁判員制度になったらどうなるのか、ほんと心配になります。
裁判員に先入観を持つなと言われても、これだけ報道されればいやでも耳に入ってきます。
逮捕=有罪という先入観がもともとありますし。
はてさて。
返信する
スペルマン (Unknown)
2007-10-10 20:48:39
よし!!お坊さんが死刑に反対なのはよくわかった!!

なので、この事件の被害者にお坊さんが賠償金を払ってあげて下さい。

そうだね。ざっと見積もって2億だね。自分の家や寺燃やしてその保険金で払うもよし!!あとお坊さんの日記に出てきた娘さんを闇ルートで売り捌いてもいいからね!!

いいか!!必ずやって下さいね!!出来ないなんてふざけたことなんて絶対言わないでね。死刑囚の命が大事なんでしょ?
返信する
募金運動はどうでしょう ()
2007-10-11 16:58:07
署名した人が2000円ずつ出せば2億円になりますね。
死刑を求める署名をするよりも、被害者救済の募金運動のほうが遺族のためになるように思います。
返信する
Unknown (Unknown)
2007-10-11 18:23:26
金で解決ってか。酷いな。
返信する
ブログの紹介 ()
2007-10-12 20:32:09
↓のブログの、「私としては署名人数の多寡によって犯人への判決が左右されることには反対します」という意見はもっともだと思います。
http://s19171107.seesaa.net/article/59682201.html
返信する
また来ました。 (隆蓮房。)
2007-11-02 18:20:54
まず、私は「死刑」という制度に賛成できません。
仏教徒だからという理由ではありません。
どうしても冤罪という可能性が否定できないからです。
無実の人を死刑執行してしまった場合、どうやっても取り返しがつきませんから。

しかし、相方(法関係)は言うのです。
「確立の問題だ」って。
確立ってことは、冤罪がある可能性も否定できないってことでしょう?
確率的にどんなに少なかろうと冤罪は在り得ることを認めた上でのこの発言・・・・・マジッすか?
自分や母親が冤罪で死刑になっても、仕方ないっていうことなんでしょうか?


>逮捕=有罪という先入観がもともとありますし。

ただ、これは私もとても悩む問題なんです。
確かに起訴されれば、もう殆どの人は有罪なんですよね。
私は裁判に携わったことが何回かあるんですが、有罪に持ち込めなさそうな場合には、起訴しないんですよ。(だから必然的に有罪率が高くなる)
ですから、(警察や弁護士に説得されて)被害者が泣き寝入りしてしまうことが結構あるんです。

管理人さんもこの辺の事情はご存知かと思いますが、起訴してもらえなかった事件(?)の被害者は、本当に気の毒です。
悔し泣きしている人は多いと思います。
どうしたらいいのでしょうね。



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どうもどうも ()
2007-11-03 13:50:02
今の死刑賛成派の人は、冤罪があっても仕方ないことだと思っているのではないでしょうか。
犯罪を減らすためには厳しく罰しないといけない、そのためには多少の犠牲(冤罪)があっても仕方ないと。
こういう人たちは自分が加害者になるとは考えもしないし、まして冤罪で逮捕されることがあるかもしれないとは想像もできないんでしょうね。

冤罪には、まるっきりの冤罪、つまり無罪と、一部冤罪があるそうです。
あるブログに書いてあった、コンビニでおにぎりを万引きしたのに、強盗とされたというたとえがわかりやすい。
以下引用。
http://sasakichi1981.blog123.fc2.com/blog-entry-5.html
検察側は「被告は店員を恫喝した上に刃物で脅し、おにぎりを盗んだ。故にこれは窃盗ではなく強盗である」と主張したとする。 一方で被告の側は「確かにおにぎりは盗んだが、脅したのではなくコッソリ盗み取ったので窃盗だ」と主張している。
その主張を受け、弁護人が「被告は刃物を所持していなかった」旨、「脅し取るほど大胆な行為に出るならおにぎりでは割に合わず、現金を要求するはずで、おにぎり強盗は行動として不自然である」旨を主張したとする。 ちなみに窃盗なら10年以下の懲役又は50万円以下の罰金、強盗なら5年以上の有期懲だ。
あなたがおにぎりを万引きして、本来なら罰金を払って釈放される事件で5年の懲役になったら、それでも部分否認を「盗人たけだけしい」と切り捨てることが出来るだろうか。部分否認の主張を補完する弁護人を「悪者の味方をする奴」と非難するだろうか。

光市事件の場合は、殺人ではなく傷害致死、つまり一部冤罪というわけですね。
文字通り生きるか死ぬかの状態なのに、否認したから反省していないとか、無罪を主張していると非難するのは無茶だと思います。

>確かに起訴されれば、もう殆どの人は有罪なんですよね。

無罪になるのは1000件に1件ぐらいの割合、年によっては2000件に1件です。

>有罪に持ち込めなさそうな場合には、起訴しないんですよ。ですから、(警察や弁護士に説得されて)被害者が泣き寝入りしてしまうことが結構あるんです。

むむ、知りませんでした。
刑事がだめなら民事はどうでしょうか。
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