知り合いの知り合いである72歳の女性は、国民年金だけでは生活できないので、病院の掃除婦として朝の7時から昼の4時まで働いて、時給750円。
日本の格差はどうなのかと思い、毎日新聞社社会部『縦並び社会』を読む。
OECD加盟各国の貧困率(所得が全国民の所得の中央値の半分以下の人の割合)は、日本は5番目の高さで、世界でも格差の大きな国なのである。
1位メキシコ 2位アメリカ 3位トルコ 4位アイルランド 5位日本
貯蓄ゼロの世帯は1987年に3.3%、2003年には21.8%。
年20万円の保険料を払えないので保険証を使えない無保険者が、2004年に30万世帯以上に達している。
横浜は70万世帯のうち31592世帯、名古屋は43万世帯のうち15世帯だから、行政の対応の仕方によって大きく違ってくる。
母子世帯の2005年の平均就労年収は171万円で、児童扶養手当や生活保護費などすべての収入を加えた平均年収は213万円。
その児童扶養手当制度が改悪され、手当が引き下げられた。
格差拡大の大きな要因が規制緩和である。
規制緩和で参入が増えたため、トラック、バス、タクシーの運転手は労働条件が厳しくなっているのに、給料は逆に減っている。
2004年のタクシー運転手の平均収入は大都市部で308万円で、5年前より40万円下がった。
派遣社員はかなりピンハネされており、月90万円を仕事先の会社は支払っているが、本人は手取りで20万円を切ることもある。
正社員との給料の格差は大きく、年金、保険などは自腹。
財界の圧力で過労死などの規制が骨抜きになっている。
30~34歳の男性が5年以内に結婚する割合は、正社員が35.5%、フリーターは17.5%。
少子化が問題になっているが、収入が少なく労働時間が長いと、子供は無理。
大店法の廃止されて大型店が次々とできたことによって商店街がダメになり、小売店がどんどん廃業している。
ところが、フランスやドイツでは大規模店の出店を規制している。
大店法の廃止はアメリカの圧力のため。
外圧を利用して規制緩和し、うまい汁を吸ってるのが宮内義彦や竹中平蔵たちである。
ある病院長「経済効率だけを考えれば切り捨てられる医療が必ず出てくる」
小林由美『超・格差社会 アメリカの真実』はこのように批判する。
日本でも貧富の格差が拡大して階層化が進むことは、本当に経済活性化につながるのだろうか? 軍事力は本当に国家の発言力を強め、ステータスを高めるのだろうか?
教育制度、医療制度などを公教育が破綻し、保険を持たない人が多い格差社会アメリカをどうして見習うのか。
格差拡大によって利益を得る人たちは、格差は問題ではないと言う。
高橋宏(首都大学東京理事長)「原材料(学生)を仕入れ、加工して製品に仕上げ、卒業証書という保証書をつけ企業へ出す。これが産学連携だ」
人をモノ扱いして平気な人が大学の理事長をしているのである。
なぜ自己責任容認派が増えるのか。
小泉元首相の「格差は当然です」という発言に、下にいる人が支持するわけだ。
格差を生み出す一番の要因は、働いてお金を手に入れるよりも、株の売買などのほうが多くの収入を得ることができるという仕組みである。
勤労所得と合算したうえで所得の高さに応じて税率を上げていく総合課税方式が望ましいでしょう」
株式譲渡益と配当所得への課税は一律10%、そして働いて稼いだ所得と合算する総合課税ではない分離課税である。
給与所得で最高税率50%を負担している人は全納税者の0.5%、本当の金持ちは株によって高収入を得ている。
アメリカでは株主への配当が最優先され、会社の利益や長期的展望、社員の福利を考えないそうだが、日本も同じ状況らしい。
北野弘久(日本大学名誉教授)「税金は、国民から等しく能力に応じて徴収すべきであって、逆に言えば、取るべきところから取らなかったら憲法違反になる」。(ベンジャミン・フルフォード『イケダ先生の世界』)
それでも消費税は引きあげられると思う。
思いつきをブログに書いてみました。
動物と共存するためには、人間の住む領域を減らさなくてはいけないと思いますが、それができるかどうかですね。
猫のいやがる匂いというので、柑橘類の皮、コーヒー、正露丸、酢などを通り道にまくとか。ダ○ソーあたりの100均で売ってるどんとキャットというプラスチック製のトゲトゲを置いとくとか。猫の可聴範囲の超音波を発生させるガーデンバリアという商品とか。
これ、ひとつの対策は猫を忌避、排除すること。ようするにどっか行ってくれということですね。で、2ちゃんねるを見ると、ノラ猫たちに餌を与える人を徹底的に批判する書き込みもあります。私この気持わかります(笑)。
で、こういうNPOの抗議もあったようですね。
http://www.sanriku-kahoku.com/news/2007_01/i/070126i-noraneko.html
http://www.city.higashimatsushima.miyagi.jp/special/070201/doubutu_aigo.html
うーん、えらく遠方から抗議するものです。この一連のノラ猫をめぐる騒動を見てると自分が関わっている、あるいは他人様が関わっている運動(事業)でも同じ思考パターンが見え隠れするなあと思います。
腹に据えかねてる人たちは猫を殺せといい。それに対して動物愛護派は、そもそも買っていた猫を捨てる人間が悪い。あるいは猫の習性に罪はなく、アスファルトやセメントでつちの大地を覆った人間たちがそもそも、、、といった「文明論」をぶつ人まで。
地域猫という、みんなで見守ればいいという仕組みを紹介したり、去勢・避妊手術を施しこれ以上増やさないということを提案したり。いっそのことノラ猫専用のトイレをつくってそこだけでしてもらう、、、という案を出すひとがいたり。
http://allabout.co.jp/pet/cat/closeup/CU20020930B/
でもスキでもない猫の糞の始末をさせられる方の身にもなってよ、愛護団体さんにエサやり住民さんたち。と思ったりします、確かに。
よく「問題が明らかになる」という言い方をしますね。
スタートがはっきりすればそれでいいというものでもなく、そこからどういう道をたどればいいかということもあります。
出発点と道がわかれば、あとは自然にゴール。
>こういった目立たないところで、日夜ご苦労されてる方にいっぱい会いたいなと私は思います。
それは思います。
http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/11579/Y003959
「わたしには、スタートだったの あなたにはゴールでも」というのがあって。ご信心というのも、スタート地点がみつかることであって、そこがゴールなんてことじゃないのでしょうね。
終わりなき歩みが始まる。しかも「ともに」ということ。信心に座り込むということではない。
そうそう。年末の話になりますが、例の中津学園の先生(女性)にお会いしました。佐伯さんのお孫さんですね。障害児が大きくなって、施設を卒業しなきゃいけないんだけど、出口がない。入ってくる人はいっぱいいるので、誰かは卒業しなきゃいけない。次の場所探しですね。
「仏教は何もしていない。そう言われるんですよね」とその女性。そうそう。こういった目立たないところで、日夜ご苦労されてる方にいっぱい会いたいなと私は思います。
言うは易しでして。
それはもう、仏と仏が念じあっておられるわけでして。こんなありがたいことは、ないですわ。
で、管理人さんのブログから失敬。
>私たちは諸仏にどこで出会うか。それには気がつかない。仏仏相念(仏)。仏を念じている人。讃嘆している人。念仏者、あるいはその声に仏を見出す。囲まれているのに仏に出会っていない。念仏の声のなかに。光明 見せる 清浄 働き。気がつかない。迷いと同様に、出合ったことに気がつくのは後。
よく、本願によって救われた人が諸仏だと思うのですが、じゃ、誰か救われた人がいるのか、という話になります。
その時、欠点のない、完全無欠な人でなくてはいけないというふうに、つい思ってしまい、そうなると、救われた人なんていないじゃないか、となるわけです。
そうなってしまうのはやはり賢善精進の気持ちがあるんでしょうね。
先行く仲間がスリップしない保障はありません。
だけど、今は私の前を歩んでいるのは事実です。
同じように、ささやかだけど自分にできることをしている人、ちょっとだけしていた人は案外といるのではないでしょうか。
ご紹介のような方はすごいとしか言いようがありません。
でも、そのブログの管理人さんだってどの程度かは知りませんが関わっているわけでしょう。
自己の信心の確立が先だと言っている人ばかりじゃないと思いますよ。
↑にこうあります。
>地位や年齢・性別などの外見にとらわれることなく、その心を学ぶべきである、…と。
無用の成仏だったりして(それも言うならチョーブツや!!)
先にあげたリンクの中に金子大栄師のことばがあります。
>心にはわかっていても、わかった通りの行動をとることができなければ、これほど不自由なことはない。だから神足通は天眼・天耳・他心という通力より得たその知識によって行動をとることである。自分がおこないをとるにおいてきわめて自由であるということが、この神足通というものではないでしょうか。
そういうことを聞いても、実例を見たことがないんです。で、地を這うようにして探しているいるのですが。寺永法専とか、佐伯祐正とか、本多左内とか歴史上の人物ではなくて、今見たい、、、
http://www.m-cube.co.jp/psychopathology/history.htm
>どうしてそこまでの気持ちになったのか、お聞きしたいものです。
お寺でおよびになって詳しくお聞きになられたらいかがでしょう(笑)。そしてカンパ(お布施)を渡されれば功徳がいただけるかも(笑)。
。。。義足で強盗に入った「社会的弱者」を目の当たりにした。自分もまわりの人とは違って苦労したが、何とか乗り切った。けれど、ひょっとしたらあの人たちは私の別の姿、ほんの少しズレればそれは私だったかも知れない、、、
違い探しではなく、同じ探しですね。そして「ホームレス」の人にいっしょにがんばろうと声をかけておられます。「共に」ということですね。その声をかけられた人は、自分はもうダメだ。けど、自分よりしんどい人がいる。彼を何とかしてやってくれ、と言われる。
自分を後にして、他人を先に、、、ということ。リクツの上では何とでもいえることでしょうけど。ホントにギリギリのところで発せられる言葉は重い。ここに生きた実例があるのに、仏教者たちは「そんなの仏教じゃないよ」というのでしょうかね。
妻子と別居してというところが、またまた「出家」っぽいじゃないですか(笑)。しかも理解のあるおつれあいさん(?)。コンチキしょう、うらやましい限りだ(爆
仕事を辞め、家族と離れ、自腹を切ってのこの行動力。
どうしてそこまでの気持ちになったのか、お聞きしたいものです。
「困っている人を助ける、これが慈悲だと考えているのではないでしょうか。しかし、これは人情となんら変りはありません」
という小川先生の考え、これは仏教のある意味、非情さを言われているのだと思います。
だからといって困っている人を助けなくてもいいというわけではなく、人助けが慈悲行だという思い上がりを捨てろということにポイントがあるだけのことではないでしょうか。
で、ご紹介のサイトに、「現代の慈悲行・利他行=カウンセリング・心理療法」とありますが、だったら仏教は現代には無用ということになるんじゃないでしょうか。
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-daijo2/sanenjihi-daijo.htm
仏教はヒューマニズムではないとよく言われます。そんなの解ってますよ。仏教はヒューマニズムではなくブッディズムでしょ(笑)。でもそれじゃあ、同語反復でしょ。
>困っている人を助ける、これが慈悲だと考えているのではないでしょうか。しかし、これは人情となんら変りはありません。
困っている人を助けなかったら、いったい誰を助けるんでしょ。人情の世界にとどまっているのは仏法に出会ってないと小川さんはおっしゃるが、では仏法に出会った人の慈悲とはどんなものなのでしょうか。サンプルを見せてちょうだいよと言いたくなります。
>あの人の苦を私が抜いてやったのだ、あの人に私が楽を与えてやったのだという、そういう私という思いを捨てるというのが捨です
でもまず最初は、自分がどうにかしなきゃと思い立たなきゃ物事は具体化しないでしょ。
四の五のリクツを並べ立てても、何だかぐっとくる言葉がないですね。
http://d.hatena.ne.jp/ryuuusei2/20080218/1203321116
という方にお会いしました。「一部が取り残されることのない社会をつくりたい」うーん。まさにこれぞ、誓願。で、「そのためにはみずからが動くことが必要」うーん。この行動力。そして、一人の菩薩さんが生まれると、今まで思いをカタチにできなかった人たちも、寄付を下さったりしてまわりが変っていく。
そして、一軒家を借りて共同生活を始められたそうです。うーん。すごいや。ものすごいスピード。他人か目をそむけるものや耳をふさぐものをみつめ、よくその声を聞き、その心を知ってあっという間に行動に移してしまう。
http://www2.big.or.jp/~yba/teach/hongan09.html
こういったお説教で聞くお話しって本当にリアリティが湧かなかったけど、きっとこういう人のことをいうのかなと思います。
行き場がないというより、真面目にこつこつ働くのがいやな人の受け皿という感じだと思います。
>外国人勢力が日本を闊歩することを阻止する橋頭堡になっている式のお話しもあります。
これも聞いたことがあります。
暴力団が保守や右翼と結びつくのも当然だと思いました。
http://www.amazon.co.jp/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E3%83%A4%E3%82%AF%E3%82%B6%E8%82%AF%E5%AE%9A%E8%AB%96%E2%80%95%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%B5%84%E3%81%AE90%E5%B9%B4-%E5%AE%AE%E5%B4%8E-%E5%AD%A6/dp/4480818286
うーん。暴力団が行き場のない人たちの受け皿になっている式の説明があります。犯罪の凶悪化を防いでるとか、、、また、外国人勢力が日本を闊歩することを阻止する橋頭堡になっている式のお話しもあります。
何かそれって、核抑止論とか核均衡論みたいですねえ。
ただ、映画で「すばらしき」といった言葉が題名にあると、暗い内容だなと予想できます。
ひょっとして「肯定論」とうたっているということはヤクザ否定を暗に言っているわけではないのですか。
http://www.linelabo.com/yakuza2007.htm
http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-891.html
宮崎さんは生きていくためにはヤクザになるのも仕方なかったという論調。しかしそれは、より弱いものを徹底的にしゃぶりつくして自らは肥え太った生きかたではないのかと思うんですね。
だから彼が代表になって書いた
http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E5%90%8C%E5%92%8C%E5%88%A9%E6%A8%A9%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B8%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%B7%B1%E5%B1%A4%E2%80%95%E4%BD%95%E3%81%8C%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%84-%E5%AE%AE%E5%B4%8E-%E5%AD%A6/dp/4759210229
この本も、『利権の真相』を書いたグループのまともな反論にはなっていないですね。ダメ出し(笑)。
でも、「悟り」より「救い」のほうがよく言われているように思います。
「仏になる」のと「救われる」ことはちょっと違うような気がしますし、どちらに重点を置くかによって教えも異なっているのではないでしょうか。
真宗は「救い」のほうですから、自分が菩薩になるなんてあり得ない話で、それよりも求道者という感じですか。
人類が滅亡寸前になるお話の『アイアムレジェント』という映画を見ました。
ネタバレになりますが、ある女性が「これは神の計画だ」と神がかったことを言い、そしてラストは人類の救済が暗示されます。
我々には理解できないだけで、神には深いお考えがあるというジグソーパズル的安心はどうも好きになれません。
で、仏教徒(お坊さん)を見てきて「まるで菩薩さんや」と思ったことはないですが(笑)、キリスト者もしくは信仰者と自ら名乗っておられない人を「こういう人がまさしく菩薩さんやなあ」と思ったことはあります。
自分が「出世間」の範疇にあると思っていたものが、「世間」の中に見つかったりするんで。逆に「出世間」は必要性があんまりなくなってきた今日この頃。
以前、人生に意味はあるか云々の話題がありましたが。いつでも誰でもどこにでもあてはまる意味はさておき。
「自分にとって」「今」意味として現れてくるものはあります。意味というのはその都度、都度あらわれるんだと思います。
ジグソー・パズル全体のできあがりがひとつに決まっていて、その完成図がわからないから、意味が見出せないと考える必要はないなあと今は思います。
パズルのできあがりは終わってみないと解らない。ひとつの図しかないと考えられるから、逆にたくさんの「こんだけぇ~」が、あの手この手で勧誘されるのかな。
善を積んだら功徳(いいところに生まれるとか)がありますよ、というのは仏教の教えから言うと功徳への執着ですから、あくまでも方便ですよね。
そこは分けて考えたほうがいいように感じます。
「慈善」を行う環境に置かれてたり、事情がそうさせているというのもあったりしますね、、、促し。
たとえば、米田さんも19年ホームレス支援をされているのですが。それは、機縁がいくつも重なっているのでしょうね。
巡礼する人たちに、食べ物や草鞋、あるいは一夜の宿を提供する人々がいて、その行為があの世に宝を積む行為だと考えられていました。
こういった宗教の考え方によって、ボランティアという言葉がない時代にも似た行いがあったわけですが。
叡尊さんたちは、相手を文殊菩薩の化身と見るのですが、それはその人たちにしてあげる行為者が功徳を積む。してあげられた側は、いつ功徳を積むのか解りませんが。
題名は忘れたのですが、名畑先生が言及されてた(『覚ジン抄』?)には、やはり観音さんの化身である女性に対して(女性とともに?)なされる行為が、
善になる、、、作善というものが重視されていたと思います。
けれど、執拗に親鸞さんは、「作善」を自力の行として退けるのですね。
国民の義務はいくつあるかご存じですか。
三つあると習った記憶があり、思い出せないので調べると、「教育の義務」「勤労の義務」「納税の義務」でした。
ですから、国民の義務は四つある、というのがこれからの正解になります。
義務ですから、逃げたら罰則があるんですよ。
年に2500人から3000人に一人が裁判員に選ばれる予定だそうです。
万馬券より当たる確率が高いんですね。
ちなみに、日本で18歳から20歳の男子で10万人の軍隊を作るとすると、だいたい千人に一人ぐらいの確率だそうです。
殺人事件など複雑な事件だと、審理に時間がかかるのはやむを得ないことだし、まして死刑の可能性がある裁判だと慎重に審理を進めなくてはいけません。
ところが、一般人を何日も、何ヵ月も拘束することはできませんから、三日間で審理を終えて判決を下さないといけないんですね。
光市の事件の差し戻し審は集中審理でしたが(21人の大弁護団のおかげです)、それでも結審まで7ヵ月かかっています。
これを素人がたったの三日間でするわけですよ。
どう考えても無茶としか言いようがない。
裁判員制度を強行するウラに何かあるのでしょうか。
万馬券ほどの確立で、裁判員もまわってくるんでしょうか。嬉しくない、迷惑な話しです。
http://www.osakavol.org/volo/vjihyo.html
↑この裁判って、ほんと何でこんなに話題になるのか。円さんが書かれてなければ、私はまったく興味がなかったです。この↑委員さんの書かれている中に、「真偽を見極める受け手の能力を高める」とありますが。
なかなかなあ、、、吉兆なんて今まで食べに連れてってもらったこともなければ、デパートで商品を見たこともなかったし。これからもまず行くことはなかったのだけど。
不二家ならねえ、、、しかし、どうやったら食品の産地を見分けられるような、賢い消費者になれるんでしょうか。
食べかけて、腐りかけの宗教団体は見分けられるか、、、うーーん。どうでしょう。
夢告や夫を観音の化身とすることなど、親鸞一家だけの特別なことではないんですね。
後世の美化、神聖化は叡尊や忍性にもあっただろうし、ほんとのところはどこまでご立派なのかわかりませんよね。
また、神聖化された像は本人とは違うとは言えないでしょう。
現実の姿と後世への影響とは分けて考えるべきだと思います。
上から下へ、というのは思考停止できるから楽といえば楽な部分があります。
漁師の息子、日蓮さんが律・国賊と激しく非難するのも解らないではないです。また、親鸞さんと彼らは立場や考え方にすごく距離があると思います。
完全な善行というのはどうも想定できないですね。時代の限界の中で、精一杯仕事をされたとは思います。
>ボランティアしている人、あるいは障害者の方のお話を聞くと、上から下へということは実際の場ではあり得ないようですね。
運動というものの中には、「前衛」が「大衆」を導くというのがありました。だから、「プロ市民が運動に利用している」という意見もあるのでしょう。
また行政には、お上が下々のものに憐れみをかける、、、という意識がまだまだ濃厚に残っていたりします。それで、野宿の当事者に「生活保護は絶対にもらいたくない」という意見も存在するわけで。
>「悪人正機説は、罪深く穢れているとされた女性に適応され、「女人正機説」を生んだ。差別を認め、それを増幅して信心を煽る作用になっていた」
親鸞さんは、パートナーを観音さまの化身だととらえたわけですが。平雅行さんの本では、これも当時は一般的に知られた話しで、名畑崇さんが指摘されている、と。
http://www.ohigashi.net/sindoukouza0610.htm
当時、流布していた詞章と違うのは、「宿報」といった、根源的受動性を思わせる言葉が見えると指摘をされてたと思います。
ボランティアしている人、あるいは障害者の方のお話を聞くと、上から下へということは実際の場ではあり得ないようですね。
共生き(ともいき)という言葉がぴったりくるような。
もっとも、それはうまくいっている場合で、なかなかそうはいかないそうですが。
お金の問題とか人間関係、行政との交渉その他、面倒なことはいくらでもあるわけで、理念だけでやってはいけないですし。
「悪人正機説は、罪深く穢れているとされた女性に適応され、「女人正機説」を生んだ。差別を認め、それを増幅して信心を煽る作用になっていた」
ということ、今でもあることですね。
お母さんが、子どもの行く末ばかり心配して、いまわのきわに穢土を厭わず、浄土を願わず亡くなったのを若い頃、目の当たりにしたそうです。
まあ、臨終の善悪の沙汰をされて、輪廻転生の実体化をされているということだと思われます。この忍性さんを松尾剛次(けんじ)さんは、日本のマザー・テレサだと絶賛されるのですが。
細川涼一さんは、この二人に対して手厳しい見方をされています。殺生禁断エリアをひろげたことは、その地域の人々の生業を奪ったのではないか。(のちに、宇治川の漁師たちに茶作りを勧めたというような伝説が生まれますが)
あるいは、それは叡尊教団の荘園支配の確立に結びついたのだといわれます。また、文殊菩薩の「化身」だとたてまつりながら、授戒させ生活をあらためさせようとするのは何故か。罪深い生活をしていると思わされた人々が、自分たちを「文殊菩薩」という自己認識をしていたか、どうか、、、
「坂の上のもの」と呼ばれる彼らに、その住処である坂の補修工事など土木作業に動員し、しかし彼らに対する「視線」をそのままにしたまま(自分たちの業論の見直し無し)では、彼らを「」という身分にますます固定化したのではないか。
であるから、その後、真言律宗はふるわなくなり、からの支持も失い、たとえば一遍の時宗に移ったのではないかと言われます。
私は、自立している者が支援する側であり、支援される側は自立できていないという見方を再考したいです。米田さんの言葉にあったように、例えば終末期医療のボランティアに参加した人が同じように、「自分が助けようとして、助けられた」「自分が何かしてあげれるというのは思いあがりだった」などと言われるのをたくさん聞きます。
ホームレスの人の中には、おどろくほど立派な「ハウス」を作っている人もいますし(建設作業員なんですから)、またうなぎを釣ったり食料調達などその「生活力」は見事なものだったりします。
果たして、私(たち)にホームはあるか?と。ほんとうに、私(たち)はホームレス(故郷喪失者)ではないのか、、、
共依存ということばがあり、共倒れという言葉もありますが(笑)、この時代、「五濁悪世の末代の平等的悪人であるわれら」という、時代認識と自己認識が、彼らと親鸞聖人から問われていると思います。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~ykchurch/bokusi_2001_0902.htm
私の家族はテレビ依存かいなと思います。
私は映画中毒ですが。
独立はできない、縁起ということかしらん。
>ご本山がどのように使うかじゃないですかね。
それと、この妙好人がどういう生活をしているのか、なぜ本山に寄付をするのか、ということも考えないと。
インチキ宗教の場合、サラ金から借金して寄付する人がいるし、その金で豪勢な生活をする教祖がいますからね。
橋下弁護士は天上へのステップを上がっているのでしょう。
ひょっとしたら足を踏み外すかもしれませんが。
薬あるとて、やりすぎるべからず。過ぎたるはなにごとも及ばざるが如し、神とハサミは使い様です。でもまあ、コントロールが利かなくなるのが依存の病い。禁煙グッズにはまっている人とか確かにいますが。
まあ、過信ですね。自己への過信。私だけはだいじょうぶ。まだまだだいじょうぶ。うちの子に限ってそんなこと、有り得ない。
でもま、リピーターがいてくれなくては資本家は困ってしまうのですね。はまっていると気づかせずに、はめるというのが、テクニックじゃないですか。
でも一度手に入れたものを容易に手放せないのも人間ですね。クルマもケータイもパソコンもTVもれーぞーこもクーラーもいらない世界にはもう戻れないのでは、と思うのですが。
で、おいけにはまってさあタイヘン。
>妙好人に、貧しい暮らしをしながらもこつこつお金を貯めて、ある程度貯まったら本山に寄付するという人がいます。
ご本山がどのように使うかじゃないですかね。カネは天下のまわりものですが、カネのないとこを迂回させるか、させないかですね。カネがあるところにだけ回ってたら、それは天上のまわりものです。
社会的弱者への投資は、麻薬なのか鎮痛剤なのか、、、弱者には、弛緩剤を投与しておけというのが、橋下さんでしょうか、、、
難病や末期の人に、「治る」という言葉は鎮痛剤になると思います。
だけど、「治る」と言って金を巻き上げたり、糖尿病の人に「薬は毒だ」と言って死なせてしまう宗教もあります。
妙好人に、貧しい暮らしをしながらもこつこつお金を貯めて、ある程度貯まったら本山に寄付するという人がいます。
これは麻薬か鎮痛剤か、難しいとこでしょう。
で、大阪府知事選。
橋下弁護士はこう言っているそうです。
「高齢者ら社会的弱者の予算が減るかもしれないが、それは仕方ない。大阪を元気にすることを目標にした」
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/071218/lcl0712181204000-n1.htm
社会的弱者が泣くんじゃ、大阪は元気になれないと思うのですが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%98%E3%83%B3#.E3.80.8C.E5.AE.97.E6.95.99.E3.81.AF.E3.82.A2.E3.83.98.E3.83.B3.E3.81.A7.E3.81.82.E3.82.8B.E3.80.8D
麻薬というより鎮痛剤だと考えたら、無いよりは有る方がよっぽどましなものではないでしょうか。
もちろん、その痛みのよって来たるところに迫らなければ、いつまでたってもその痛みは続くとマルクスは言うでしょうけど。
>仏壇や神棚がそこに見出されるという記事には何か感慨を覚えます。
マルクスなら宗教が阿片だという好例だと言うかもしれませんね。(笑)
>日本はアメリカの後追いばかりしてるように思います。
そうそう、このことは声を大にして言いたい。
アメリカの真似をすることで儲ける人がいるんでしょうね。
行政がちゃんとやってくれないと困るけど、行政にまかせとけばいいというわけではないそうで、震災の被災者支援でも人と人とのつながりを作ているのは民間なんでしょう。
>で、韓国はキリスト教(カトリック、聖公会、長老派、救世軍など)の中間組織が、行政からもれた人々を救済しているのですが。
韓国では、キリスト教系団体が、行政から委託を受けて事業を展開し、さらに教会の独自予算を使って活動を補い、維持したりしていますが。(仏教団体も行政やキリスト教団体と手を携えて活動しています)
明治時代、富山出身のジャーナリストに横山源之助がいます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E6%BA%90%E4%B9%8B%E5%8A%A9
彼の遺した名著『日本の下層社会』で、東京の細民街の状況を知ることができます。
http://www.tanken.com/hinminkutu.html
松原岩五郎の『最暗黒の東京』という本もあげられていますが。
なぜそこにスラムがあるか。あるいは、そのスラムが存続しているのかという問題。それは、軍の施設に近いということがあげられてます。残飯屋という商売があることが書かれています。(現在なら、コンビニの廃棄弁当をもらった人が再販してたりしますが)
しかし、もうひとつの興味深い記述。仏壇や神棚がそこに見出されるという記事には何か感慨を覚えます。貧しくとも、すがるものがあること。
中間組織ということばがあります。農協や商工会。労働組合とか宗教組織のことですが。この、貧困の問題を行政がほったらかしにしてしまうと、寄る辺なき人はどこへ行けば良いのでしょうか。これって以前にも書きましたが。
『ワーキング・プアⅢ』を見てましたが、日本はアメリカの後追いばかりしてるように思います。イギリスはすでに、労働党の政策の中から、サッチャーさんがひいた市場至上路線の修正をすでに行っていますね。アメリカのやり方も紹介されていましたが。うーん。
で、韓国はキリスト教(カトリック、聖公会、長老派、救世軍など)の中間組織が、行政からもれた人々を救済しているのですが。
カンボジアなどの再建にはお寺の再建もあるそうで。独身者で構成される人々を吸収するしくみは、上座部なら可能でしょうけど。
http://cealo-ngo.org/project/Cambodia-3.htm
しっかし、ほんま、日本ってどうなるんでしょ。
政府は格差の拡大を何とかしようとは本気で考えていないと思います。
ワーキングプアがいることで儲ける人たちがいるわけですから。
「乞食」は仏教語だし、施しは布施だし、寺社と貧者は関係があったわけですか。
それがいつの間にか距離が生まれてきた、という感じがしますね。
寺社がやっていたことを公がするようになったので、寺社は手を引いた。
そんなことはないですよね。(笑)
下げようという動きがありましたが。
http://www.youtube.com/watch?v=ZUd1rADHS5c
毎日新聞が力を入れて報道してましたが、産経新聞がいちはやく現状維持の記事を出しました。
http://critic3.exblog.jp/7802926/#7802926_1
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071209-00000921-san-pol
で、明日「ワーキングプアⅢ」の放送がありますね。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/071216.html
中世の本を読んでると「乞食」がたくさん出てくるんですが。どちらかというと、仏教がからんでいるんですね。私も子どもの頃、真言宗の大きなお寺でよく遊んでいたのですが、そこにお不動さんの日にお乞食さんが来ていました。子どもですから、ともだちとからかったこともあったと思います。
「あれは実は金持ちなんだ」と大人たちがいうのを聞いたことがありますが。あんなに高齢でやせていたら金持ちのはずがないと今では思います。
その後も、20年くらい前に京都の吉田神社の祭礼で「傷痍軍人」さんを見て衝撃を受けたりしましたが。10年ほど前、東京のとげ抜き地蔵の参道で傷痍軍人さんを見ましたが、どう見ても戦争に行った世代ではないので、おもわず笑ってしまいましたが。
今年の夏ごろ、近所の地蔵さんのところでちょっと視覚障害を持っているかなり年期の入ったお遍路さん(?)がいて、感激しておもわずお札をあげました。この人、小銭を行く先々のお地蔵さんにお賽銭としてあげてるみたいで、いまどきこんな人いるんやああと。
こんなことで喜んでるのって、私ぐらいなもんでしょうね。現在のホームレスの多くは缶集めやら廃品回収とか、「信仰」とは離れた「仕事」をしてますもんね。
http://www.asyura2.com/07/lunchbreak9/msg/355.html
具体的にどのように残念かと申しますと、撮影のため例の県境の「現地」に近いところへ足を運ぶのですが、見てください。放射線やけどで一面、足の皮がむけてしまうんですよ。
http://www.asyura2.com/bigdata/up1/source/5605.jpg
http://www.asyura2.com/bigdata/up1/source/5606.jpg
相当、体にダメージなことはわかっているんです。それでも123便犠牲者の方は、かわいそうなので体を張って線量超過に気をつけながら撮影にいっているわけです。
http://red-orange.sakura.ne.jp/p7/newpage7.html
http://red-orange.sakura.ne.jp/p6/newpage6.html
http://sk.fox.ac/jal123/photo.htm
のような「ひでぶ」の状態で飛行中に亡くなられた方は520(521)人中、328人程度と推定されています。
どうか彼ら彼女らの無念を省みていただきたいと思います。
http://gray.ap.teacup.com/123ja8119/
それはちょっと自分勝手じゃないでしょうか。
どちらも大切だと思います。
母子家庭の年収の少なさには驚きました。
小学校の給食費を払わない親が多い、近ごろの親は何を考えているのか、ということが言われていますが、払おうにも払えない親も少なくないかもしれません。
それなのに、国は自立云々といって手当や補助を減らすわけです。
これは障害者や老人切り捨て政策と同じ。
>「老人が(税金頼みではなく)自力で生活できないのは、自分が悪い。子供に税金を投入すべき」って言ってますよ。
うーん、年をとるのも自己責任だから自立しなさい、ということですか。
国の思うつぼですよ。
>これって過去記事にありませんでした?
書いた私が忘れていました。とほほ
香山リカの本を紹介したところでしたね。
社会的弱者が連帯したらと思うのですが、上見て暮らすな、下見て暮らせ、と下の人が思い込んでいるんですから。
高齢者の福祉・・・税金投入。
まあ、それでも同居のお嫁さんは大変だと思いますが。
高齢者福祉よりも、赤ちゃんとか子供の保育施設などを充実させて欲しいっていうのは、ママさんたちからよく聞くんですが、
これがなかなか増えないんですよね。
でも、女性も働けと。
子供も産んで働けと。
で、ダンナの世話と介護も家事も育児もって・・・なんじゃ、そりゃ。
私はドラえもんですか?
老人には選挙権があるけど、赤ちゃんにはないからなあ・・・老人のためのサービスが充実していくわけですね。
ウチのトメさんも、
「老人が(税金頼みではなく)自力で生活できないのは、自分が悪い。子供に税金を投入すべき」って言ってますよ。
>72歳の女性は、国民年金だけでは生活できないので病院の掃除婦をしている。
ウチのトメさんも、70歳ですが、30分だけバイトをやってくれています。
それでも正直キビシイので、子供を生む余裕は今のところありません。
この格差社会で貧乏に甘んじている人って、子供を持つのをあきらめたりしているケースも多いみたいです。
>「問題なのは、格差の下とされる若い人たちが、甘んじて受け入れてしまっていること。自分探しや身近な幸せは考えるが、社会のあり方については考えようとせず、声もあげない。
これって過去記事にありませんでした?
一昔前の新興宗教系は「不幸なのは社会が悪い」と主張。
しかし、最近のスピリチュアル系は「不幸なのは自分が悪い」だったかな?
なんか背筋が寒くなりました。
なぜAVがあったから生きることができたのか、そのあたり知りたいですね。
でも、娼婦の身の上話のように、こちら側が期待するパターンどおりに答えたのかもしれみたいなものかもしれません。
「ありきたりの一般解答」がみんな好きですから。
慰安婦問題の本を読んでいるんですが、どう考えたらいいのか難しいですね。
>京都にあるウトロ地区の住民運動に関わっておられました。
ウトロ地区は広島の原爆スラムと同じようなことなんでしょうか。
原爆スラムの場合は地主は国でしたけど、ウトロ地区では怪しげな人が後ろで暗躍しているようですね。
住んでいる人は難民として何とか救済しないといけないけど、おいしい汁を吸う人間が出てきそうな感じがします。
>ブログ主さんは、中学校や小学校で同和教育を受けたわけです。
たしかに教師の問い方は問題があります。
だけど、「先生は、被差別以外ので生まれました。つまり、先生自身、差別するかもしれません。そんな自分が恥ずかしい」と「被差別以外で生まれることは恥ずかしい」とがイコールだという読み方はおかしいでしょう。
ちょっと不思議なのが、どうして日雇い労働を続けたのか、です。
建築会社に勤めたほうが安定性があると、つい私なんかは考えてしまうのですが。
http://www1.odn.ne.jp/~cex38710/fujii.htm
で、ひとりの人間の、戦争体験そして日雇労働者へという軌跡。いやあ、実にしんどいところを生き抜いて来られた。うーん。要領がわるい(生きるのがヘタ)というのではなくて、じつに逞しく生きて来られたと思います。
で、知らなくてあたりまえ。教えられてないものを知っている方が不思議。そして、それを知ろうとしなかったことがワルイわけでもありません。で、関心をひかないなら、読み飛ばしていただいても結構だと思います。
でもこんな人もいるということから興味をもたれることもあるということで(笑)
http://www.youtube.com/watch?v=EZSfs29tE3A
よくこんなのを見つけてきますね。
今から見ますとナレーションがいささか問題。
>「教科書」通りに、「日本人」は「在日コリアン」に対してひどいことをしてきた。。。云々は大局的・歴史的にはそうであるのですが、ミクロ的・個人的にはそういう図式は崩れていたりなんかしますね。
慰安婦問題やナチの強制収容所でもそういう問題があります。
手先になった朝鮮人やユダヤ人がひどいことをしているんですね。
もちろん、だからといって日本やドイツが免責されるわけではありませんが。
ミクロの問題とマクロの問題、両方をうまく考えていかないと問題の本質がわからなくなりそうです。
http://j-footage.vox.com/library/video/6a00d41420c1f0685e00e3989f64a00002.html
91年の映像では、釜ヶ崎の高齢化がモロに出ていましたが。この61年の映像では、労働者が若いですね。
釜ヶ崎を舞台とした映画では、若山富三郎の極道シリーズがあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E9%81%93%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
これ、コメディですね。リアリティとは無縁の映画(笑)。ウィキペディアで暴力団を調べると。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E5%9B%A3
被差別出身者や在日コリアンなどの一般社会から排除されたマイノリティが暴力団員となることが多いとあります。これは、実感としてもそう感じますね。タコ部屋のオヤジはだいたいアボジだということで、在日コリアンに対する反感を持っている(元)労働者もかなりいてはります。
社会から排除された人たちのうち、要領のワルい方が、要領よく立ち回った方から直接的な暴力を被っている。。。という状況ですね。
ですから「教科書」通りに、「日本人」は「在日コリアン」に対してひどいことをしてきた。。。云々は大局的・歴史的にはそうであるのですが、ミクロ的・個人的にはそういう図式は崩れていたりなんかしますね。
自殺の問題について、↓では「これまで自殺は個人の自由な意志や選択の結果とされてきた」のが、「自殺は追い込まれた末の死であり、社会的な取り組みで防ぐ事が出来る」とあります。
http://www.1242.com/morinaga/souken/index.php?no=14
日雇労働者になるのも、自由な意志や選択の結果ではなく、そうせざるをえない状況がその人にあったのだという人間理解を導くこともできますね。で、暴力団員もそういう社会しか自分を受け入れてくれる場所がないんだということもできるでしょうが。
暴力をふるう側も脱落していく人がいますが。あくまで、暴力をふるう側として一生過ごす人もいますね。ま、どうなんでしょう。元暴力団組長に死刑判決が出てますが。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071026-00000129-mai-soci
レジをまかすとごまかされるので、家族の誰かがいないといけないそうです。
つまり、家族そろって何かするということができないんですね。
売り上げに関係なく、月に何十万かは持っていかれるし、売り上げが少ないとつぶされてしまいます。
そういうふうに誰かがどこかで24時間働いているからこそ、安楽で快適な生活がおくれるというのは、ありがたいとは思いますが、これでいいのかとも感じます。
コンビニとかでも、家族経営とか多いですけど、24時間経営ですから、そこの家庭生活サイクルは大変でしょうね。それに本部からは、上納金?も多そうですし、廃棄やロスのペナルティーとか何だかんだ言って売上金持っていかれる様ですし。
本当、便利は便利ですけど、店舗一つに無理矢理サービスを押し込めている感じがしますね。
ありがたい時もあるんですけど・・・・
監視カメラが増えて、犯罪も増えるんだったら、じゃ、一体何のために監視カメラが必要なのかと思いますよね。
タコ部屋にしても、取り締まろうと思えば、労働基準法違反とかで簡単にできるはずだと思うんですけどね。
>深作健太さんが押井守さんと「エルの乱」というタイトルで撮るとかなんとかいう話しが去年からあるようですが。
深作欣二ならともかく、息子が監督ならあまり期待できそうもないですね。(笑)
競輪・競馬・競艇なんかやめて、いっそのことおっちゃんらも株やったらどうでしょ(笑)。オヤジファンド。
今も現役のタコ部屋で、そのスジでは有名な兵庫の○っ○○建設。30日間休み無く働いても、最終日に賃金はゼロ。信じられないけど、ほんとうにある話し。
都会にある飯場(宿舎)の隣りは、その建設会社の系列店のパチンコ屋だったりします。つまり稼いだカネを再吸収するんですねえ。ああ、恐い。
私、東京に住んでた頃、歌舞伎町に隣接する飲み屋に出入りしていたんですが、店を退けた風俗嬢さんがホストにまんまと口説かれてはまっている姿をよく見かけました。男達から巻き上げたカネを別の男に入れ揚げるという人生の縮図デス。
>西成署の汚職と釜ヶ崎暴動を映画にしたら面白そうですが。
バトルロワイヤルの深作健太さんが押井守さんと「エルの乱」というタイトルで撮るとかなんとかいう話しが去年からあるようですが。
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1121256081/
シナリオ。どんどん押井臭が強くなっていって、釜ヶ崎は背景として遠ざかっているようでロケもないいきおい。
日本映画ではそのことを正面から描いた映画は最近はないように思います。
そのあたりは国民性の違いか、映画会社の考え方、というより警察への遠慮ということでしょうか。
西成署の汚職と釜ヶ崎暴動を映画にしたら面白そうですが。
>死亡者数は全産業の半分から三分の一を占めている。労災死傷者数の実数はもっと多い
格差拡大とか雇用の問題というのは最近、特に問題になってきたというわけではなく、そもそも構造的にあるものだということですね。
なるほど、そう簡単に改善できないわけですか。
>800メートル四方の町に15台の監視カメラが設置されてるんです。
ふー
あと何年か経ったら、日本中がそういう状態になるんでしょうね。
で、犯罪抑止の効果がどれだけあるものやら。
生田さんの文章で、『野宿者襲撃論』にも収録されていますが。800メートル四方の町に15台の監視カメラが設置されてるんです。(まあ、コンビニや銀行で監視カメラなど珍しくもない時代ですが。警察が町中に設置してるなんて、考えられないでしょ?(笑)
で、暴力団事務所は私の数えたところで22。うわっ!こんなこと書いてる私も監視対象だ!!!
YOU TUBEの冒頭で、番組・モーニングEYEの山本文郎さんは「西成署の不祥事を端に発した。。。」とあります。↓「暴動」のはじまった朝刊に、西成署防犯課の刑事が暴力団からの賄賂を受けていたことが発覚して逮捕されたという記事が載ったんです。
http://www1.odn.ne.jp/~cex38710/1990.10.2.htm
>過労死になるまで働かないといけないのも暴力ですよ。
うーん、比較するのもヘンなんですが。名古屋・笹島の支援者さんのお話しにも「政府統計ですら、労災死傷者は年間十万人以上、死亡者千名以上であり、死亡者数は全産業の半分から三分の一を占めている。労災死傷者数の実数はもっと多い」とあるように。
もともと、死と隣り合わせのキケンな職場なんですが。それに加えてずさんな労務管理がくっついてるということでしょうか。それにタコ部屋の存在。タコ部屋といっても横山ノックさんのお宅ではないんですが。。。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%B3%E9%83%A8%E5%B1%8B%E5%8A%B4%E5%83%8D
北海道でかつてあった。でも、今も現にある。。。
というのがありました。
http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2007/0521/item070521_01.pdf
「労働者の権利を強化すれば必ずしも労働者の望む方向にはならない」などと主張しているわけですから、規制改革会議・再チャレンジワーキンググループ・労働タスクフォースというところは、脱格差じゃなくて格差拡大を狙っているんでしょうね。
>寄せ場の労働者ほど直接的な暴力にさらされることはないでしょうけど。
過労死になるまで働かないといけないのも暴力ですよ。
ま、坊さんが格差云々と言っても説得力はないですか。
http://www.nskk.org/chubu/nyc/nojuku/nojuku08.html
http://sofusha.moe-nifty.com/blog/2007/08/post_2b15.html
1984年の情報で、四半世紀前ですが。別に大袈裟に書いてあるわけではないですね。まあ、こういったシステムが一般社会に広がったわけですが。寄せ場の労働者ほど直接的な暴力にさらされることはないでしょうけど。
http://sofusha.moe-nifty.com/blog/2007/08/post_2b15.html
以前も紹介した日経連の「新時代の『日本的経営』――挑戦すべき方向とその具体策」というものが曲者でした。このあたりから、「自己責任論」というものが喧しくなりましたよね。貧困から抜け出せないのは、社会の責任ではなくて自助努力が足りないのだ、それは自分が選んだことの結果なのだという洗脳。
しかしまあ、私もあるお寺で働いたときですね、労働契約(?)はもちろんなくて、口約束で働きましたが。一ヶ月の集金額(?)が800万円で、手取りが20万円でした。20万円が少ないといってるのではなく、800万円も集金する必要がどこにあるのかなという疑問を感じて辞めたんですけど。
こういう現場におられる(一部の)お坊さんにとって、日雇労働者のことや、派遣労働者のことは問題になりようもないのではと思ってしまいます。教学というか、聞法には自信をお持ちのご住職でしたが。
先週、釜ヶ崎の商店街で何と京都のK寺僧堂のお坊さんたちが寒行というのか托鉢というのかをやってはりましたが。行乞という形式を踏まえておられるのでしょうけど、修行っていったい何?お坊さんっていったい何?と改めて思いました。
あんまり取り締まりをしすぎると、仕事量が増えて処理できないというか、面倒だということもあるような気がします。
>「手配師」ないしその下の「建設現場に派遣される」をクリックしてみてください。
法律に違反しているのはみんな知っていて、で、みんなピンハネしていると。
ふーむ、派遣社員の問題とも通じますな。
派遣社員やパートが、暴動とはいいませんが、ストを起こさないのはどうしてでしょうね。
うーん。売ってる側のCMじゃないでしょうか(笑)。でも、これ私も知ってますよ。買いに来るのは、いかにもって感じのひとじゃなくて、ごくフツウの女の子がお客だったりするのが目撃されます。
おっちゃんたちが、消費者なのは「シケハリ」の方のお店です。↓のハコヤという投稿を読んでもらったらわかります。実に具体的(笑)。
http://www.nisinari.com/bbs2/bbs.cgi?allhits=16&idx=0+10&ff=10
ま、しかしそもそもおっちゃんたちは、常態的に手配師から違法なピンハネをされているんですね。↓の青文字、「手配師」ないしその下の「建設現場に派遣される」をクリックしてみてください。ですから、キッカケがあれば、爆発するんですけど。最近は高齢化して、「暴動」を起こす力もない。。。というのが地元の圧倒的な声。
http://www.works-i.com/flow/lm/university/university4_1.html
それにしても、
「コインロッカーグリーン前
覚せい剤はコインロッカー前の自転車のかごに隠している。」
という具体性!
ひょっとして警察が書き込んだのかもしれませんよ。(笑)
これって、ミャンマーじゃないんですよね。。。
61年の記事の赤字を読むと。
http://kuwashima.jp/riot/news-n.html
なるほどなあと思います。しかし、次の「覚せい剤密売人出没地点」って公表してええの??
http://wiki.livedoor.jp/wantok/d/%B3%F8%A5%F6%BA%EA
警察はどうしてこういうの取り締まらないのかなあ。。。行政代執行は、大阪市はやったりするけど。この街がこわいのは、おっちゃんというより、暴力団。で、その活動を放置、泳がせ(癒着?)ている警察の両者だと思うけど。まあ、一種の治安対策なんですかねええ。