三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

天外伺朗『般若心経の科学』

2005年09月04日 | 問題のある考え

ある方のメルマガにこんなことが書かれていた。

ソニー関連企業の役員をされている土井利忠氏(ペンネーム;天外伺朗)の日本経済新聞の5月30日の記事で、「後期自我」という言葉を使われて人間としての成長、成熟を論じています。インターネットで土井氏のことを検索してみたら、関心を持たざるを得ない人であることを始めて知り、早速著作を数冊注文しました。

うーん、長年真宗の教えを聞き、あちこちで話をされている方なのに、天外伺朗氏の経歴や著作を見て、「関心を持たざるを得ない人」だと思うとは…。

天外伺朗氏の本は『ここまで来たあの世の科学』を読んだことがあるが、あらためて素直な気持ち(というのはウソ)で読んでみましょうと、『般若心経の科学』を図書館で借りました。
予想通り、ニューエイジ的な内容。

天外伺朗氏の立場としては以下のようなものである。

われわれの知覚できない世界、目に見えない世界、認識のできない世界があり、これが本当の世界である。
その世界を天外伺朗氏は「あの世」と言うが、死後の世界とは違う。
「この世」では肉体があるので、他の存在(人間に限らない)と自分とは別ものだ我々は思っているが、「あの世」ではすべてのものが一体化している。
瞑想によって深層意識に到ると、この一体感を得ることができる。

天外伺朗氏は、自分はサイエンティストだとくり返す。

科学の限界を認めているという点では正直な人だとは思う。
そこでニューエイジにはまってしまうわけで、著名な科学者でもこういう人はけっこういる。
一方、宗教の側の人は科学に対して劣等感を持っている。
そこで、宗教と科学とを結びつけて、ニューサイエンスとかニューエイジとかをもてはやす人が科学の側からも宗教の側からも出てくるわけです。
それにしても、科学者なら仮説(しかも、ほとんど認められていない仮説)の上に仮説を立てるようなことをすべきではないと思うが、ま、いい加減なものではあります。

『般若心経の科学』の推薦文を松原泰道氏が書いている。

天外伺朗氏はこの本を書く際に松原泰道氏にいろいろ聞いたと書いているし、松原泰道氏も本も読んだ上で推薦文を書いているのだろう。
となると、天外伺朗氏の考えに松原泰道氏は賛同していることになる。
信じられない話ですけどね。

『般若心経の科学』には仏教学者の本から引用がいくつかあるが、その中に紀野一義氏のこんな文章がある。

ブラフマンとほぼ同じものと考えられる般若経の空

 

この宇宙に遍満するブラフマン、すなわち、宇宙大の心霊

梵我一如=仏教だと言っているわけです。
紀野一義氏の講演を聞いたことがあるのだが、「良寛さんの先祖はユダヤ人だ」と突然言い出したのには驚いた。
その理由がすごくて、良寛さんの肖像画を見ると、良寛さんの鼻がユダヤ人の鼻(ほら、バーバラ・ストライサンドの鼻ですよ)だからだ、と言うんですからねえ。
そのあとは、トンデモなことをペラペラしゃべりだして、ホント唖然としました。
先生と言われる人たちというのは、こんなもんなんでしょうか。

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4 コメント

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あの世の話について (京都 8月2日)
2006-06-19 21:45:04
 週間日記の佐藤愛子 江原啓之「あの世の話」のコメントを読ませていただき、私も読みました。私もオウム真理教と江原氏が言っている事は、そんなに変わらないと思います、ましてや、従来の新興宗教の形を採ってないので、宗教に警戒している人達に、逆に受け入れられている面もあります。江原氏のファンの一部は、死後の世界を信じていない人や江原氏の本について批判する人を「精神レベルが低い」と言ったり「スピリチュアルを理解してない人に、何を言っても無理です」と、少し自分を特別に思っている様な発言が気になるのですね。江原氏も死後の世界や霊に懐疑的な人は、私の教えは、届かないし、死んでも不都合が生じると言ってるのは、従来の教祖と変わらないと思うのですが、いかがでしょうか?
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8月2日と言えば某氏でしょうか ()
2006-06-20 11:54:47
今までの宗教の物語を受け入れることのできない人、宗教というと何か恐いと思っている人、だけど何か物足りなさ、空しさを感じている人はスピリチュルにはまるんだろうと思います。

だけど、スピリチュアルだって「たましいの成長」という物語にすぎず、一種の宗教なんですけどね。

江原啓之なんかは脅しも言ってますから、インチキ宗教の教祖と変わりません。



スピリチュアルは体験を重視します。

批判に対しても、実際そうなんだ、体験していない人にはわからないと言います。

批判を受け入れない仕組みになっているわけで、そのあたり本来の仏教とは違いますね。
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科学の限界 (京都8月2日)
2006-09-24 11:52:44
科学というのは、どう考えるか難しいもので・・・・・よく科学や物質至上主義が社会の荒廃を招いたと、だからこれからは心の時代だと。また科学的証明だけで不思議な世界を信じない人は可哀想な人だと言う方もいますが。しかし、不思議な事が起こっているなぁ~と科学的証明を怠り、被害を拡大させた出来事がありました。水俣病やエイズ・ハンセン病等ですね、今でも病気だけでなく偏見や差別で苦しんでいる人がいます。心や不思議な事を信じる時代がさかんであっても、心や不思議な事が生み出した差別や偏見の解消の道のひとつに、科学には大切な面もあると思う時があります。まぁ~私はテレビの映るしくみも解りませんが(笑)
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科学教信者ども ()
2006-09-24 19:53:44
たしかに科学はすべてを明らかにできるわけではありませんが、ニューエイジ・スピリチュアルと比べると、基礎がきちんとしています。

それに、ニューエイジ・スピリチュアルは、科学では近代西洋科学を否定しながら、自らの主張が科学的に正しいと証明されている、なんてことを言うわけですよ。

科学教信者はどっちだ、と言いたくなります。
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