『マダガスカル』は動物たちがマダガスカル島に漂着するアニメ。
草食動物のキリンやシマウマはいいのだが、肉食獣のライオンは食べるものがない。
飢えに迫られたライオンは友達のシマウマを食べたくなってしまう。
食べなきゃ死んでしまう、しかし友達を食べるわけにはいかない。
しょうもないギャグに退屈していたのが、突然の大問題。
ライオンは葛藤する。
さあ、どうなるか。
と見ていたら、そこはハリウッドのアニメ、なんと魚を食べてハッピーエンド。
いくら何でも安易すぎて、力が抜けた。
手塚治虫『ジャングル大帝』では、動物が殺し合わないよう、人造肉を作る。
『マダガスカル』よりはいくらかマシな解決法である。
オオカミとヤギが友達になるという『あらしのよるに』でも、同じ問題が生じる。
オオカミはヤギを食べたいのを我慢して、友達でいる。
しかし、雪山で飢えにさいなまれている時は生きるか死ぬかである。
友達だからと言ってはおれない。
『ジャングル大帝』の最後がこれとまったく同じ状況である。
ヒゲオヤジはレオの肉を食べ、毛皮にくるまって暖をとり、助かる。
読み終わってしばらく呆然とした。
ショックではあったが、感動した。
『あらしのよるに』の作者きむらゆういちは、『ジャングル大帝』が念頭にあったのではないだろうか。
もっとも、その後の展開は『ジャングル大帝』とは全く違うが。
オオカミは友達のヤギは食べないが、当然のことながら他の動物を食べている。
宮沢賢治『よだかの星』は、他の命を食べなければ生きていけないということへの罪悪感がテーマである。
毎日新聞の『あらしのよるに』映画評に「近松門左衛門の心中物のような情感が漂う」とある。
川に飛び込むシーンはまさに心中を思わせた。
食べなければ死んでしまう、しかし食べたくない。
命を奪うのがイヤだったら死ぬしかない。
『あらしのよるに』も近松のような悲劇にすべきだったと思う。
ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。
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ジャイナ教では動物処か植物を食べることすら基本的にはダメで、マハーヴィーラのように餓死することが最高の死に方です。
ところが、ウィキペディアによると、ヒンズー教もジャイナ教も戦争と死刑による殺人は認めているんですね。
正当防衛ということでしょうか。
でも仏教は例外を認めなかった、つまり戦争や死刑を、明確ではないにしても、否定していたそうです。
ということで、仏教徒としては死刑を否定すべきなんでしょうね。
でも肉を食べないということはできそうもありません。
ましてや餓死するなんて、とてもとても。
しかし、不殺生戒を持つ仏教徒はどう生きるのか。お坊さんたちに、悩ましい肉食について相談されてるかたがいます。
https://hasunoha.jp/questions/2370
また仕事で「と畜」に携わることについて相談されてる方もいます。
https://hasunoha.jp/questions/1648
こと、「食べる」に関しては、ご自身も寺族である研究者のかたが、植物だって仏教では「いのちあるもの」よと報告されてて、「代替案」はないように思えますが。
http://www.indranet.jp/products/research_reports99_03_10.htm
完全なる理想が実現できなくても、理想に向かって代替案を示すという発想はお坊さんにないのでしょうか。たとえば、医薬品や化粧品を開発するのに、動物実験が行われる。人間の生活に欠かせないものだから、「仲間」ではないものに死んでもらうのもありだと考える人たちがいる。
開発するのに別の方法があるなら、それを選ぶのにこしたことはないと考えるひともいる。化粧品会社そのものが、廃止をよびかけているところがあります。
http://www.the-body-shop.co.jp/commitment/against-animal-testing.html