ジョシュア・オッペンハイマー監督は、どうやって加害者たちに自分たちがやった虐殺を赤の他人にぺらぺら話せるような関係を作り上げたのかと、『ルック・オブ・サイレンス』を見ていて思いました。
罪の意識がもともとないから、誰にでも自慢話として話しているのか。
犠牲者の血を飲んだから狂わなかった、飲まなかった者はおかしくなったと、2人が同じことを言います。
1人は最初にインタビューを撮影したイノン・シアで、ポスターの男です。
敬虔なイスラム教徒らしく、「人を殺してはいけない、しかしイスラム教にも“敵は殺していい”とある」と言います。
「共産主義者」は神を信じない、だから敵なわけです。
イノン・シア
もう1人はサムシルで、娘がインタビューに同席しています。
彼らは、血を飲めば狂わないぞと、誰かに教えてもらったのでしょう。
「過去は過去だ。忘れて仲良くしよう」と言う人、「あまり過去を蒸し返すとまた同じことが起きるぞ」と脅す加害者もいます。
良心がとがめなかったわけではないのかもしれません。
それで思ったのが、阿難と釈尊との問答です。
阿難「知って犯す罪と、知らずに犯す罪とどちらが恐ろしいのでしょうか」
釈尊「知らずに犯す罪のほうが重い」
阿難「どうしてでしょうか」
釈尊「焼け火箸を焼け火箸だと知って握る人と、焼け火箸だと知らないで握る人と、どちらが重い火傷をすると思うか」
阿難「焼け火箸と知らないで握った人の方がよりひどい火傷をします」
釈尊「その通り。人は自分のしていることが罪悪だと知らないために、いつもその罪を重ねることになるから、一層罪が重く恐ろしいものになる」
この問答はどの経典にあるのかと思い、ネットで調べたら、高森顕徹『こんなことが知りたい(2)』には『ミリンダ王所問経』に出ているとあるそうです。
『ミリンダ王所問経』とは『ミリンダ王の問い』のことでしょうけど、釈尊と阿難の問答があるとは知りませんでした。
『ミリンダ王の問い』にあるミリンダ王とナーガセーナとのやりとりです。
「尊者ナーガセーナよ、知っていながら悪い行ないをする者と、知らないで悪い行ないをする者とでは、どちらが禍いが大きいですか?」
「大王よ、知らないで悪い行ないをする者のほうが、禍いは大きいです」(略)
「大王よ、あなたはどうお考えになりますか? 灼熱し、燃焼し、炎熱し、炎上した鉄丸と、一人が知らないでつかみ、一人が知っていてつかむならば、いずれがひどくやけどをするでしょうか?」
「尊者よ、知らないでつかむ人のほうが、ひどくやけどをします」
「大王よ、それと同様に、知らないで悪い行ないをする人のほうが、禍いは大きいです」
知って犯した罪なら、罪だということを知っているので、いつか罪を悔いることがあるが、知らないで罪を犯したなら、自分が何をしたか知らないままだ、ということだと思います。
『ルック・オブ・サイレンス』に出てくる、「共産主義者」を惨殺した人たちは、悪いことだとは知らないでいるのか、それともわかっているけれども認めたくないのか、どちらでしょうか。
これに関連して、自民党の熊田裕通議員(50歳)です。
こんなことを自分のサイトに平気で書く神経は何なのかと思います。
女性教師がどれだけ傷ついたか、まったく考えていない。
こんな自慢話を得々とするということは、今でも自分のした罪を自覚しないままなわけですから、『ルック・オブ・サイレンス』の加害者より罪が重いことになります。
正義の旗をふりかざして悪を懲らしめるという、こういう無自覚な悪は、自分が何をしたのか省みることがないから、一番たちが悪いように思います。
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