ある方のメルマガにこんなことが書かれていた。
うーん、長年真宗の教えを聞き、あちこちで話をされている方なのに、天外伺朗氏の経歴や著作を見て、「関心を持たざるを得ない人」だと思うとは…。
天外伺朗氏の本は『ここまで来たあの世の科学』を読んだことがあるが、あらためて素直な気持ち(というのはウソ)で読んでみましょうと、『般若心経の科学』を図書館で借りました。
予想通り、ニューエイジ的な内容。
天外伺朗氏の立場としては以下のようなものである。
われわれの知覚できない世界、目に見えない世界、認識のできない世界があり、これが本当の世界である。
その世界を天外伺朗氏は「あの世」と言うが、死後の世界とは違う。
「この世」では肉体があるので、他の存在(人間に限らない)と自分とは別ものだ我々は思っているが、「あの世」ではすべてのものが一体化している。
瞑想によって深層意識に到ると、この一体感を得ることができる。
天外伺朗氏は、自分はサイエンティストだとくり返す。
科学の限界を認めているという点では正直な人だとは思う。
そこでニューエイジにはまってしまうわけで、著名な科学者でもこういう人はけっこういる。
一方、宗教の側の人は科学に対して劣等感を持っている。
そこで、宗教と科学とを結びつけて、ニューサイエンスとかニューエイジとかをもてはやす人が科学の側からも宗教の側からも出てくるわけです。
それにしても、科学者なら仮説(しかも、ほとんど認められていない仮説)の上に仮説を立てるようなことをすべきではないと思うが、ま、いい加減なものではあります。
『般若心経の科学』の推薦文を松原泰道氏が書いている。
天外伺朗氏はこの本を書く際に松原泰道氏にいろいろ聞いたと書いているし、松原泰道氏も本も読んだ上で推薦文を書いているのだろう。
となると、天外伺朗氏の考えに松原泰道氏は賛同していることになる。
信じられない話ですけどね。
『般若心経の科学』には仏教学者の本から引用がいくつかあるが、その中に紀野一義氏のこんな文章がある。
梵我一如=仏教だと言っているわけです。
紀野一義氏の講演を聞いたことがあるのだが、「良寛さんの先祖はユダヤ人だ」と突然言い出したのには驚いた。
その理由がすごくて、良寛さんの肖像画を見ると、良寛さんの鼻がユダヤ人の鼻(ほら、バーバラ・ストライサンドの鼻ですよ)だからだ、と言うんですからねえ。
そのあとは、トンデモなことをペラペラしゃべりだして、ホント唖然としました。
先生と言われる人たちというのは、こんなもんなんでしょうか。
だけど、スピリチュアルだって「たましいの成長」という物語にすぎず、一種の宗教なんですけどね。
江原啓之なんかは脅しも言ってますから、インチキ宗教の教祖と変わりません。
スピリチュアルは体験を重視します。
批判に対しても、実際そうなんだ、体験していない人にはわからないと言います。
批判を受け入れない仕組みになっているわけで、そのあたり本来の仏教とは違いますね。
それに、ニューエイジ・スピリチュアルは、科学では近代西洋科学を否定しながら、自らの主張が科学的に正しいと証明されている、なんてことを言うわけですよ。
科学教信者はどっちだ、と言いたくなります。